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鴨川でも様々な生き物が繁殖しています。中州や寄州でも繁殖する野鳥達がいます。中州や寄州の管理は現在試験的に除去を進めています。
その中州や寄州の野鳥にとっての役割は「野鳥にやさしい」という抽象的な言葉では耳にするものの、具体的にどんな世界が繰りひろげられているのかを知る機会は少ない様に思います。
石がごろごろと転がる礫河原で繁殖する「イカルチドリ」「コチドリ」の行動を継続して記録されている方がおられます。日本野鳥の会京都支部の会員の三宅さんで、長年野鳥を追いかけておられます。
この方の報告書を頂く機会を得ました。礫河原の中州はなだらかですので、少しの増水で水没します。そこに巣を作る「チドリ」の孵化前の卵は川の流れに流されてしまいます。
チドリが礫河原で繁殖するメリットについて報告書から抜粋させて頂きます。
<報告書から抜粋>
うまく環境に溶け込んでいるのでチドリが動かないと分かりません。見つけても少しでも目をそらすとどこにいるのか分かりません。それほどチドリの姿や色は中州の環境に溶け込んでいます。
<周囲の環境に溶け込むコチドリ>
<水辺で生きる>
巣は砂礫地の窪みであり、巣材はほとんどなし、卵はそこらへんにある小石とそっくり、雛も小石が二つ並んだようなものであります。(頸部が白い羽であるので、頭部と胴部が分断された模様となり、大小の小石2個に見える。)
<営巣準備 ここはどうかな>
<ここに卵を産みませんか>
<気に入りましたとメスが応じます 上:オス 下:メス>
<卵はどこに?>
<近づいていきます>
<抱卵しました>
<雛が生まれました>
<雛の向こうにもう一つの卵>
<雛を守りながら抱卵>
彼等の敵は、だませる天敵ではなく、鳥を知らない、鳥など眼中にない人間や犬であります。遊びで中州に入った彼等に踏みつけられることほど残念な事はありません。
とあります。
じっくり時間をかけて目を凝らさないと、その行動を見る事は出来ません。カモフラージュが完璧なチドリだからこそ、丸見えの礫河原で繁殖を続ける事が出来るそうです。
先程、孵化前の卵は増水で流される事があると紹介しましたが、三宅氏は、孵化した雛はどなるのかとても心配になったそうです。チドリの雛は孵化してから飛べる様になるまで3週間、その間に増水したら・・・。
大雨のあと三宅氏が目にされ、撮影された画像を御提供頂きましたのでその様子を三宅氏が感じとられた物語の解説でご紹介しましょう。
<報告書より>
浅瀬を走る雛。まだ軽度増水です。走っての移動。 2014/07/02
水没するかもしれない州で、不安げな雛3羽。
この繁殖地では、4卵孵化したが、孵化直後に1羽が保護された。その雛は3日後に死亡。この雛3羽は孵化後5日目くらいとおもわれた。 2014/07/02
すぐ横の小さな州に移動。足が届いているのだろうか、泳いでいるようにもみえる。 2014/07/02
大きな州に移動するため川に入る雛。親が誘導しているとおもわれる。 2014/07/04
躊躇なく川に入る。泳ぐ事は覚悟の上か、怖くないのだろうか 。 2014/07/02
ここではもう足は立たないだろう、とおもわれる。とすると泳いでいるのだ。
残る2羽も後に続く。親が誘導しているのだろう。
この2羽も躊躇なく川に入る。淡々と恐怖なく行動しているようだ。
ここは深い。この画像は泳いでいるとおもわれる。
一つ目の難関泳ぎ切ったところ。
小さな州に上がればそこには親鳥が待っていた。2羽と右端には見えにくい親鳥がいる。
その待っていてくれた親に甘えず、無言で通り過ぎて、次の州へ移動。
また少し泳がなければならない。
親は雛の誘導のため、飛び上がり、前方へ。雛2羽とその上を飛ぶ親鳥、次の誘導のために前方へ。
雛2羽は、また泳がなければならない。苦難の連続だ。
親の待つところへ一直線。
親のところまで、もう少しだ。
やっと親の元に、とおもったのだが。
あれあれ、また、親に甘えることなく、素通りだ。
やっと大きな州の端に到着。雛3羽が集合する。私はほっとする。
その3日後、また増水した。今度は岸に上がっていた。ひどい増水であり、激流なのだ。か弱い雛の泳ぎ力で泳ぎきったのか、まだ飛べないはずだ。雛3羽を確認しよろこんだところ。
疲れているのだろうか、よく座り込んでいた。
護岸場所だけでは餌が少ない。護岸壁を登らねば、餌にありつけない。
親鳥は、警戒、保護や注意はしてくれるが、一切餌を運んでくれない。
堤防場所や河川敷は餌が豊富だが、散歩人、イヌ、自転車の往来が多い。しかしこのコチドリに気がついている人は意外と少ない。たとえ気がついたとしても「スズメかあ」ということか。
親は常に付き添って、雛を危険から守っている。
親は常に辺りを警戒している。
以上、チドリの雛は泳ぐことができる、という事実の報告です。
と「報告書」は締めくくられています。
更に、三宅氏は泳ぐためには「水かき」が必要と考え、撮りためた写真を確認されたところ、「イカルチドリ」「コチドリ」共に雛と親にわずかながらに見て取る事ができたそうです。
※「水かき」についての紹介がこちらのPDFです。最後の2ページPDF(PDF:175KB)
今回の報告書を読ませて頂いて、水の危険というリスクが大きい礫河原で繁殖するチドリは、孵化しても流されて「かわいそう」という印象が少し変わりました。
リスクを回避して生き延びる能力が備わっているようです。日本野鳥の会京都支部の皆さんも「イカルチドリ」「コチドリ」の雛が泳ぐなんて聞いた事が無いと感想を漏らされていました。そんな驚きの事実を発見された三宅氏のチドリ観察は今年も続いています。
平成27年7月1日 (京都土木事務所Y)
鴨川真発見記第181号では、「ざぶん賞」2013の入賞作文、「鴨川と私」をご紹介しました。鴨川で過ごした思い出がつづられています。
ざぶん賞2015は現在作品募集中です。詳しくはコチラを御覧ください。
鴨川では多くの親子連れが、楽しく過ごしておられます。梅雨の晴れ間となった6月のある日、鴨川の広場で遊ぶ母娘を含むグループと出会いました。
<いい顔ポーズ>
<賀茂大橋をバックに>
ボールを蹴ったり、投げたりと広場を走り回る少女は満面の笑顔を向けてくれました。
<広場を独り占め>
<疲れを知らない少女でした>
<上手にキャッチ出来るかな?>
ひとしきり広場でボールを追いかけた後は、飛び石を初体験です。この日は梅雨時とあって水量が少し多めでしたが、お母さん達に抱きかかえられて慎重に渡ります。
<一人では無理>
<かわいいね パチリ>
途中、海外からのお客様に写真を撮られる場面もありました。亀の形の飛び石の上で一休憩です。上流を向く亀の背中で鴨川を吹き抜ける風を感じたり。お母さんと向かい合ってお話しする微笑ましい姿がありました。
<ここは少し遠いぞ>
<少し水量が多いぞ>
<浦島太郎のお話知ってるかな?>
<母娘の語らい>
この少女も大きくなったら、鴨川で過ごした思い出作文を「ざぶん賞」に応募してくれるといいなと思います。
ざぶん文化賞入賞作文「鴨川と私」をご紹介しました際に頂いたメッセージを一つご紹介したいと思います。この方は鴨川の近くにお住まいの方です。
「私にも二十歳になる娘がいます。その娘もこんな風に思っていてくれたらいいなと思います。この作文を読んで目頭を熱くされた方も少なくないと思います。」
鴨川が親子の思い出の絆を繋ぐのにも役だっているようです。
この母娘と出会った後日、鴨川と桂川の合流点近くにあった龍門堰の管理橋と堰上げ部分は撤去後の様子を見に行きました。
<龍門堰管理橋 撤去前>
<同左 撤去後>
魚が遡上するのを阻害していた堰も取り払われて、魚が往来出来る環境が整いました。魚が遡上する様子は見ることが出来ませんでしたが、ゴイサギとササゴイがまるで親子の様に佇む姿がありました。
<龍門堰 堰上げ部分撤去前>
<同左 撤去後>
ササゴイは、このほど発行されました、「京都府レッドデータブック2015」で「準絶滅危惧種」に指定されている野鳥です。
ササゴイは川の流れを覗き込んで漁の真っ最中のようですが、ゴイサギは少し背の高いブロックの上で「今日は魚は上がって来ないよ。」と言わんばかりに高見の見物です。
<手前“ゴイサギ” 奥“ササゴイ>
<やがて向かい合う>
やがて、下から見上げる“ササゴイ”と上から見つめる“ゴイサギ”が向かいあいました。ササゴイは「魚がとれないよ」とでも言っているかのように少しくちばしを広げています。
<魚が来ないよ>
<準絶滅危惧種“ササゴイ”>
少し小柄の“ササゴイ”と一回り大きな“ゴイサギ”が親子の様に向き合う姿に、飛び石で見つめ合う母娘の姿がオーバーラップするのは私だけでしょうか。
龍門堰は撤去されましたが、魚の遡上を阻害する落差工は鴨川には幾つも設置されています。その落差工の幾つかに「京の川の恵みを活かす会」の皆さんが「仮魚道」を設置されています。その様子も拝見してきました。
2種類のタイプの仮魚道です。木枠のタイプは木枠に溜まった水を利用して魚がジャンプして落差を越えます。スロープのタイプはそのまま魚が泳いで落差を越えます。
この日は、水量が多いものの水温が低いため、魚の遡上があまり確認出来ないと遡上数を数えておられる方から説明を受けました。先程のサギ達もこれが原因で不漁となっていたのでしょうか。
<木枠の下のたまりからジャンプ>
<右のスロープを泳ぎ切る>
話は飛びますが、鴨川は御存知のとおり、直線的に流れています。その鴨川の市街地部分から、山の上に大きな舞台が目に入ります。鴨川を歩いていて、色んな場所から見えるこの舞台、あそこからの眺めはさぞかし絶景だろうと思っていました。
飛ぶ事は大変なので、鴨川を鳥瞰するのは難しいですが、高い所へ行けばその姿を見ることが出来ます。
将軍塚の青蓮院門跡に新たに青龍殿という建物が姿を現し、そこに大きな舞台が築かれました。その説明に「平成26年10月四方の方角を司る四神のひとつ、青龍が護る東山山頂に新たなお堂“青龍殿”落慶しました。」
青龍殿の詳しくは、ネットで検索してみてください。
<鴨川から見える“青龍殿”>
<色んな角度から見えます>
北の玄武(船岡山)、南の朱雀(巨椋池)、西の白虎(山陽道、山陰道)そしてこの青龍こそが、鴨川なのです。青龍殿を訪れたこの日は、霞がかかりクッキリとは見渡せませんが、送り火の「妙、法、舟形、左大文字」の山々が見てとれました。
<青龍殿から眺める京都の市街地>
京都市内を一望できるこの将軍塚の大舞台から、鴨川の出町以北(高野川との合流点より上流から北大路橋付近まで)を真っ直ぐに流れる鴨川を一望する事が出来ます。落差工がその流れを引き立てているようでした。
<北大路橋から出町までの流れが正面に>
空から鴨川を見るという事は、現在ではネットの地図の航空写真で容易になり、アーカイブとして昔の様子も見る事ができます。しかし画像の解像度の関係で詳細に鮮明に見る機会は少ないのではないでしょうか。
そんな中、別件で調べ物をしていた際に貴重な航空写真と出会いました。そんなに古いことは無いのですが、昭和47年の鴨川の写真です。京都府立総合資料館に所蔵されている「京都府京都土木工営所文書」の中にその写真はありました。
勧進橋から出町の合流点まで、幅70cm、長さ7mの巻物のモノクロ写真に当時の町並みと鴨川が大きく写し出されています。京阪電車もまだ地上を走っていた頃の写真で当時を知る方にとっては時間を忘れるような貴重な資料です。
<上流は出町の高野川合流部から下流は勧進橋まで 鴨川と人々の暮らしが>
(出典:京都府立総合資料館所蔵)
走っている車も少なく、市電の路面電車が行き交う様子もハッキリと見る事が出来ます。当時の百貨店の屋上遊園地、京阪電車の駅、疏水の鴨川運河、三条京阪駅横の歩道橋、などなど、懐かしい様子が随所に詰まっています。
鴨川も中州、寄州が少なく現在とは随分と違う様子です。昭和10年の大水害を契機に設置された落差工が並ぶ様子もハッキリ見る事が出来ます。
古くから鴨川沿いにお住まいの方であれば、「ここが私の生まれ育った家です」と指差す事もできるでしょう。
この写真の頃にも、鴨川で過ごした思い出を持っておられる方も多いと思います。当時から憩いの場であったであろう出町の合流部を拡大して御覧頂きたいと思います。この頃はまだ出町の飛び石はありませんでした。
随分昔からそこにあったと思われている風景も、実はそんなに昔からあった訳では無いという事が、現在と対比すると見えてきます。
<昭和47年当時の鴨川、高野川合流部の様子>
(出典:京都府立総合資料館蔵)
今から約30年前に整備された飛び石も、年月を経て、多くの方の思い出の空間となりました。
この航空写真の実物は、京都府立総合資料館で閲覧出来ますが、レプリカを作成しましたのでご希望の方は京都土木事務所で御覧頂くことが出来ます。ご希望の方はお問い合わせのメールアドレスまでご連絡願います。
平成27年7月7日 (京都土木事務所Y)
7月11日(土)は鴨川源流域雲ヶ畑の少し山の中へと初めて足を踏み入れました。今回は、湧き出す源流までは行きませんでしたが、源流域の豊かな自然を体感してきました。
ルートは鴨川の源流桟敷ヶ岳から流れ出る“祖父谷川(そふたにがわ)”を遡り、その支流“足谷(あしだに)”を遡ります。昔の炭焼き窯の跡地が目的地です。
今回ご案内頂いたのは、雲ヶ畑・足谷 人と自然の会の西野さんをはじめとする運営委員のみなさん、そして足谷の山主さん、久保さん夫妻の地元住民の皆さんです。
梅雨時プラス3つの同時発生台風で天候が心配でしたが、なんとか雨は降らない天候で一安心です。集合場所の雲ヶ畑もくもく号の終点岩屋橋に無事全員集合です。
<自己紹介>
<本日の行程確認>
足谷の入口まで、舗装された道路を行きます。坂路の入口では、アジサイが満開で迎えてくれました。年中水が豊富な雲ヶ畑では、苔やシダの類が豊富に岩に茂っています。
<満開のアジサイ>
<苔やシダの類が豊富に茂る>
花の少ないこの時期ですが、よく見ると“ノリウツギ”の白い花が咲いています。“ネムノキ”も先がピンクの花を咲かせています。
<ノリウツギ>
<ネムノキ>
手入れされた北山杉が立ち並ぶ杉林、ここで久保さんのお話しです。昔は一本2万円で売れた杉の木も、今では2千円と十分の一に下落してしまった。床柱の需要も激減している。マンションには床柱は必要とされていないようです。
<真っ直ぐに伸びる杉>
<杉の需要が復活に期待>
春に雲ヶ畑を訪れた時に小さな花を咲かせていた“ハナイカダ”も果実を付けていました。葉の中心付近までが、茎でその先端に花が咲き、果実が実るそうです。葉の裏から透かして見ると茎の様子がよく解ります。
<“ハナイカダ”は“ミイカダ?”に>
<実までが茎>
光沢のある大きな葉っぱのシダの類(クリハラン)です。その大きな葉っぱを裏返すと、シダ類の証「胞子」が付いていました。参加者の間で、「何かに使えそうな葉ですね」との声がありました。
<湿地を好むシダ(クリハラン)>
<子孫繁栄の胞子>
谷筋から流れ出る流れが、祖父谷川へ流れ込み、鴨川へと向かっていきます。山が育んだ澄んだ水がすがすがしさを運んできてくれました。
<山があってこそ、綺麗な水が守られる by久保常次氏>
木々には、あちらこちらにぶら下がる糸状の苔を見る事が出来ます。その名も“キヨスミイトゴケ”です。宿主の樹木から栄養を少し頂いているのでしょうか。
<ぶら下がる“キヨスミイトゴケ”>
人が住むエリアと、山との境界に旅ゆく人の安全を祈る神様(道祖神)がお祭りされています。男性のシンボルが形どられているそうです。昔の街道は切り下げられて林道になったようです。
<高い所に祠>
<男性のシンボルが>
白い花(アカショウマ)を見ていると、ヒラヒラと一行の周りを飛び回る“ミヤマカラスアゲハ”が姿を見せてくれました。ようこそ「雲ヶ畑」へとでも言ってくれているように頭上を飛び回ってくれます。
<白い花(アカショウマ)>
<ミヤマカラスアゲハ>
トゲトゲのあるマメ科の植物は“ジャケツイバラ”です。綺麗な黄色い花を咲かせるそうですが、そのトゲがくせ者です。ズボンに引っかかると、一度後退しないと離れないそうです。よく見ると、トゲを避けるように“シャクトリムシ”がくの字で佇んでいました。
<“ジャケツイバラ”>
<シャクトリムシ>
くしゃくしゃの若葉が先端から出ている植物も見受けられます。その傍には、またまた谷筋から流れる水が糸の様に輝いています。ここでも鴨川源流域を案じる光景です。
<“くしゃくしゃ”の若葉>
<源流を感じる>
祖父谷川(そふたにがわ)の流れを眺めながら進んでいくと、カエデの仲間がお目見えです。秋になると真っ先に綺麗な紅葉を見せてくれるそうです。また秋にこの地を訪れなければとの想いを強くしました。
<カエデ>
<祖父谷川の流れ>
雲ヶ畑の森が育む虫たちも次々と姿を見せてくれます。あまり好かれない“毛虫”やアブの仲間でしょうか。虫たちも懸命に生きています。
<蝶の幼虫 ケムシ>
<看板にピタリと羽ムシ>
アケビも緑色の実をぶら下げています。秋には紫紺色に実って甘い果実をむきだしにします。種が多いですが、自然の甘さが魅力です。
<緑の葉が隠す様に“アケビ”の実>
<陽に照らされるとわかり易い>
いよいよ、足谷の入口まで到着しました。ここから支流を遡ります。この先は、舗装されていない砂利道を行きます。
<足谷から流れ出る支流>
<いざ足谷へ出発>
足谷でも数々の植物を紹介頂きました。ムラサキシキブの小さな花が咲いています。秋には綺麗なムラサキの実を付けます。これまた秋が楽しみになってきました。その下には、“カサゴケ”です。その名のとおり傘をさしたような形をしています。
<ムラサキシキブ>
<カサゴケ>
ぴかぴか光る“トカゲ”もお出迎えです。そこかしこで動き回るトカゲの一匹が咥えているのは、自分の体と同じくらいの大きさのミミズです。大きな獲物を持って“すみか”へ戻っていくようです。
<素早い“トカゲ”>
<体に平行しているのが長いミミズ>
シラキという樹木の実がなっています。ごく少量ながら“シラキアブラ”が採取できるそうです。「食べて良し、美容に良しと貴重なアブラを今年は絞ってみようかと」西野さんは思っておられるそうです。
足元には、お菓子のキノコの山そっくりのキノコが生えていました。
<シラキの実>
<キノコの山?>
そのお隣には、“ヒカゲノカズラ”という杉の葉の様な植物が生えています。クリスマスリースに使うと、緑色があせずに長持ちするそうです。その先には杉の大木がそびえ立っています。参加者のお一人に横に立って頂きました。
その大きさをご確認ください。
<ヒカゲノカズラ>
<杉の大木>
ここで、山小屋に到着です。山小屋の前には、山主さんのお心遣いの杖が並んでいました。ここから先は少し勾配がきつくなるそうで、やさしい山主さんに感謝です。
<山小屋>
<お心遣いの杖が並ぶ>
少しの休憩時間の後、お心遣いの杖を拝借して先へと向かいました。今回は足谷の森を体感するツアーの様子を前編としてご紹介しました。次回はこの先の後編をご紹介したいと思います。
どっちを向いても、自然の宝庫「足谷」の後編にご期待ください。
平成27年7月13日 (京都土木事務所Y)
前回に引き続き、足谷の様子を後編としてご紹介させて頂きます。休憩を挟んで歩を進める事ほんの少しで、赤い石が鎮座しています。肉の塊の様な赤い石は、まだ日本が海底にあった時にできた石だそうです。
川の中では、赤い石が水に洗われてその存在感を示していました。
<赤石の解説>
<川の流れの中にも赤石>
白い花ばかりかと思っていると、“カタバミ”が黄色い小さな花を咲かせています。“リュキュウマメガキ”という柿の木も“小さな小さな”実を付けています。
そこに実がなっている事を説明されなければ気がつかないほどの大きさです。葉をみるとお馴染みの柿の葉ですが、実は大きくならないそうです。
<カタバミ>
<リュウキュウマメガキの小さな実>
足元には、苔の間から小さなキノコの様な植物が顔を覗かせています。みかんの様な?シメジの様な?なんでしょう。
<見落としそうな小さなキノコ?>
前編でご紹介しました“ジャケツイバラ”は野草といった見かけでしたが、そのまま成長していくと、御覧のように太い木の様な様相です。トゲも巨大に成長しています。先の鋭いトゲとは違い、大きなぶつぶつで「鬼の金棒」のモデルになったのでは、との感想もありました。
<太く丈夫なツルが弧を描いています ジャケツイバラ>
陽の光に照らされて咲いているのは、ツルアジサイです。その傍らには、花の形を残したまま枯れた花がありました。自然のドライフラワーといった感じです。
<ツルアジサイの花>
<その横にはドライフラワー?>
赤い小さな実が落ちていました。何処から?と上を見てもわかりませんが、傍にはサクラが生えていました。もしかしたらサクラの実ではないでしょうか。
<小さな赤い実>
<サクラの木>
足元にも気を付けながら進んでいくと、もう飛ぶ事も出来なくなった“ハチ”が這い回っていました。体中が毛に覆われたこのハチが、花粉にまみれて受粉のお手伝いをするそうです。泡に覆われた何かの卵も発見です。
<毛むくじゃらのハチ>
<泡に包まれた卵?>
ぴかぴか光る樒の葉に目を引かれました。緑の葉も若葉はエンジ色で出る様です。若葉が紅い植物も多いです。残っている低木は鹿が食べない種類です。
<光る樒の葉>
<紅い若葉>
足元に小さな緑のイガグリが転げていました。上を見ると、小さな“シバグリ”も実を付けています。シカやイノシシも大好物で、実りの秋には人より先に“ご馳走さま”だそうです。
<小さくてもしっかりイガグリです>
岩がむきだしになっている場所に来ました。海底で噴火した際に、どろどろと流れ出た溶岩が、枕のように重なって冷え固まった様子が目の前にあります。
ルーペで見ると、溶岩が冷え固まる時に出た気泡のあとが“つぶつぶ”と付いています。
雲ヶ畑が海底にあった事の証です。
<折り重なる溶岩石>
<割れた断面は楕円 枕状です>
すぐ隣には、断層面が滑った跡があります。断層となっている部分は、周りよりももろく、その場所に沿って谷筋になっています。何億年という気の遠くなりそうな時間を感じました。
自然界の時間の流れを考えると、人間の生きている一生なんて一瞬だと改めて考えさせられます。
<真ん中に縦に断層面>
<その下は谷筋に>
岩石の地盤を好む植物もあるそうで、一つの山でも場所によって植生が違っているそうです。白い“ヒヨドリバナ”や赤い実を付けた“ニガイチゴ”が生えていました。
<“ヒヨドリバナ”>
<ニガイチゴ>
足谷では、京都府レッドデータブックで絶滅寸前種に選定されている、ベニバナヤマシャクヤクが大切に保護されています。この保護活動も「雲ヶ畑足谷・人自然の会」の皆さんを始めとする活動団体によるものです。
花の季節は6月ですが、今回はその果実を見る事が出来ました。中には赤い果肉と沢山の種が入っています。
心ない愛好家の“盗掘”の被害も出ているそうで、保護の為に張り巡らせた鹿よけの網を切って盗掘された例もあるそうです。
自然を愛する心を持った人は、山で咲く花を観賞するに止めてください。
<ベニバナヤマシャクヤクの実>
<エンドウ豆のよう>
ベニバナヤマシャクヤクの葉は成長と共に増えていきますが、写真で見えている沢山の葉は、一枚一枚が一つの葉ではなく、大小7枚の葉で一つの葉だそうです。「たてばシャクヤク・・・・」の句と関係があるのかは存じませんが、足の長いスッとした立ち姿の植物です。
<ここからここまでが一つの葉>
<足の長い立ち姿>
撒いた種は約2年かけて、幼葉を出して年々その葉を増やしながら成長していきます。
<周りに幼葉>
<2年前に撒いた種の株>
鹿よけの網に、小さな蜘蛛が巣を作って獲物が来るのをジッと待っていました。蜘蛛の巣といえば、まとわりついてあまりいい思い出はありませんが、まるでそこに浮かんでいる様な小さな巣の底に、何か感動を覚えるのでした。
<真ん中だけ密度の濃い蜘蛛の巣>
そして、ついに目的地周辺です。すこしゆっくり観察しすぎて、お昼を過ぎてしまいお腹はぺこぺこです。
<整備された広場 癒しの森>
<お弁当の時間です>
久保清美さんのお手製のおむすび弁当がお腹を満たしてくれました。梅干し、花山椒の具が入ったおむすび2つとタケノコ炊き込みごはんのおむすび、そして優しい味付けの惣菜
・バランに包まれたおむすび3個
・満願寺とうがらしの炭火焼き(少し甘めの味付け)
・かしわの焼き物
・カボチャと大豆のサラダ(ヨーグルトで味付け)
・ナスの煮浸し(ごま油で下炒め)
・パセリとプチトマト
野菜は全部久保さん宅の畑で収穫されたもの。
<手作りのおむすび弁当>
美味しいお弁当を食べた後は、急ぎ足で炭焼き窯後を見に行きましたが、鹿も食べないシダが生い茂っていました。熱心に自然観察をしたので、予定よりかなり時間オーバーです。急いで山を下りました。
その後は、久保さんのお宅で少し休憩させて頂いて、もくもく号に乗って市街地へ向かいました。足谷の自然と人の暮らしをしっかり満喫する、素晴らしい時間を持つ事が出来ました。
【おまけ】
市街地の鴨川で見るトンボのヤゴは、“コオニヤンマ”がほとんどですが、水の綺麗な清流にしか生息しない“オニヤンマ”のヤゴの抜け殻かもしれないものがありました。
足谷には、昔トンボも沢山飛んでいるそうです。また違う季節に足谷に行ってみたいと思います。
<トンボの抜け殻>
平成27年7月13日 (京都土木事務所Y)
鴨川真発見記第194号では、日本野鳥の会会員の三宅氏のコチドリの雛が泳ぐという報告書を元に“コチドリ”の繁殖の様子をご紹介させて頂きました。
三宅氏にお会いして、写真データを提供頂いたのですが、その時チドリのお話しを聞かせて頂きました。そのお話しが実に興味深く、ドラマティックでした。
この物語を鴨川真発見記を御覧になっている皆様にもご紹介したいと思います。三宅氏も「一般的な市民の皆さんに、すぐ傍の鴨川で繰りひろげられている生態に関心を持って欲しい。」と快く写真データの数々を御提供頂きました。
鴨川で見かけるチドリの類は、京都府レッドデータブックの準絶滅危惧種“イカルチドリ”と以前にご紹介しました“コチドリ”です。
最初に“イカルチドリ”の様子を見てみましょう。小さな野鳥が鴨川で水浴びをする様子は度々目にしますが、保護色で見つけづらい“イカルチドリ”のその姿はまだ見たことがありませんでした。
<さて身だしなみを整えよう>
<うーん気持ちいい>
水浴びをして身だしなみを整えて、子育てに戻ります。イカルチドリは一日に1個、4日かけて4つの卵を育てます。1羽目が生まれました。以前にも紹介しましたが、チドリの類の卵は石ころとそっくりにカモフラージュされていますが、卵の中は真っ白です。
雛が抜け出た後は白い部分が目立つので、天敵に卵と悟られます。そこで、生まれた後の卵の殻は、遠くへ捨てに行くのでした。
捨てるというか、巣から離れた所の川の流れに乗せて川底に沈めるのですが、うまく流れない時にはもう一度拾い上げて、更に遠くへ流しに行きます。念には念を入れます。
<まだ目が見えないよ 雛>
<殻は遠くへ捨てましょう>
“イカルチドリ”は生まれてからしばらくは、自力で体温を保つ事が出来ない“変温動物”の期間があります。寒かったり、暑かったりすると、親鳥が膨らませた羽毛の中で体温を維持するのです。ただ甘えているだけでは無いのです。
<目も開いて動き回れるよ>
<僕たち3きょうだい全員入れちゃう>
雛の天敵は、カラスやイタチなどです。カラスが近づくと、つがいの2羽で警戒にあたります。雛は保護色で見つかりにくいですが、ピタッとカラスをマークします。鴨川はカラスの餌も多いので、めったに雛を攻撃しないそうですが、親鳥は厳重な警戒線を張ります。
<ん!カラスが近づいている>
<私は陸から 僕は空から 急行>
<カラスは餌を咥えているがピッタリマーク>
<まだまだ油断は禁物>
ここで“コチドリ”にも参加して頂きましょう。“コチドリ”が営巣している縄張りに割って入ったのが“イカルチドリ”です。コチドリと比べて体の大きなイカルチドリが「出ていきな」とばかりに攻撃を仕掛けます。
野鳥の体は、フワフワの羽毛に包まれているので、少々こつかれても傷つく事はありません。それでも体の小さいコチドリは体格的に不利です。つがいの相方を呼んできて睨み合いが続きました。
このお話しには、前段があります。雛が遊ぶ縄張りはイカルチドリも同じ事で、先に営巣していたイカルチドリの雛が、コチドリの巣に近づいたために、コチドリの親鳥に馬乗りになって“こてんぱん”に攻撃されました。
その様子を見たイカルチドリの親が報復措置として、コチドリの親に攻撃を仕掛けたのです。砂地に営巣するイカルチドリと石ころの礫河原に営巣するコチドリ、たまたまこの中州では隣接してその条件の場所があったのでした。
左:コチドリ 右:イカルチドリ
<この縄張りは明け渡してもらおう>
<只今子育て真っ最中!>
両端:コチドリ 真ん中:イカルチドリ
<雛たちはつがいで守る!>
天敵からの警備や縄張り争いの中で、親鳥に守られながらひな鳥はすくすくと育っていきます。そんな雛たちの様子です。イカルチドリの雛の水かきもハッキリわかります。
<安心・安心 お散歩>
<大きな脚でしょ>
<どっちへいこうか>
<水かきがよく見えるでしょ>
今回は、三宅氏にお話し頂いた“イカルチドリ”“コチドリ”の子育ての様子をご紹介させて頂きました。写真を見ながらお話しを聞くと、そのシーンが何を意味しているのかよく解ります。
あなたの知らない、私も知らなかった“チドリ”の世界を知る事が出来ました。
ここで、15年間「鴨川リレー探鳥会」を実施し、野鳥の生態を継続観察されている(公財)日本鳥類保護連盟京都(元日本野鳥の会京都支部副支部長兼事務局長)中村桂子氏からのメッセージをお伝えします。
京都府では、準絶滅危惧種として「イカルチドリ」と「カイツブリ」が指定されていますが、共に鴨川水系で繁殖が確認されています。(上賀茂から五条間、高野川)
現在も実施されている除草時期について下記のとおり配慮して頂きたい。
希少鳥類の繁殖に配慮し、繁殖期である4月~7月迄は高水敷、護岸の除草に止め、中洲、寄洲の除草は繁殖期後の8月~9月中の実施として頂きたい。
また、10月中旬頃になると渡り鳥のカモたちが飛来します。その際、中州には少々の草がないと、餌や避難場所として中州を利用できません。
除草により全ての草を刈り取るのではなく、ある程度残して除草願いたい。
メッセージに対応する事とし、繁殖区間の中州・寄州の除草については、8月~9月中の実施とし、約50cm残して除草することとする。
準絶滅危惧種の繁殖に配慮の要請に対して、鴨川の整備・管理を担当する京都土木事務所としても、最大限の配慮をさせて頂いています。
平成27年7月17日 (京都土木事務所Y)
平成27年7月17日(金)に日本列島に上陸した台風11号による降雨は、荒神橋の水位観測所で、昭和56年テレメータ観測開始以降過去最高を記録する大雨となりました。
平成25年は9月、26年は8月、そして27年は7月と年々早まる傾向にあります。祇園祭の季節に台風が上陸するのはあまり記憶に無い事ですが、17日の午前中は、降雨も少なく山鉾巡行は無事実施されました。さすがは八坂神社の神様の神通力といったところでしょうか。
その後、台風は日本海に抜け、“一安心”と思ったところが、台風が残した雨雲が京都市内(特に山間部)に大量の雨を降らせ、鴨川の水位も上がる一方で、水防待機班にも緊張が走りました。
鴨川沿川の住民の皆様からも心配で眠れないという電話が数多く寄せられました。
明け方には水位は下降して今度こそ一安心となりましたが、水が引いた後の鴨川の様子が心配です。
空がうっすら白んできたので、京都土木事務所傍の北山大橋へその様子を確認に出掛けると、落差工で水しぶきを上げながら濁流が流れて行きます。各橋の下は、河川断面を確保するために、切り下げていますので、川の流れにのみ込まれています。
<北山大橋から下流を望む H27.7.18 (土)AM5:20頃>
<北山大橋 左岸下流>
<北山大橋 右岸下流>
<北山大橋から上流を望む>
<落差工で暴れる流れ>
水防待機を後の班に引き継いで、自宅へ向かう途中、高野川の様子を見ると、こちらも落差工で流れが暴れています。
支流の音羽川からは、真砂土を含んで更に茶色く濁った水が流れ込んでいました。
<高野川の増水 松ヶ崎橋から上流を望む>
<音羽川からの濁り水の流入>
台風上陸から2日後の7月19日(日)は、2班に分かれて鴨川の様子を確認に向かいました。私が配属された班は、四条大橋下流の仏光寺通りから上流は柊野公園までです。
水位は下がったものの、川の水は濁り護岸の様子はハッキリ見る事は出来ませんでしたが、昨年、一昨年の出水時と同様に御池大橋から下流仏光寺通りまでの右岸は水が乗り、大きなダメージを受けていました。
<三条大橋下流>
<一夜明けても多い流量>
平成26年度に整備した仏光寺上流右岸の高水敷では、石の間に敷き詰めた砂が洗われてその下の石が姿を現しています。石は下に敷いたネットに固定されているので無事でした。
<仏光寺通り上流右岸>
<敷き詰めた石は無事>
納涼床が設置されている“みそそぎ川”の一部の底が流木などでダメージを受けた様で、1m近く深くなっていました。納涼床は無事で一安心です。
<底のコンクリートが被災>
<流れ出た土砂>
三条大橋下流の芝生の上や納涼床の脚には、流されてきた木や草が絡みついたり、散乱したりして川の流れが乗った事がわかります。
<護岸に立て掛けの流木>
<納涼床の脚に絡みつく草>
三条大橋~四条大橋間で、すこし盛り上げた芝生部分の一番上流側は、濁流のパワーを一点で吸収して、並べた石もろとも破壊されました。
<石もろとも流された芝生地先端部>
<大きくえぐり取られました>
<硬い物と柔らかい物の間に流れ込む水>
三条大橋下流の“みそそぎ川”に架かる橋の欄干も流木によるダメージでしょうか、両方とも破壊されました。
<みそそぎ川に架かる橋>
<欄干は跡形もなく破壊>
三条大橋の右岸下の窪みには水が溜まって池の様になっています。この水のかき出しが必要です。
<三条大橋右岸下 下流から>
<同左 上流から>
川の水が乗った始まり近辺、御池大橋~三条大橋間の右岸の芝生も、下に敷いたブロックマットがめくれ上がり、かなりの面積の芝生は流されました。
<御池大橋~三条大橋間 右岸>
<改めて水のパワーを感じます>
繁華街付近の鴨川を後にして、上流へと向かいました。御池~仏光寺間ほどの被災はありませんでしたが、柊野のグラウンドは一面に泥がたまって使用不可能な状態になっていました。また今年も災害復旧工事が必要です。
<柊野グラウンド>
<泥に埋め尽くされました>
更に一夜明けた7月20日(月)は、台風一過晴天に恵まれて何も無かったかの様に穏やかな一日となりました。水位はまだ充分に下がり切っていませんが、晴天の海の日、鴨川・高野川の様子を確認しました。
高野川の馬橋から下流へ青空を眺めながら下っていきました。馬橋の下流では、長さ何メートルでしょうか、長い流木が護床ブロックに突き刺さっていました。
伐採された木では無く、根が付いています。山間で倒れていた木が流れ出た様です。こんな流木が大量に流れ出ると、橋に引っかかり川の水が溢れ出る可能性もあります。ご近所の方も心配そうに眺めておられました。
<突き刺さる流木>
<かなり長い流木でした>
高野橋下流右岸の高水敷には、水が乗った痕跡であるゴミが散乱しています。
高水敷ギリギリまで水位が上がった様ですが、それ以上には上昇しなかった様で、難を逃れた野草が綺麗に花を咲かせていました。
<漂着したゴミが水位を示します>
◆水の難を逃れて咲く野草
<ピンクの花>
<小さな青い花>
高野川と鴨川の合流部、右岸のウッドデッキ周辺にも水が乗った痕跡がありました。今回の増水で川の中の様子も大きく変化した様です。鴨川側の亀の飛び石は、西側半分が土砂に埋もれてしまいました。それでも涼を求めて飛び石を利用されている方の姿がありました。
<芝生の上に残された漂着物 賀茂大橋上流右岸>
<鴨川出町の飛び石 西半分は土砂に埋もれました>
普段は鴨川の中で過ごす野鳥も、水位がもう少し下がるまで護岸付近や高水敷で過ごしています。幼鳥を引き連れた“カルガモ”の親子も護岸付近の流れの緩やかな場所で過ごしています。アオサギも“みそそぎ川”で小さな魚をついばんでいました。
<カルガモの親子>
<アオサギ>
8月1日、2日に開催が予定されている“鴨川納涼”の会場となる、三条大橋~四条大橋間の右岸では、急ピッチで応急復旧が進められていました。
みそそぎ川の橋の欄干部分にはバリケードによる応急措置が施され、散乱していた流木などのゴミが綺麗に片付けられていました。
<みそそぎ川の欄干はバリケード>
<綺麗に拾い集められた流木など>
<晴天の鴨川 ゴミは撤去>
前日は、流木や草が散乱していた四条大橋右岸下に設けられた鴨川ギャラリーも綺麗に片付けられ、日陰の涼を求めて座る方の姿があります。日が傾いて高水敷にも日陰が出来はじめると、更に多くの方の姿を見る事ができました。
<綺麗に掃除された鴨川ギャラリーに集う人々>
<芝生にも早速腰を下ろす人々が>
その下流では、緊急業者の皆さんが休日返上で作業を続けておられます。この緊急対応によって気持ち良く鴨川を御利用頂くことが出来ます。
<散乱したゴミを拾い集める>
<小型の重機も活躍>
災害時に第一線に立って作業して頂いている業者の皆さんに感謝です。
平成27年7月23日 (京都土木事務所Y)
鴨川真発見記第199号では、台風11号による被災や応急復旧の様子をご紹介しました。台風上陸から2週間が経過しました。この間、「鴨川の生態系にも大きな影響があるのでしょうね」というメッセージを頂いた方もおられます。
今回は、この2週間の間に、鴨川で目にした生き物達の様子をご紹介したいと思います。
台風が過ぎ去った翌日の7月19日に鴨川を点検して回った時には、台風の影響では無いですが、マガモとカルガモの交雑種の変わったカラーのカモを見つけました。
よく目にする交雑種は、写真右の個体の様に緑色の頭と首に茶色いまだらが入った個体ですが、今回目にしたのは頬から首にかけての白い部分が目立ちます。これも、交雑を繰り返すうちに出て来たのでしょう。交雑とはいうものの、その繰り返しが多くの種類の生き物の進化なのかもしれません。
<特徴的にはマガモのオス>
<左の個体に白い部分が>
増水した川を眺めながら佇んでいる個体は、カルガモの特徴が強く出ているようです。この先、交雑が進むと突然変異で新種のカモが出現するカモしれません。
<鴨川へ入れず佇むカモ>
<複雑な色合い 交雑種>
鴨川の北山大橋下流では、左岸に石ころが多く堆積し流れが右岸に偏っています。その中州を越える様に左岸からの流路がクシの様に見えています。これから水位が下がるとどんな様子になるのでしょうか。
<左岸から右岸に向けて何本もの流路 北山大橋下流>
<流れは右岸側に偏っています 北山大橋下流>
さらに一夜明けて7月20日は、高野川から鴨川にかけて様子を見に行きました。第199号でご紹介しましたとおり、人々は涼を求めて鴨川での憩いを楽しんでおられました。
それでは、生き物は?高野川の高水敷では、カタツムリの殻が転がっていました。カタツムリは、よく木に登るタイプのものとほとんど地面にいるものがあると先日聞いたばかりです。地面にいたものが増水で流されたのかもしれません。ちなみにカタツムリは鳥の大好物だとか・・・。
<茶色い“カタツムリ”>
後日、カタツムリのお話しを聞かせて頂いた、立体造形八月社の河野甲氏に問い合わせてみると、“ニッポンマイマイ”の一種と教えて頂きました。河野氏は11年前からカタツムリにはまり、お仕事の皮革を使った立体造形でもカタツムリの作品を手掛けておられます。
<殻は本物、胴体は樹脂製のリアルなカタツムリたち 右巻き左巻き>
荒神橋下流の落差工に設置された仮魚道も、まだ勢いよく流れる水にのみ込まれています。京の川の恵みを活かす会の皆さんが、汗水垂らして設置された仮魚道は増水に負けずに姿を止めている事を願います。
<荒神橋下流 落差工右岸に設置された仮魚道の様子>
“みそそぎ川”は作業の為に水の流れは止められています。増水で逃げ込んだ小魚達は水溜まりに集まっています。その小魚を狙っているのは、まだ若い幼鳥の様なアオサギです。小魚を捕獲して食べていました。
<若いアオサギ>
<小魚ゲット>
少し大きな“ギギ”が傍を泳いでいて、浅瀬に入り込んだところを捕獲して食べようとしましたが、この幼鳥には少し大きかったようです。諦めて放置しました
このギギの亡骸は、上空から飛来したトビが持ち去りました。
しばらく観察していると、頭から首にかけての羽を逆立てていました。威嚇しているような・・・。
<浅瀬へ入り込むギギ>
<捕獲するも・・・>
<最後は諦めて>
<威嚇?>
流水が少なく、流れがゆっくりの時には鴨川の本流でポカリと浮かぶ“ミシシッピアカミミガメ”もこの日はみそそぎ川の水溜まりで浮かんで顔を出していました。
<みそそぎ川の水溜まりで>
<ミシシッピアカミミガメ 顔を出す>
更に日は経過して7月24日の夕刻、高野川の河合橋上流に造ったワンドの様子を見に行く途中、落差工の脇でお二人の方が川の中を覗いておられました。
「もしや」と覗いてみるとオオサンショウウオでした。今回の台風11号では、多くの場所でオオサンショウウオが目撃され、ネットや新聞紙上を賑わせました。前日も下鴨警察署で捕獲されたとの報道もありました。
よくみると、1個体だけでなく2個体いるようです。
<ゆらりとオオサンショウオの影>
<オオサンショウウオ2個体の影>
鴨川真発見記でも、これまでから目撃した場合は、京都市の文化財保護課へ連絡して捕獲、調査に協力して頂く様お願いしてきました。情報発信している私も初の通報をさせて頂きました。
通報から京都市の担当者さんが到着されるまでの間、その様子を観察しながら待ちました。一旦深みに姿を消した2個体は、一定の間隔で酸素を吸いに浮上して口だけを水面から出しています。
<呼吸のため浮上 オオサンショウオ>
この深みでは捕獲は無理では?と思っていると、一個体は下流の護岸石積みの下に姿を消しました。そしてもう一個体は、上流の落差工脇に上陸してきました。このまま担当者さんが到着されれば容易に捕獲できそうです。
<のそのそと上陸>
<その姿を現しました>
ひとまずは居場所が定まったので、高水敷から上を見上げると「わたし達には川の増水は関係ないよ」とでも言わんばかりに飛び回る事の出来る昆虫が葉に留まっていました。
<増水とは無縁の昆虫>
通報から一時間弱で、担当者さんの到着です。網を持ってオオサンショウウオの元へ、そして捕獲されました。
<オオサンショウウオの元へ>
<そして捕獲>
近くに居合わせた若者3人に引き揚げるのを手伝ってもらい、衣装ケースに収納完了です。1mを越えるサイズのようです。若者達も記念に写真を撮った後、オオサンショウウオは調査のため搬送されていきました。
<初めて見た!>
<大きな頭です>
またまた日が過ぎて7月26日も晴天に恵まれました。水位が少し下がったようなので、再度河合橋上流のワンドの様子を見に出かけました。
高野川の高水敷では、カメが歩いていました。前出のカメ同様に川の中では流されてしまうようで、もうしばらく陸地で過ごしているようです。人の気配を感じて脚を引っ込めて、目だけ出して様子を伺っていました。
<カメ 歩行中>
<カメ 警戒中>
河合橋上流のワンドはというと、まだ少し水位が下がりきっていませんが、ワンドの形は崩れてしまったようです。左岸側に流れが偏っていますので、この後更に水位が下がれば右岸側に礫河原が広がるかもしれません。この後の様子は又の機会にご紹介したいと思います。
<河合橋上流>
<まだ水が川幅一杯に広がっています>
そのまま鴨川デルタをぐるりと回って鴨川へ向かいました。思いがけず上京消防団の消防放水訓練に出くわしました。鴨川の水をポンプで汲み上げて川に向かって豪快に放水されていました。
<夏空にシャワーのように放水>
ふと川の中を見ると、自然に出来た小さなワンドがあります。そこには沢山の小魚が群れていました。小さな魚に優しいというワンドの役割を見てとる事が出来ました。
<葵橋左岸下流>
<小魚が群れる>
<色んな種類の魚が身を寄せているようです>
今回の台風11号のもたらしたものは、悪い事ばかりでも無いのかもしれません。
台風という自然現象がもたらす事象について、意識を高める必要性を再認識しました。
平成27年7月28日 (京都土木事務所Y)
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