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「雷に打たれたような衝撃とはこのことか」と一枚の写真の前で私は立ち尽くしていた。
2021年12月11日東京国立近代美術館『民藝の100年』展最後の展示室でのことを、死ぬまで忘れることはないと思う。
私は2021年9月に故郷の東京を離れ、関西へと移住した。「食事の時間が楽しみになるような良い器をつくる仕事をして、その仕事で得た報酬で良い器を買う」という目的のためだ。幼い頃から自分で選んだ器を収集し使うことが好きだったため、陶芸を学べる学校ややきものの産地がたくさんある関西への移住は、私にとって天国に引っ越すようなものだった。私がひとりで選びとった私の選んだ道。娘はずっと東京にいるものだと思っていた両親を尻目に、私は家を出た。関西で陶芸家さんのアシスタントとして陶芸と向き合う日々の中、陶芸と深い関わりのある「民藝」の展覧会が東京で見られることを知り、東京に帰省した。
「民藝」とは「民衆的工芸」の略語で、名もない職人たちが日々使う庶民の生活道具のためにつくった民藝品には、「簡素で飾らない健康な美しさ」=「用の美」があり、この「用の美」こそ「民藝の美」だという考え方だ。私は民藝をもっと学べたら良いなと、軽い気持ちで美術館へと向かった。民藝の100年展最後の展示室「衣食住のデザイン」で私を待っていたのは、民藝運動の主唱者である柳宗悦さんが、私の父の職場である日本料理店で食事をしている写真だった。
私の父は板前だ。私が起きるより早く家を出て、私が寝てから帰ってくる、年末には御節の準備で帰ってこない、寡黙で仕事熱心な人だ。そんな父の働くお店は民藝ととても関わりの深いお店なのだと、この時初めて知った。その事実と同時に、私がひとりで選びとったと思っていた私の道は、気づかないうちに父から影響を受けて見つかった道だったのだと自覚した。
毎年GWの家族旅行は民藝と関わりの深い益子焼の陶器市。家に飾られていたのは、民藝運動のメンバー芹沢銈介さんの型染カレンダー。父が休日に作ってくれた料理を盛りつけていたのは、日本全国の土のぬくもりを感じる器たち。近くにありすぎて気づかないほど、民藝や陶芸はずっと私の毎日を豊かに彩ってくれていたのだと思う。
私の選んだ道は、家族との食事の時間を大切に、豊かにしてくれていた父からの贈り物。寡黙な父は、言葉の代わりに美味しい料理で私に進む道の道標を贈ってくれたのだと思う。
家を出る日に父が小さな声で絞り出すようにくれた「頑張れよ。」の言葉を胸に、今日も私は器をつくる。いつか私がつくった良い器に父の料理が盛りつけられる日を夢みて。
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