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磯地区は、京丹後市網野町の西部にあり、昔ながらの漁村の風景を今もなお残す静かなところです。
この地で、2005年NHK大河ドラマ『義経』にも登場した「静御前(しずかごぜん)」は禅師の娘として生まれたとされています。
幼少の時父を亡くし、母とともに京に出て、巧みな舞と容姿の美しさで静は、後白河法皇より「日本一」と称されるほどの白拍子に成長しました。後に源義経に見そめられ、側室となりますが波乱に満ちた人生を送り、二十余歳で短い生涯を閉じました。
現在、生家は残っていませんが、海が一望できる生誕の地には、ひっそりと記念碑が建てられています。また、近くには静神社があり、静御前の木像が祀られています。そこから少し歩けば、日本海を望める朱塗りのきれいな展望台にたどり着きます。
2005年には、静神社の石段を降りた府道沿いに、静御前の舞う姿を彫った自然石のレリーフが地元有志の協力で建立されました。そこには、「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」と義経を慕う歌文も添えられています。
(最寄りの漁港:磯漁港)
京丹後市丹後町の中西部に竹野漁港は位置しています。
終戦間もない1948(昭和23)年、旧竹野村の竹野港では、なんと旧海軍の駆逐艦「春風(はるかぜ)」の艦体が防波堤として使用されていたというあまり聞き慣れない事実があります。
春風は1923(大正12)年舞鶴海軍工作部の建造で、1,400トン、全長約98メートルで数々の激戦を経ながらも戦没を免れ、長崎県佐世保で終戦を迎えました。1948年春ごろに当時の村長の発案により、まだ整備されていなかった漁港の波よけとして、艦体が呉港からえい航され同港に敷設されたとのことです。
残念ながら同年のアイオン台風により大破し、朝鮮戦争の特需景気の影響で鉄くずとして売られるなどすぐにその姿を消しましたが、以後の防波堤の早期整備を進めるきっかけになりました。
長い年月を経た2005年9月には、戦後60年が経過し、忘れられつつある歴史を振り返ろうと地元住民らにより、戦死者の鎮魂と春風に感謝する神事が当地にて営まれました。
丹後半島の東部に位置し、急峻な山に取り囲まれた周囲約5,000メートルの伊根湾沿いに230戸余りの「舟屋」が建ち並ぶ姿は、独特の風景を醸し出しています。
舟屋とは、一階は海から直接船を入れられるガレージにし、二階を住宅とした海に突き出した家屋です。
晩秋から冬季にかけて、「うらにし」と呼ばれる北西からの厳しい風波を受ける日本海側にあって、湾口が南に向いていること、そして、年間を通じて潮の干満の差が数十センチメートルしかないことなどの条件の下で、急深の海岸に沿って舟屋が発達したようで、古い昔の南方の島々とのつながりも伺える建造物として注目されています。
テレビなどで取り上げられることも多いことから、観光スポットになっており、「舟屋の里公園(道の駅)」からの展望と遊覧船による伊根湾めぐりは特に人気があります。
舟屋に囲まれた伊根湾のほぼすべてが伊根漁港です。
当漁港は、鎌倉時代から開けた古い漁港であり、湾内での鯨捕りも行われ、沖合の好漁場に恵まれ、明治38年以降に導入された大敷網によりブリ景気に沸いた時代もありました。
沿岸では、定置網、養殖業が盛んに行われ、現在でも伊根町の基幹産業である漁業を支える漁港の一つとなっています。
北西からの厳しい風波をうける日本海側の漁港のなかでも、港口を南に開けた急深で天然の良港であることから、本格的な整備開始は早く、昭和38年度から行われてきています。
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