ふるさとトピックス!福知山、舞鶴、綾部
更新日:2023年8月9日
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※この記事の内容は2023年1月20日時点のものです。
戦国武将の明智光秀が城下町を築いたことで知られる京都府福知山市は明治以降、京阪神と北近畿を結ぶ鉄道の結節点として栄え、「鉄道のまち」として今もまちづくりが行われている。JR山陰線や福知山線、京都丹後鉄道が乗り入れ、京阪神から鉄道で海の京都エリアである舞鶴や宮津方面、城崎温泉で有名な兵庫県豊岡市方面へ行くにも、ほとんどが福知山を経由しなければならないほど。どうして福知山が鉄道のまちとして栄えたのか。その歴史に迫った。
福知山駅を出る蒸気機関車(昭和46年)
福知山の鉄道の歴史の始まりは明治32(1899)年。JR福知山線の前身となる阪鶴鉄道の大阪―福知山南口間が開業した。当時、鎮守府のある舞鶴と京都・大阪との連絡が経済上も軍事上も重要視されており、大阪と舞鶴を結ぶ阪鶴鉄道のうち福知山までが先に開通したのだという。福知山―舞鶴間の開通は、それから5年後の明治37(1904)年。これに合わせて福知山南口―福知山間も延伸・接続し、大阪―舞鶴間が全線開通した。
転車台のあった福知山には数多くの機関車が待機していた
その後、鉄道の国有化で明治43(1910)年に京都鉄道の園部―綾部間が開通。同45(1912)年には城崎まで全線開通し、福知山は周辺の主要都市と鉄道で結ばれ、金融や産業が集積する北近畿の中心地として発展することになった。大正12(1923)年には福知山市大江町の河守鉱山から鉱石の輸送を目的にした北丹鉄道が福知山―大江町河守間で開業している。
旧福知山駅の駅舎
昭和25(1950)年には全国27カ所にしか設置されなかった鉄道管理局の一つとして、福知山鉄道管理局(現在のJR西日本近畿統括本部福知山管理部)が設置される。福知山の鉄道の歴史に詳しい元国鉄・JR職員の塩見充男さん=福知山市=によると、関西地域にあった鉄道管理局は大阪、天王寺と福知山の3カ所だけだったといい、福知山鉄道管理局は山陰線(福知山―居組間)と福知山線(福知山―広野間)、舞鶴線(福知山―松尾寺間)、宮津線(西舞鶴―豊岡間)、播但線(和田山―京口間)の計448キロを管轄。昭和40(1965)年ごろには5700人以上の職員を要した。福知山だけでも1千人以上が勤務し、駅周辺は鉄道病院や職員宿舎ができるなど、周辺の商店街のにぎわい創出に大きく貢献した。
高架化された線路を走る特急「こうのとり」
その後、電化や国鉄の民営化など鉄道をとりまく環境は大きく変化し、福知山駅は鉄道の要衝として、その存在感を強めていた。一方、自動車が普及し、駅の南側を通る国道9号沿いの開発が進むと、福知山駅は市街地の南北を分断し、踏切が交通渋滞を生むなど、まちの発展を阻む存在に。そのため昭和58(1983)年には京都府と福知山市が線路の高架化と周辺の大規模な整備構想をまとめ、平成26(2014)年までの約32年間という年月と315億円の巨費を投じて高架駅の建設や延べ6.1キロに及ぶ線路の高架化、9つあった踏切の廃止、南北をつなぐ4本の道路を新たに整備するなどして市街地の利便性を大幅に向上させた。
平成11年にはポッポランド1号館の開館1周年を祝う式典が行われた
「盆や正月には客車に乗れなかった人たちを機関車(客車をけん引する車両)に乗せて輸送したこともあった」と昔を懐かしむのは、元国鉄職員の山本偵二さん=福知山市。山本さんは福知山の鉄道の歴史などを紹介する展示施設「福知山鉄道館ポッポランド」の整備に携わり、福知山SL保存会の初代会長としても、まちの活性化に大きく貢献してきた人だ。
広小路商店街にあるポッポランド2号館には、「C58形」機関車が今も展示されている
平成10(1998)年、北丹鉄道の福知山西駅跡に保存されていた「58形」機関車が放置されたままだったことを憂いた山本さんは、当時の市長に車両の保存・活用を訴えた。こうした活動が実を結び同年、新町商店街にポッポランド1号館が整備され、西駅の改札など北丹鉄道にまつわる品々や機関車の動輪、Nゲージのジオラマなどを展示。平成12(2000)年には58形機関車を広小路商店街に移設して2号館もオープンするなど、「鉄道のまち」をPRしてきた。
20年にわたって運営されてきた1号館だったが、施設の老朽化に伴い平成30(2018年)3月で休館。一時は閉館も危ぶまれたが、当時のSL保存会が市議会にポッポランドの再開を請願して採択されると、市は「あり方検討委員会」を立ち上げ、結論として「ポッポランドを分散して展示」との提言をされたが、SL保存会は一括展示を強く要望。ちょうどその頃、福知山ゆかりの元会社役員からポッポランドの新築移転のためにと2億円の寄付があったことを追い風に、市は福知山城公園内に新しい鉄道館を建設することを決めた。
福知山城の近くに整備される新しいポッポランド(仮称)の完成イメージ
今夏の完成を目指して建設が進む新しいポッポランド(仮称)は「歴史展示」と「交流体験」の2つのエリアが整備される。歴史展示エリアでは「鉄道のまち福知山」の歴史を紹介するほか、福知山駅周辺の変遷が分かるよう高架前と高架後のジオラマ模型を展示。車両のヘッドマークや制服など旧ポッポランドが保有していた貴重な品々を展示する。
交流体験エリアは鉄道に関する企画展示を定期開催するほか、鉄道関連のおもちゃを置いたキッズスペース、蒸気機関車に石炭をくべる機関助士の体験コーナーや運転シミュレーターなども整備されるという。
本記事で使わせていただいた福知山駅周辺の昔の写真は、元国鉄・職員の大地洋次郎さん=福知山市=が撮影された作品が大半を占める。90代の山本さん、80代の塩見さんや大地さんはいずれも、「鉄道とともに人生を歩んできた」と口をそろえる。3人は新しい鉄道館の完成に大きな期待を寄せており、塩見さんは「福知山の歴史を語る上で鉄道は欠かせない。このまちが、鉄道とともに発展してきたという歴史を、次の世代に語り継いでほしい」と願っている。
【となりの与謝野の鉄道の歴史はこちらから!】
https://www.uminokyoto.jp/column/post/102/
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