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鴨川真発見記 平成27年12月

 第214号 鴨川流域に生息する生き物達

“「虫」なの?”な生き物のお話し

 今回は、鴨川流域に生息する生き物のうち、現在では虫とは認識しない生き物で江戸時代は「虫」とされた生き物のお話しをご紹介したいと思います。

 最初に、動植物の名前は学術的にはカタカナ表記しますが、一般的には常用漢字表にその漢字があれば漢字、なければひらがなで書きます。

※常用漢字

 常用漢字は、一般の社会生活おいて使用する目安として1,945字の字種と音訓が選定されています。

 と前置きをさせて頂いて、生き物の漢字表記の?なお話しです。

 この記事を書くキッカケとなったのは、皮革の造形作家 河野 甲 氏のカタツムリのお話しの中に興味深いものを感じたからです。河野氏にはカタツムリの魅力に惹かれ、様々な資料を収集され、その生態や人との関わりの歴史などのお話しを聞かせて頂きました。

<虫の王様 スズメバチ 皮革造形(作:河野甲氏)>

 そのお話しの中で知ったのは、江戸時代の虫という概念でした。当時の日本では生き物の分類も進んでいなくて、現在では「は虫類・両生類・甲殻類」といった分類の生き物も「虫」というくくりで認識されていたそうです。

<殻は本物 胴体は樹脂 カタツムリ造形の数々(作:河野甲氏)>

 河野氏の興味の対象であるカタツムリも漢字で表記すると「蝸牛」です。

 そこで、これまで鴨川流域で目にした生き物の中で、現在ではそれって「虫?」という漢字名に虫をもつ生き物を写真画像と共ご紹介します。

蝸牛(カタツムリ

 カタツムリは、でんでん虫とも呼ばれています。まさしく「虫」の扱いです。

 その名の由来は「出出虫(ででむし)」で“出ろ出ろ”と殻から出てこいという意味で、それが転じて「でんでん虫」となったようです。

 「でんでんむしむし かたつむり」の歌い出しで始まる唱歌“でんでんむし”のメロディーが頭に響きませんか。

<蝸牛(カタツムリ)「♪つのだせ やりだせ あたまだせ」>

 それでは、そのほかの生き物達を「広辞苑(岩波書店)」の解説を交えながらご紹介したいと思います。

蛞蝓(ナメクジ)

 カタツムリが殻を脱いだらナメクジと思っている方もおられるのではないでしょうか。ナメクジはカタツムリと同じ有肺目の仲間ですが、殻が完全に退化したものだそうです。

<蛞蝓(ナメクジ) 殻は退化して見あたりません>

(広辞苑より)

「ナメクジに塩」

 ナメクジに塩をかけると縮むように、すっかり恐れて萎縮するさま。

 苦手のものに出会った時などにいう。

蛇(ヘビ)

 細長い生き物は「見るのも」「触るのも」「食べるのも」苦手という方も少なくない様ですが、その苦手ランクトップは「ヘビ」ではないでしょうか?

<蛇(ヘビ) くねくねと進みます>

<頭はこんな感じ>

(広辞苑より)

不吉なもの執念深いものとして嫌われますが、神やその使いとするところも多い。

古名:くちなわ、ながむし、かがら

 こちらも古名に「ながむし」と虫が出てきます。それにしても、カラスと同様に吉凶両面の扱いを持つ生き物の存在は、先人が自然から感じとった「生物多様性」の考え方が根底にあるような気がします。

蜥蜴(トカゲ)

<蜥蜴(トカゲ) 様々な種類がいます>

(広辞苑より)

一種のトカゲは尾を切断して敵から逃げますが、尾はまた再生します。

「トカゲの尻尾切り」

 尾を押さえられたトカゲがそれを切り離して逃げるように、責任を下位の関係者にかぶせて逃げること。

 巷にあふれる不祥事関係の報道が思い浮かぶのは私だけでしょうか。

蚯蚓(ミミズ)

 ヘビ同様に細長いミミズです。のらりくらりと地面を這い回る姿を御覧になったことがあると思います。

<蚯蚓(ミミズ) 水分不足で少し弱りぎみ>

<こんなに大きな“シーボルトミミズ”も>

(広辞苑より)

漢方生薬では、解熱、鎮痛、利尿、解毒。

「ミミズ腫れ」 

 皮膚の傷跡がミミズの様に赤く腫れ上がる

 ミミズ腫れになるほどの傷を負えば、熱も、痛みもあるでしょう。その傷にミミズの薬効があるようです。ミミズをエサにしている他の生き物達もその恩恵を受けているのでしょうか。

蟹(カニ)

 皆さんよく御存知のカニです。ズワイガニのシーズンですね。海にも川にも沢にもいるカニにも虫の字が入っています。

<蟹(カニ) サワガニ>

<蟹(カニ) モクズガニ 写真提供:京都府賀茂川漁業協同組合>

(広辞苑より)

「カニの穴入り」

 あわてふためく様のたとえ

「カニは甲羅に似せて穴を掘る」

 人は自分の分相応の考え方や行いをするものとの意味

「分相応」心に留めて置きたい言葉ですね。

蝦(エビ)

 カニと共に美味しいエビも江戸時代には「虫」とされた仲間です。子供の好きな「エビフライ」も虫と聞けば「エ~!」という感じですが、反対に現在「虫」と認識されている生き物も江戸時代には「抵抗なく食されたのでは」と少し納得です。

<蝦(エビ) ヌマエビ>

(広辞苑より)

 食用として重要なものが多く、また長寿の象徴としてめでたい動物とされる

「エビで鯛をつる」

 少しの元手で、またわずかの労力により多くの利益を得る

 魯堂雑話「才芸もなくして高官を得んとする。是もエビにてタイをつらんとする人なり」

 あなたの周りにもこんな人・・・。

蛙(カエル)

 カエルは虫を食べるから「蛙」くらいに考えていましたが、カエルそのものが「虫」と認識されていたのですね。「ゲロゲロ」「ゲコゲコ」「グワーグワー」「リンリン」カエルの鳴き声も様々ですね。

<蛙(カエル) ウシガエル>

<蛙(カエル) トノサマガエル>

<蛙(カエル) アマガエル>

(広辞苑より)

古来、人間に近い存在で田や雨の神様とする地域もある

「カエルの行列」

 (後足で立った蛙はその眼が背後にあって前方を見ることができないからいう)向こう見ずの人々の集合

「カエルが兜になる」

「成り上がりのたとえ」

狂言:成り上がり「さて蛙が兜虫になり、燕が飛び魚になる」

※成り上がり 低い身分や地位のものが出世すること

 「成り上がり」豊臣秀吉の様な人の事ですね。そこまで出世欲は私にはありませんが。

蝙蝠(コウモリ)

 夕暮れになると、鴨川流域でも川の上を数多くのコウモリが飛び交う姿を目にします。薄暗い空を素早く飛び回るのでカメラに収めるのは大変です。飛んでいる姿の写真でハッキリした写真は手元にはありません。

<蝙蝠(コウモリ)夕暮れ時に>

<我が家に迷い込んだコウモリ>

(広辞苑より)

前肢の指が長くのび、その間にある飛膜が翼に変形して哺乳類では唯一よく飛ぶ

(獣なのに鳥のようによく飛ぶことから)情勢の変化を見て優勢な側に味方するものをののしっていう言葉

虹(ニジ)

 最後にご紹介するのは、「そもそも生き物ではないじゃない」というニジですが、このニジにも虫がいる理由があるようです。

<虹(ニジ) 鴨川のニジ (写真提供:公益財団法人鳥類保護連盟京都)>

(広辞苑より)

虹蜺(ニジ)

古くは竜の一種と考え、雄を虹、雌を蜺といった

 昔、ニジは大空を駆け抜ける「竜」という生き物とされていたようです。「まんが日本むかしばなし」のオープニングの映像を想像させるお話しです。

 かつて虫と認識されていた生き物に注目して調べてみると、先人の「ことわざ」の意味も改めて理解する事ができました。人間と生き物の関係の深さを再認識し、皆様にも「生物多様性」について考えるキッカケになればと思います。

 

平成27年12月2日(京都土木事務所Y)

 

 第215号 大宮自然探検隊 渡り鳥に出会う

「賀茂川の野鳥観察」バードウオッチング開催

 京都市内には古い歴史を持つ小学校が多く、近く100周年を迎える学校も少なくないようです。

 そんな古い歴史を持つ学校の1つ、京都市北区の大宮小学校も平成29年度に創立100周年を迎えます。

 100周年を記念した記念誌作りの取り組みが進められています。大宮学区に隣接する賀茂川(鴨川)の自然を観察して、記念誌に盛り込む準備をされています。

 その取り組みの一環の1つとして、平成27年12月6日(日)に御薗橋から西賀茂橋の間の河川敷きで「賀茂川の野鳥観察」バードウオッチングと題して探鳥会が開催されました。

<大宮自然探検隊② 渡り鳥に出会う>

探鳥会ポスター

 今回は、その探鳥会の様子をご紹介したいと思います。指導は公益財団法人日本鳥類保護連盟京都の事務局長の中村桂子氏をはじめとするスタッフの皆さんです。

 参加者の皆さんは、午前9時30分から約30分間、野鳥観察のコツを中村氏から指導を受けて、フィールドに飛びした参加者の皆さんは、普段何気なく眺めている鴨川で、多くの野鳥を観察されました。

 私は、一足先に鴨川へ向かい野鳥の様子を下見です。御薗橋上流では、自然にできたワンドに小魚が群れています。

<自然にできた“ワンド”>

<小魚の群>

 「今年の紅葉はあまり綺麗でなかった」という声を聞きますが、終盤を迎えた紅葉の中には、充分見ごたえのあるものもあります。見上げると真っ赤に色づいた紅葉がそこにありました。

<晩秋の鴨川>

<見上げると真っ赤な紅葉>

 水中に潜っては浮かび上がる小さな野鳥は“カイツブリ”です。6羽程の“カイツブリ”が見えました。

<水面に浮かぶ“カイツブリ”>

<羽繕いする“カイツブリ”>

 御薗橋の左岸上流で、大宮自然探検隊の到着を待っていると、京都学生駅伝競走大会のスタッフの方が選手達の通過を待っておられました。お声掛けして、大会のチラシを頂きました。

 そのチラシには、「箱根に次いで伝統のある駅伝」とあります。知名度は低いようですが、伝統ある大会のようです。しばらくすると、勢いよく選手の皆さんが通過していきました。

<京都学生駅伝競走大会>

京都学生駅伝競走大会ポスター

<京都学生駅伝大会>

<最後尾の選手>

 選手達を見送ったところで、大宮自然探検隊の皆さんの姿が見えましたので、一行に合流する事にしました。その途中で“カワセミ”に出会いました。思わずカメラを向けてシャッターを切りました。

<“カワセミ”発見>

<飛び去る“カワセミ”>

 フィールドスコープでヒドリガモを観察されている皆さんに、すぐ傍で“カワセミ”を見たけれど飛び去った事を伝えました。「もしかしたら観察する事ができるかも」と期待が膨らみます。

<フィールドスコープを覗く参加者の皆さん>

<その先には“ヒドリガモ”の群れ>

 御薗橋を渡り、左岸へ移動して“カイツブリ”を観察し、頭上の樹木に“コゲラ”を観察しました。

<木の幹をノックする“コゲラ”>

<尖った「クチバシ」>

 そして、そろそろ時間も迫ってきたので大宮小学校へと移動を開始したところ、一行の後方から“カワセミ”発見の声が上がりました。

 あわてて引き返すと、フィールドスコープの中に対岸の“カワセミ”の姿がありました。枯れ枝に留まりこちらを見ているようでした。しばらくすると、水面スレスレを猛スピードで飛び去っていきました。

<枯れ木の上に“カワセミ”再発見>

<再度飛び去る“カワセミ”>

 なにはともあれ、参加者の皆様の期待に応える事ができました。やはり“カワセミ”は探鳥会の花形です。最後に“カワセミ”で探鳥会を締めくくる事ができました。

 大宮小学校横の大宮会館へと移動し、「鳥あわせ」(今日見た野鳥を確認)して、少しの時間野鳥観察しただけでも二十数種の野鳥を観察できたことは、参加してくれた小学生にも自然に関心を持つキッカケになったのではないでしょうか。

 数日後、探検隊で辿ったコースを歩いていると、“ヨシガモ”が姿を見せてくれました。鴨川ではこの一羽だけが居着いているようです。太陽に照らされて頭の緑色が輝いています。取ってきた草をちぎろうと盛んにその頭を振っていました。

<鴨川で一羽だけ“ヨシガモ”の雄>

<飛び散る水しぶき>

 皆さんも寒さに負けず、双眼鏡片手に冬の鴨川の野鳥を観察してみてはいかがでしょうか。

 

平成27年12月7日 (京都土木事務所Y)

 

 第216号 ぼくのかも川さんぽ図鑑3 かも川かんきょう新聞

京都新聞小・中学生新聞コンクール 京都市教育長賞受賞

 この度、ノートルダム学院小学校4年生の西山和治郎君が、京都新聞小・中学生新聞コンクール2015で京都市教育長賞を受賞されました。

<京都市教育長賞 京都新聞社2階ロビーに展示された作品>

 西山君の鴨川に対する熱い思いが伝わってきます。彼の鴨川でのひたむきな調査の成果はこれまでにも「鴨川真発見記」でご紹介してきました。

 その取り組みは、さかのぼる事3年前当時小学校1年の秋から始まりました。夏休みが終わった秋から翌年の夏休み終了までの1年間生き物を調査した「ぼくのかも川さんぽ図鑑」の内容は第143号「小学2年生の目で見つけた鴨川」でご紹介しています。

 そしてその翌年も違った視点で1年間調査した結果をまとめた、「ぼくのかも川さんぽ図鑑2 かも川生き物マップ」は、京都市環境政策局主催の「まちかど生き物マップの個人の部「最優秀賞」を受賞されました。

 その内容は今年の1月24日に開催された“第8回近畿「こどもの水辺」交流会”で発表されました。

<ぼくのかも川さんぽ図かん2>

<第8回近畿「子どもの水辺」交流会で発表する西山君 当時小学3年生>

 今年は4年生になり2年間調査した生き物への視線からゴミ問題へ波及して素晴らしい新聞が完成しました。それではその内容を詳しくご紹介させて頂きます。

 トップ見出しは<身近なクールスポット“かも川” 「そうだかも川へ行こう」>

 この項目では、鴨川と高野川の合流点で水に親しむ人々の楽しげな様子が紹介されています。結びの文章では外国人観光客に着目し「冷たい川の水に足をつけ“キャーキャー”楽しいさけび声を上げるのは世界共通だとわかった」と分析されています。

<身近なクールスポット“かも川”「そうだ、川へ行こう!」>

 続く項目では、「人いっぱいゴミいっぱい生き物は・・・?」の見出しで、楽しく遊ぶ人が多い中でゴミも溢れている事に注目し生き物達への影響を心配する中、自らがゴミを拾ってその内容を分析されています。

 たくさんの種類のゴミを分析する中で、よく考えてみると「忘れ物や落とし物」が多い事に気がつきます。それは「水着やサンダル」などのまだ使えるものの存在です。

<人いっぱい、ゴミいっぱい、生き物は・・・・・?>

 西山君がゴミを拾っていた時に遭遇した光景をお母さんから伺いました。彼がゴミを拾って回っていた夕暮れ時、目の前で若者が花火をして遊び終わった花火を鴨川に投げ入れている場面に遭遇したそうです。

 彼は強い憤りを感じ「注意してくる」と言ったそうですが、お母さんに制止される一幕もあったそうです。

 続いての見出しでは「生き物からのSOS 川の水を守って!」とした上で、「寄州にはカルガモの巣があり子育てをしていたり、たくさんのサカナの卵も産まれている事知っているだろうか」と指摘しています。

 そして“名台詞”が誌面に踊ります。「川は水が流れているだけでは川ではない。魚や鳥や虫やいろいろな生き物がいてこそ川なのだから人も魚も鳥もみんなが安心してくらせる場所であってほしい」と川に対する熱い想いがつづられています。

<生き物からのSOS「川の水を守って!>

 最後の結びの項目では、「美しい川が未来へのプレゼント」と題して、カワセミの絵が添えられて、京都府が制定した「京都府鴨川条例」が紹介されています。

 様々な約束事があるにもかかわらず、ゴミやマナーの問題がなくならないのは何故か「川が生き物の王国」であることを忘れてしまったからではないかと分析されています。

 その上で、美しい鴨川を未来に引き継ぐために何が必要か「何も特別な事をする必要はない」とし「自分がされてやなことはしない。自分がされてうれしいことをする」当たり前の事をやってみようと呼びかけています。

 最後に「ぼくの、ぼくたちのみんなの大切な川なのだから」と締めくくられています。

<美しい川が未来へのプレゼント>

 鴨川真発見記的には、「京都府鴨川条例」に着目する中で、調査し分析し鴨川を美しくする行動を呼びかける内容に感動しました。小学2年生の時の「ぼくのかも川さんぽ図かん1」では、「鴨川博士」といわれる様になりたいと夢が語られていましたが、着実に成長しながらその階段を登っておられる様です。

 小学4年生の少年の多角的な調査と分析に脱帽です。西山君と同じ思いを持った小学生が増える事を願いつつ今回の記事を終えたいと思います。

 

平成27年12月14日 (京都土木事務所Y)

 

 第217号 鴨川源流域雲ヶ畑をさまよう

桟敷ヶ岳頂上を目指して

 鴨川の事を見つめはじめて4年半が過ぎました。鴨川は雲ヶ畑の桟敷ヶ岳から始まるという事は当然知ってはいますが、その桟敷ヶ岳の頂上までは行った事がありませんでした。

 桟敷ヶ岳へ向かう途中の「足谷」の事は鴨川真発見記第196号第197号でもご紹介しましたが、今回は雲ヶ畑の地元山主さんの案内で桟敷ヶ岳を目指しました。

<この先の桟敷ヶ岳を目指します>

 その前に、雲ヶ畑に伝わる伝説のスポットにご案内頂きました。登山道とは違う道無き山肌の急斜面を這うようにしてそのスポットを目指します。

 雲ヶ畑の地元のみなさんも聞いた事がある、探して見たが見あたらない。そんなレアなスポットです。今では古老の久保常次さんしか知らないスポットで、御自身が体力的に案内できるうちに後継者に伝える機会をと他の山主さん2名と地元の2名を案内されるということで同行が叶いました。

<登山道ではない入口>

<祖父谷川を渡って山の中へ>

<前日の雨で水量が多くなった沢>

 その言い伝えは、惟高親王が鷹狩りをされた時に傷ついた鷹がそのスポットで水浴びをしたところ傷が癒えたというもので、「鷹の水はぎ」と名付けられた場所です。大きな岩の下にほこらの様にできた洞窟で、水が年中絶える事無く湧き出る場所です。

<目指すはこの急斜面の上>

 道無き急斜面を沢を渡りながら比較的登りやすいルートを探りながら進みます。足元は滑りやすく、やっとの思いで踏み出した一歩が無情にも後ずさりとなるような急な斜面に息が切れ、12月というのに汗が噴き出します。

<沢渡りながら>

<急斜面を行く>

<治山堰堤の原形か>

<水飲み場か 石積みの構造物>

 この急斜面をおよそ40分格闘しながらひたすら登っていくと、大きな岩が見えてきました。その大きな岩の下に穴が見えています。私の頭からはふかした肉まんの様に湯気が立ち上っていると笑われましたが、やっとの思いで到着です。

<足の置き場を確認しながら>

<大きな岩が現れました>

 先に洞窟の中を見るみなさんの「これはすごい」の言葉を聞きながら、息を整えてまだみぬ光景を楽しみに待っていました。

<これはすごい>

<ホントに凄い>

 ひととおり中を見終えた皆さんの後に中を覗いてみると、滔々と湧き出る水と苔が何とも言えない神秘的な光景をかもし出しています。地元の山主さんでさえ見る事が出来なかった「鷹の水はぎ」が目前にありました。

<岩穴を覗いてみると>

<年中かれない水>

<湧き出る水>

 山主さんから「鷹の水はぎ」では意味がよくわからないので、何かいい命名してよとご注文がありました。「鷹のいやしみず」とでも命名しましょうか。

 ここまでの道のりの険しさも吹き飛ぶすがすがしさを味わう事ができました。大きな岩の上には大きな木が生えていて、この岩には水分が多く含まれていることがわかります。

<岩の上に生える樹木>

 しばし休憩をして、桟敷ヶ岳頂上を目指してハイキング道を進みます。先程までの険しい道のりとはうって変わってなだらかで歩きやすい道を進んでいくと、これまた惟高親王にまつわる言い伝えのある「都(みやこ)眺めの石」に到着です。

<登山道を目指して>

<急斜面を更に登ります>

 京(みやこ)から逃れて雲ヶ畑に身をよせておられた惟高親王が、懐かしんで眺めた京の都をこの石の上から眺めたという石です。残念ながらかすんですっきりとした京は見えませんでしたが、うっすら鴨川も見ることができました。

<みやこ眺めの石>

<惟高親王の気分>

<山の彼方に京都の町並み>

 さらに15分ほど進むと、待望の桟敷ヶ岳頂上に着きました。数人の登山客の皆さんが、眺望をおかずに昼食を取っておられました。

<桟敷ヶ岳頂上を目指して>

<桟敷ヶ岳頂上>

<桟敷ヶ岳 895.8m>

<眺望をおかずに昼食>

<しばしの休憩>

 ここからが、「さまよう」の始まりです。3人の山主さんの案内ですが、山のルートは様々で、どっち行けば次の目的地「3本杉」へ行けるのか半信半疑でとにかく前へ進みます。

「おーい、そっちは大森へ抜けるんじゃないか?」の声もあがり、ますます不安がつのりますが、少年時代のあて無き山歩きのようで「わくわく感」も出てきました。

<大森の集落>

 7人という人数と、山主さんと一緒という事もあって不安よりも「わくわく感」のほうが強くなってきたとき、目指す道が間違っていなかった事を示す案内札がありました。「ナベクロ峠」ほっと一安心です。

<ナベクロ峠>

 そこで久保さんが枯れた大木に大きな猿の腰掛けを発見です。薬効があるとされる猿の腰掛けです。山主さんもこんな大きなものは見た事がないと驚いておられました。

<大きな「猿の腰掛け」>

 祖父谷峠まで15分の案内札に、期待して先を急ぎます。樹齢500年を超えるとされる杉の木が3本ならんでいます。昔京北から牛馬に載せた薪炭を京の都に運んだ最短ルートで、この後雲ヶ畑を通過して京を目指す時、峠の休憩場所だったそうです。この杉に牛馬をつないで一服されたとの事でした。

<祖父谷峠の休憩場所「三本杉」>

 その傍に、水が湧き出ています。これが源流のわき水かとシャッターを切り、その時出会った登山の方にも「これが鴨川の源流です」とお伝えしたのもつかの間、「源流はこっちですよ」と先にゆく山主さんから声がかかりました。

<今日の源流> 

 今回は、「今日の源流」ということでひとまず納得して、又の機会に湧き出る源流を見に行くことにして、途中牛馬が歩く為に整備されていた石積みのなごりを確認しながら一路下山しました。

<石積みで整備された道>

<今では崩れている場所も>

 山主の皆さんも今回の道のりは厳しく、「足やひざが痛い」とおっしゃっていました。2時間程度の行程と見積もって始まった今回の山歩き(さまよい?)は結局5時間近いものとなりましたが、多くの名所を拝見できる貴重な時間となりました。

 久保さん夫妻をはじめ、雲ヶ畑の地元のみなさんに感謝して、この報告をさせて頂きます。「本当にありがとうございました」

 

【追伸】

 記事本文を書いてから、手元にある惟高親王関連の資料を読んでみると、桟敷ヶ岳の名の由来や「みずはぎ」に関する言い伝えの記述を見つけました。

以下にご紹介したいと思います。

惟高親王 京都の伝説民話1 

昭和43年3月31日発行

著者 京都府立総合資料館資料部

発行 京都府立総合資料館

京都府立図書館蔵書

雲ヶ畑 北区

大神家文書 「小野の里」二号

桟敷ヶ岳は、親王がこの頂に桟敷を組んで都を望見され、なつかしがったことからこの名がついたといい、この山の東斜面の、みづはぎの泉は親王が飼っておられた鷹の飲水に供した水羽着の泉であるとか、山頂には親王愛用の鞭が根を生じて出来た竹林があるとか、愛馬を飼った厩の跡があって、そこに財宝が埋められているとか、伝えられる。

雲ヶ畑桟敷ヶ岳 なんともロマン溢れる伝説の地でした。

 

平成27年12月14日 (京都土木事務所Y)

 

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