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鹿児島弁は難解である。
江戸幕府からの間者対策としてわざわざ作られたという説もあるそうで、単語自体も一体何を基にそういう活用に至ったのかも不明なものも多ければ、イントネーションもなかなかに独特だ。
訳の分からない言葉と、聞きなれない音程のコラボレーションはもはや日本語ではないかのようだ。
題目の言葉は、鹿児島1年目の冬のある日、突如ラジオから流れてきた。まるで呪文のようなそれに、一瞬アフリカの呪術師にでも呪いをかけられたのかと思った程だ。
よもやそれが日本語であるなどと、その時は思いもしなかったものである。同僚から言葉と意味を教えてもらってもなかなか理解できなかった。
いまだに鹿児島弁のヒアリングは覚束ないので、動画のように字幕が出ればいいのにと思うことも間々ある。
そんなわたしだが、鹿児島に来て早いもので10年になった。
図案科を卒業したが絵付け師ではなく、彫り師として職を得ることができた。科内(学内)でも年嵩の方だったので、わたしの行く末について先生方は随分と気をもまれていたようだ。わたしの就職が決まって大変安堵したと後に言われた。就職が決まった最年長記録だったらしいが、結構すぐにその記録は塗り替えられたらしい。残念。
彫り師の仕事は、簡単に言うと生生地に透かし彫りや浮彫りといった彫刻を施して焼く仕事である。一般の見学者も多い職場なので「すごーい」だの「よくあんなのできるねぇ」などと窓越しに感嘆の声を聴くが、言うほど難しいことをしている訳でもないと思っている。地道に彫っていればいつかはできるのだ。ただ、所々で気を遣うポイントがあって、そこを慎重にやれば無事完成する。何も彫りに限っての特別なことではない。
もちろん、数々の失敗もある。水分量を調整しそこねて生地をダメにしたり、割付の順番を間違えたまま彫ったり、生地を持つ手に力が入り過ぎて割ってしまったり、接着した香炉の脚がポロリと取れたり。等々。
つい先日も、接着したはずの二重蓋(別々に彫って接着した二重構造の蓋)が翌朝来たらパックリと分離していた。10年やっていてこれである。我ながら嘆かわしい。
とまあ、色々やらかしながらもいつの間にかここまできていた。何とか10年越せたので、これからも見限られないよう地道に頑張って行こうと思う。
目下の悩みは老眼との戦いだろうか。細かい所が見えにくくなったため、遠近両用の眼鏡を作ったが、イマイチ使い勝手がよろしくない。こんなことならはじめから何とかルーペを買えば良かったと、後悔しきりの今日この頃である。
さて、件の呪文であるが、あれは
「鮮魚はいりませんかー」
と言っている。
ぶえん→無塩→塩をしていない魚→鮮魚
となるそうで、その昔、漁港で揚がった魚を背負子に入れて売り歩いていた女行商人の呼び込みの声を使ったラジオCMだった訳だ。
「何だって!」
と、思うだろう。
そんな時、鹿児島弁ではこう言う。
「んだもしたんっ!」
やっぱり鹿児島弁は難しい。
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