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令和6年の年明けに、能登半島地震で被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。1日でも早い復興をお祈り申し上げます。
専門校を修了して10年が経ちました。思い起こすと、夢中になれるものがなかなか見つからずに過ごした20代。東日本大震災を経てこれからの道を探りながら、すがる思いで専門校の門をたたきました。
父の仕事でもあった陶芸は、身近であるがゆえに、まさか自分がその道に進むとは考えたこともありませんでした。自分の進む道が見いだせず苦しい日々を送る中、父が病に倒れ、同じ道に進むと決心し今日にいたります。
専門校で技術を学ぶうちに、夢中になれるものは身近にあったものだと気づくことができました。
1年間の訓練はあっという間に過ぎ、30歳が目前にせまっていました。
修了後、わがままを通し、石川県の妙泉陶房さんにお世話になりました。
九谷焼の文化が浸透しており歴史も深い街で、下仕事の大切さ、窯の焚き方、お客様とのやりとりなど、一流の仕事を目で見て学ぶことができました。
他の工房の先輩方にも、休日などに快く指導していただきました。九谷のみなさんに育てていただき充実した日々を過ごすことができました。
その後、ふるさとに戻り、細々と仕事を始めました。
九谷での修行仲間の絵付師へ素地を作りながらの慎ましい生活です。
まだまだ未熟なわたしに素地を頼んでくれる彼女には本当に感謝しかありません。
素地の仕事は他の人の仕事です。いつも反省と学びがついてくるありがたい仕事です。
窯の焚き方や釉薬のことなどを、専門校の先生や九谷の先輩方に聞きながら手探りで制作をしています。
『運をつかむには、自分のやりたいことを継続して、やめないことだ。「継続は力なり」という。同時に「継続は運」なのだ。「運がよけりゃ」と、棚の下でぼた餅が落ちてくるのを待っていても、そんな好都合なことは起こらない。自分でぼた餅をつくってこそ、類は友を呼ぶではないが、いろんな餅が寄ってくるのだと思う。』
ご自身で遅咲き作家とおっしゃっていたやなせたかしさんの言葉です。
いろいろな人と出会い、サポートをしていただきながら、少しずつ出展の機会に恵まれてきました。苦しかった20代から抜け出すことができたのは、支えてくださった方々に恵まれたことと、ものづくりが好きなことだったからなのだとそう思います。
まわりの方々への感謝の気持ちを忘れず、職人へのリスペクトと自分への戒めを胸に、また10年、20年と制作を続けていきたいと思います。
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