ふるさとトピックス!福知山、舞鶴、綾部
更新日:2023年4月12日
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近年、都会の喧騒から離れ、若者たちが地方や地元へ移住する「脱都会化」の流れが加速している。
一方で、地方に移住する際に気になる“いろいろ”な問題。
実際の生活はどうなのか。地域の人たちとうまくやっていけるのか。現地での仕事はどうするのか。移住を検討し始めたときにやるべきことは何なのか。
本記事では、京都府協力のもと、京都府北部地域での仕事や生活について、実際に移住した4名の生の声を紹介する。ぜひ、IターンやUターン移住を考える際の参考にしてほしい。
はじめに話を聞いたのは、システムアプリケーション受託開発などを手がけるインフォニックに勤める安原さん。地元の舞鶴へUターンをすることを決めた一方で、仕事に対する不安もあったという。
─おしゃれなオフィスですね。雰囲気があって、広い。
安原 明治・大正時代に建てられた赤れんが倉庫を使ったシェアオフィスなんです。私が勤めるインフォニックの舞鶴支社は2カ月前に入居して、週1日を出社日としてここに集まっています。
お隣にはKDDI(アジャイル開発センター)さんが入っていたり、向かいには世界で活躍されているフリースタイルフットボールデュオの方のオフィスがあったり。
─幅広い。
そうですね。たまに顔を合わせてご挨拶するという、アットホームな雰囲気です。コワーキングスペースはあったけれどオフィスはまだできたばかりなので、いろいろな会社が集まるような場所になればいいなと期待しています。
明治から大正にかけて建造された倉庫跡を改装し、博物館やイベントスペース、コワーキングスペースなどを備えた複合施設。安原さんが勤めるインフォニックは、2021年に舞鶴支社を設立し、今年1月に同支社を赤れんがパーク内のシェアオフィスに移転した。
─安原さんはUターンで舞鶴に戻られたんですよね。
はい。その前は大阪に住んでいて、前職では関西空港でカスタマーサービスに従事していました。職業柄、朝が早く、夜は遅い。忙しい時期には家と職場を往復するような働き方だったので、連休が取れるとちょこちょこと舞鶴に帰ってきていました。
そのたびに「やっぱり舞鶴はいいところだなぁ」と思って。ほどよく自然があって、食べ物も安くておいしい。私は登山やキャンプなどのアウトドアが好きなので、朝起きて「よし、今日はあの山に登ろう」と30分で山に行けるこの環境のほうが性に合っているんじゃないかって。
そういう気持ちがだんだん大きくなって、決断に至りました。
─地元なら、思い切ったら帰れるものですか。
やっぱり、ネックになったのは仕事ですよね。元々舞鶴を離れて大阪に出たのも、都会に出てキャリアを積みたいという思いがあったから。前職と同じ仕事が舞鶴にあるわけではないので、Uターンするということは、思い切ってキャリアをチェンジしないといけない。その覚悟はありました。
前職でやった仕事を棚卸しすると、候補は貿易関係か、営業やカスタマーサービスなどの人と向き合う仕事か、あるいは公務員や市役所関係か……。いろいろと探してみても、都会ほど求人が多くないから、なかなかタイミングが合わない。
そんなときに、今の勤務先のインフォニックが、未経験可でITエンジニア職を募集していたんです。ちょうど2021年、舞鶴支社を立ち上げて、舞鶴市と地域活性化の連携協定を結んだ時期。そのご縁があって、舞鶴支社の社員1号として入社しました。
─社員1号?
そう。支社を立ち上げたばかりですから、私が1人目。舞鶴支社長と舞鶴支社立ち上げメンバーに私も加わり、今では5人ほどメンバーが増えました。
今日は舞鶴支社メンバーがオフィスに集まる日。普段は自宅からのリモート勤務も多いとか。
─エンジニア未経験でも問題はなかったんですか。
もちろん、京都市内やほかの拠点の方にも助けていただきました。メインの業務は、Salesforceを使った開発です。ローコードやノーコードで開発できるので、複雑なコードが書けなくても、システムがわかれば覚えるのも早かった。
空港業務でもユーザーとして世界共通のシステムを使っていて、私がいた部署のなかでもそういったシステムを扱ったり、プロセスを考えたりするのは得意だったんです。それに、お客さまと対面でコミュニケーションを取ることは、どんな仕事でも求められますよね。
そう考えると、未経験だと思って飛び込んだIT業界にも、しっかりとこれまでの経験が生きているんだなって思います。
─これから舞鶴でやりたいことは?
舞鶴に帰ってきたからには、新しい人とのつながりをつくり、若い人たちを増やしたいですね。赤れんがパークにも同じように考える人たちがたくさんいますし、インフォニックの業務としても、地元の高校生や大学生を対象に、ITの知識を講義するような活動を行っています。
ITを使えば、ここ舞鶴からでも全国のお客さまにサービスを提供できる。地元の学生さんにもこんな企業があるということを知ってもらいたいし、私のように一度外に出た人たちにも「帰ってくる場所がありますよ」と発信していきたいですね。
次に話を聞いたのは、半導体・医療・宇宙等の先端分野の装置メーカー向け機械部品製造や販売を手がけるコアマシナリーに勤める莖田(くきた)さんと塩見さん。Iターン、Uターンそれぞれのきっかけと思いが見えた。
─莖田さんはIターン、塩見さんはUターンです。福知山に移住されたのはなぜですか。
莖田 最初のきっかけは、福知山市が自然豊かで子育てにもピッタリな環境であるというネット記事が、目に飛び込んできたことでした。
私は生まれも育ちも東京なのですが、移住前は仕事が忙しくなかなか帰ってこない夫を待ちながら、育児や家事をワンオペでこなす毎日に疲れ果ててしまっていて……。家族と過ごす時間をもっと大切にしたいなと思っていたときに、福知山市と出会いました。
気になっていろいろ調べてみると、Iターン者向けの「お試し移住」制度というものがあることを知り、もともと田舎はいいよねと夫婦で話していたこともあり、それに申し込んですぐに家族で福知山に行ってみたという感じですね。
塩見 私は出身も実家も福知山なので、いわゆるUターン移住です。
大学院卒業のタイミングで県外の自動車部品の研究開発をしている会社に就職したのですが、途中で自社事業の開発が止まってしまう時期があったり、上司との人間関係がうまくいかなかったりで、一度立ち止まって自分の人生を考え直したいと思い、実家に戻って地元で再就職をしました。
1977年京都府福知山市で創業。創業当時から手がけているアルマイト処理、そしてマシニングセンタを使った切削加工の技術の両方を軸に置くメリットを活かし、先端産業の中核を担う部品製造を主に手がける。
─はじめての移住で、生活面や仕事面での不安はありましたか?
莖田 東京から来た部外者ということもあり、最初は田舎に馴染めるかどうか不安でした。私自身、人見知りするタイプだったこともあり、どうなるかと思ったのですが、実際には地域の方々が私たちをあたたかく受け入れてくれたことが大きかったです。
夫が農業に携わるようになって、地域の方々に収穫の手伝いに来てもらったり、魚をもらったりと、東京では経験できないことがたくさんあっていつの間にか不安は消えましたね。
今の会社の業界は未経験だったのですが、塩見さんをはじめ同僚の方々が本当に優しく丁寧に仕事を一から教えてくれたり、気にかけてくれたりと、とても助かっています。
塩見 私は実家に戻ったので生活面での不安はありませんでした。
仕事も前職の能力を十分に生かせる環境にいられて、今はとても充実していますね。
─移住後の生活は大きく変わりましたね。
莖田 そうですね。移住後は夫が夕方には帰宅できるようになったため、家事や育児を分担できるようになりました。あとは、子どもたちにも手がかかる時期なので、近所の方々の助けもあり大人の手が多くあることで、気持ちや時間にも余裕ができました。
子どもたちも毎日自然の中で遊んで楽しそうにしている様子で、本当に移住して良かったと思います。
大自然の中で遊ぶ莖田さんのお子さん
塩見 Uターン移住をしたことで、家族や昔からの友だちと再会できたり、安心感を持てるようになったことが、大きな変化ですね。
都会にいたときは、周りに相談できるような人がおらず孤独を感じることもあったのですが、慣れ親しんだ地元に帰ったことで「つながり」を感じられて、以前のような感情にはならなくなりました。
─田舎ならではの特徴はありますか。
莖田 都会のみなさんが想像されるように、人間関係は良くも悪くもウェットですね。近所の人はみんな知り合いみたいな。私の場合はそこが合っていたみたいで、嫌な思いをしたことはありませんね。
あと、車で10分や15分走れば、色々な店に行くことができるので、買い物に不便を感じることはありません。虫が多いことにも最初は戸惑いましたが、1年が経った今では慣れました(笑)
塩見 たしかに車は必要ですね。田舎では車でも結構長距離を走らないといけない場面もあったりするので、住む場所や住みやすさは事前にある程度調べておくといいと思います。
─なるほど。東京に戻りたいと思ったことはありますか。
莖田 いまのところはまったくないですね。年末に東京の実家に帰ったときは、久しぶりの人の多さに疲れてしまって。
福知山では夜は本当に静かですし、人もすごくいるわけではないので、そういう点でもここは自分の望む生活のスタイルと合っているのかなと思います。
─福知山のおすすめポイントはありますか。
塩見 京都府北部の地域ではジビエ(狩りでとった野生の動物の肉)が有名ですが、福知山でもイノシシやシカといったジビエ料理を出す店がありますね。ただ、私は個人的には、牛や豚のほうが好きなのですが(笑)。
あとは福知山の名物といえば、スイーツですね。昨年、福知山城天守閣で行われた第35期竜王戦で藤井聡太さんが食べた千切屋のせんべいがあったり、マウンテンという有名な洋菓子屋さんなど、まさにスイーツの町ですね。
福知山のスイーツを堪能(撮影:塩見さん)
莖田 わかります。スイーツは絶対にはずせないですよね(笑)。
─これから移住する人に向けてアドバイスはありますか。
塩見 Uターンは、地元に帰ることで慣れ親しんだ環境に戻り、都会にはない気楽さを感じることができると思います。
いま息苦しさを感じている方は地元に戻って、自分の好きな環境で暮らすことを選択肢のひとつとして考えるのもアリなのではないでしょうか。
莖田 そうですね。まずは、自分が今の状況に満足しているのか、移住によって解決できる問題があるのか、自己分析することが大切だと思います。移住をするかしないかは別として、まずは行動してみることが重要ですね。
また、先輩移住者の話を聞くのもいいと思います。私たちも福知山の移住担当の方が先に移住してきた人たちとつながって、いろいろなお話を聞くことができました。
それまで東京から福知山に足を運んだことはありませんでしたが、リモートで話を聞いたりして、その町の魅力を知ることができました。先に情報を得て移住することは、非常に良かったと感じています。
最後は、訪日関連事業を展開するアヤベックスの植田さん。綾部市でゼロからキャリアを作り上げた彼女だから見える、地方の未来とは。
─植田さんが勤めているアヤベックスは、綾部市に本社を置き、訪日観光客向けの事業を展開されているんですね。
植田 そうですね。私は2013年に綾部市に戻ったんですが、ちょうど職探しをしていたときに、アヤベックスの求人を見つけたんです。
前職で体調を崩して実家に戻っていたこともあって、正直もう一度都会に出るのはしんどいなという思いもあり、かといって、綾部に引きこもっていたいわけでもない。
旅行会社ならお客さまの団体旅行に付いていろんなところに行けるかなと思って面接を受けました。
(外部リンク)
2013年京都府綾部市で創業。訪日旅行客向けのツアーやチケット・宿泊施設手配からスタートし、教育ツーリズムや法人向け研修旅行などを展開。2020年コロナ禍以降は新規事業として国内の観光資源を紹介するウェビナーや映像制作も手がける。
当時はまだ事業どころか、代表の佐々木崇人しかいないスタートアップ。でも、面接でインバウンド(訪日外国人旅行)事業を立ち上げたいと聞いて、おもしろそうだなと。右も左もわからないようなところからスタートしたけれど、ちょうどインバウンド需要が大きく盛り上がった時期で、今ではメンバーも30人ほどに増えました。
コロナ禍で一時はどうなるかと思いましたが、自治体や官公庁の観光プロモーションのお仕事もいただくようになり、最近は映像制作に力を入れています。
─またも、社員1号。未経験から事業をつくってこられたんですね。
たまたまです(笑)。海外のお客さまが相手だったことが、うまく転んだと思います。
国内向けだと企業名や企業規模で選ばれることが多いので、新規参入は難しい。でも、海外のエージェントとお付き合いすると、いかに柔軟に、早くレスポンスを返し、確実なサービスを提供するかが重要です。
それを繰り返しているうちにサービスの幅が広がり、企業の国際会議や研修旅行のような要望も増えてきました。
─京都市内は昔から海外から多くの観光客が訪れていましたが、綾部も人気なんですか。
そうですね。私たちはお客さまの要望に応じて全国各地へご案内していますが、この10年で観光の流行も少しずつ変わってきました。とくに地方の山や海、その土地の暮らしや住んでいる方の顔が見えるようなコミュニケーションを求められる方が増えています。
有名なお寺や嵐山のような観光地に行きたいというお客さまは今も多いけれど、やはり混み合うところばかりだと、人を見に行くような旅行になって疲れてしまう。1泊か2泊でも、農家の民泊などでゆっくりとおいしい料理を食べていただくとよろこばれます。
私は綾部で育って、18歳のときに都会に出たんです。当時は「綾部には何もない」と思っていたし、おそらく病気になっていなければ戻ってこなかったと思います。
でも、最近、自分で写真や動画を撮ったりしていると、あらためてこの環境はとてもいいんじゃないかと思えてきて。
撮影:植田めぐみ
─画になる。
そうなんですよ。職場は車で5分のところなんですけど、朝の通勤前に何気なく撮った写真をSNSにポストすると、「すごいね」「こんな景色が近所にあるの?」って。
何もないといえばないんですが、同じ山でも時間帯や季節によっても見え方が違って、紅葉や雪景色や雲海が撮れる。京都市内や大阪からレトロな電車が走っている風景を撮りに来る方も多いみたいです。
やっぱり田舎ってよくも悪くも人間関係がウェットなところがあるけれど、綾部にも外からの移住者がずいぶん増えていて、新しい横のつながりもできている。古くからの暮らしと新しい人が交わっているところがおもしろいと思いますね。
─綾部に戻ってよかったですか。
はい。結婚して子育てを始めると私の親も夫の親も近くにいることのありがたみを感じますし、仕事は自由に任せてもらって本当に恵まれていると思います。
最近は、この地域の人や風景を映像に残したいという欲が出てきました。
それぞれの地方に手仕事や伝統的な技術があるけれど、そういった技術を持つ人たちも高齢化しています。たとえば丹波地方には漆掻きや藍染め、織物など、衰退して途絶えかけたところに、地元の人が文献を調べて漆や藍を植え、復興させたりしています。
映像に残してアーカイブしておくと、誰かが興味を持つかもしれないし、技術や伝統を受け継ぎやすいでしょうし。
─そうやって小さくても産業ができると、地域の資源になりますね。
そうですね。コロナ禍で大変なときに、なんとかマネタイズできて、社会貢献にもなって、好きなことでひねり出した新規事業が映像制作だったんですが、こういう事業が生まれることで、綾部で働く場所が増える。
この地域で暮らしてみたい、働いてみたいという方がいたら、ぜひ一度遊びに来てもらいたいですね。
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制作:NewsPicks Brand Design
取材・執筆・編集:花岡郁/宇野浩志
デザイン:小鈴キリカ
※このコンテンツは、京都府中丹広域振興局のスポンサードによってNewsPicks Brand Designが制作し、NewsPicks上で2023年3月23日に公開した記事を転載しています。
https://newspicks.com/news/8205427
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