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2015年を迎えて早くも半月以上が経過しました。鴨川真発見記も新しい年を迎えて原点である小ネタをご紹介したいと思います。冷え込む鴨川を歩いて行くと空に浮かぶ雲が今年の干支“羊”に見えてきました。
<鴨川上空にぽかりと浮かぶ雲一つ>
柔らかい羊毛に包まれたようにムクムクとした雲が、ゆっくりと鴨川の上空を横切っていきました。
<羊の様に見えませんか?>
鴨川真発見記第167号で花の回廊をご紹介しました折に、「ミヤコドリ」の事を詠まれた方の句碑がありました。他の句のイメージ写真を添えてご紹介しましたが、この歌に関してはミヤコドリが何なのか曖昧だったので写真を添えませんでした。
後日、日本野鳥の会京都支部の中村副支部長さんに、ミヤコドリについてお訊ねしましたところ下記の返事をいただきました。
【中村副支部長からのメール】
ユリカモメと都鳥のことは良く話題に上る話です。
伊勢物語の説が一番わかりやすいのではないかと思います。
伊勢物語にも都鳥が登場しています。
●京の都を出発した一行が隅田川の渡し舟から見慣れない鳥をみて船頭に尋ねたところ
「これがあの都鳥といい、都にはこの様なきれいな鳥がたくさんいるのだろう、といわれた。
と書かれているそうです。
都鳥=全体が白くて足と嘴が赤く、鴫くらいの大きさ、水面で魚を捕る
これらの描写からユリカモメと推測されています。
<全体が白くて足と嘴が赤く・・・ ユリカモメ>
という訳で、今回その句碑と共にユリカモメが飛び交う様子をご紹介したいと思います。
<ミヤコドリを詠んだ句碑>
<花の咲く頃また来ましょう>
ひとひらの 花をみながら たたずめば 賀茂の河原に みやこどり舞ふ
<飛び交うユリカモメ四条大橋付近>
<観光客も足を止めて>
鴨川の傍には多くの桜が植えられていますが、その桜がどんな種類の桜なのかは、咲いてみないと解りません。そんななかに一本名札が掛けられていました。
「御衣黄(ぎょいこう)」とあり、裏面には「又の名を“黄桜”」と書かれています。鴨川のまわりに植えてある桜でも“黄色い桜”は数が少なく、私の知る限りでは2本目です。春になったら句の様に黄色い桜の花をみながらユリカモメを眺めたいと思います。
<御衣黄>
<黄桜>
飛び交うユリカモメもいいですが、この日は川の中でバシャバシャと水浴びをする様子も見せてくれました。集団でユリカモメが水浴びをしている様子はあまり見かけ無いので思わず写真に撮ってしまいました。
<水しぶきをあげて>
<翼を広げて>
<頭を水につけて>
<尾羽をバシャバシャ 仕上げ>
鴨川の「花の回廊区間」には句碑の他にも石があります。三条大橋の橋脚ではないかと思われる石柱が設置されています。三条大橋の石柱として紹介されているものは各地にありますが、ここにも同様の形の石柱が置かれています。
二本並べて立てて置かれた石柱の一本には「天正拾」まで読み取れる文字が彫り込まれています。豊臣秀吉の命により天正18年に石柱の橋に改修されたと伝えられている事から三条大橋の流失時に流されたものかもしれません。
<ひっそりと並ぶ石柱>
<天正拾・・>
三条大橋の左岸下流にも同様の形の石柱が横たえられています。単に転がしてあるように見えますが、石とコンクリートでキチンと固定されています。本当に三条大橋の橋脚かは定かではありませんが、先人の土木工事の技を垣間見る事ができます。
<歌舞練場をバックに>
<先端に突起物>
ユリカモメが飛び交う傍では、鴨川真発見記第172号でご紹介しました“生き物救出作戦”の舞台となった災害復旧工事の護岸工事が進んでいます。一つ一つの石をハンマーで形成しながら手作業で進められています。
<一部元の石積みを残して>
<手作業で石を整形>
バックホウで丁寧に石を護岸に運んで作業が進みます。石を積み込むのも一つ一つ手作業です。
<慎重に石の積み込み>
<そっと護岸に降ろします>
川の中を潜水しているのは“キンクロハジロ”です。水の中から浮上してくる様子を見る事が出来ました。黒い羽の所はよく解りませんが、白い羽の部分で“キンクロハジロ”の存在が解ります。
<二羽のメスの後に白いもの>
<浮かび上がる“キンクロハジロ”のオス>
水の中の様子はタイミングがよくないと見ることが出来ません。お尻を上げて水中に頭を潜らせているカモ類の姿はよく見かけます。この日は光の角度がよかったのでしょう。首を目一杯に伸ばして川底をついばんでいる“マガモ”のペアも見る事が出来ました。
<川の中でオスの黄色いくちばし>
<首を目一杯に伸ばして>
“ヒドリガモ”の群れも「ピュー、ピュー」と鳴きながら移動していきますが、そのうちの1羽のオスが明らかに色合いが違っています。鮮やかな茶色の頭のはずなのですがグリーンが混ざっているようです。
以前日本野鳥の会京都支部(以下:会)の中村副支部長から“アメリカヒドリガモ”と“ヒドリガモ”の交雑種を見たと連絡をいただいておりましたので、これがその交雑種かと思いました。
“アメリカヒドリガモ”の頭は緑色なのです。念のため中村さんに確認したところ、会の中でも“アメリカヒドリガモ”なのか、交雑種なのか判断が難しく、経過観察されているそうです。“アメリカヒドリガモ”はいつも野鳥観察をされている方にとっては毎年どこかの川で見かけるのでそんなに珍しい野鳥ではないそうですが、一般の方には珍しい部類のようです。
“アメリカヒドリガモ”の特徴は頭が緑系の色で、頬がグレー、体が茶色なのが特徴のようです。正体ははっきりしませんが、鴨川真発見記的には初登場の野鳥です。また一種類、鴨川真発見記での野鳥の仲間が増えました。
<普通に“ヒドリガモ”の群れと思いきや何か違う>
上記の写真一番上の個体を拡大してみると。
<頭頂部は白っぽく>
<目のまわりは緑 頬はグレー>
<前を行く“ヒドリガモ”と違う色合いの“ヒドリガモ”>
そして、今年も“カワアイサ”がお目見えです。昨シーズンはオスメスが一緒にいるところを見ましたが、今シーズンは“オス”しか見ていません。頭が茶髪でたてがみの様な後ろ髪の“メス”に会えることを楽しみにしています。
<今年もお目見え>
<“カワアイサ”のオス>
平成27年第1回目の「鴨川真発見記」は、鴨川を歩いていて目にする光景をご紹介しました。今年もよろしくお願いいたします。
平成27年1月19日 (京都土木事務所Y)
鴨川真発見記第143号では、「小学2年生の目で見つけた鴨川 1年間の集大成“ぼくの鴨川さんぽ図鑑”」と題しまして、当時小学2年生だった西山和治郎君が自由研究でまとめあげた鴨川に生息する生き物達をご紹介しました。
そんな和治郎君と同じく1年間を通じて調査し作文に仕上げた小学4年生平野通永君の存在を知りました。平成26年10月22日(水)のことです「鴨川、鴨川」とことある毎に口にする私を見ている妻が、「興味あるのと違う?」と読売新聞朝刊を差し出しました。
「小・中学校作文コンクール府代表」と見出しにありました。記事本文を読んでみると第64回全国小・中学校作文コンクール(主催・読売新聞社、後援・文部科学省、府教委)の小学校高学年の部最優秀賞に立命館小4年平野通永君の「ゆたかな賀茂川-一年の白さぎの変化から考える-」が選出され、中央審査に出品されたという内容でした。
賀茂川で一年中見る事ができる白さぎ(白いさぎの総称)は、主に“ダイサギ”“コサギ”です。他には“アオサギ”“ゴイサギ”の様な色の付いたサギも見る事ができます。
<コサギ>
<ダイサギ>
<アオサギ>
<ゴイサギ>
題名を見ただけで興味を持ちましたが、講評欄を読んで是非全文を読んでみたいという想いが湧きあがりました。その講評内容が下記の文書です。
【講評】(読売新聞2014年10月22日朝刊より)
平野君 1年間独自調査
高学年の部平野君は、学校近くの賀茂川での土砂を取り除く工事と白鷺の数の変化との関連を調べてまとめた。写真や新聞記事、同級生へのアンケート結果のグラフを盛り込み、動植物に配慮して工事を行うことで豊かな賀茂川が保たれると論じた。岡本さん(審査員:児童文学作家の岡本小夜子さん)は「1年間にわたり、独自調査を続けた作者の努力を評価した」とたたえた。
鴨川の生き物だけでなく、土砂の取り除き工事にまで注目して調査されていると知り、まさに治水工事と環境に関する深いテーマに小学4年生が論じてくれた事に驚きました。このテーマは、有識者や公募委員からなる「鴨川府民会議」でも度々議題になるなど、年月をかけて試行錯誤で取り組んでいるものです。
中州管理に関する考え方等(河川課ホームページにリンク)
※第27回鴨川府民会議 参考資料 中州管理(平成26年6月4日開催)
※平成25年度第3回アクションプランフォローアップ委員会
早速、読売新聞社京都総局へ問い合わせて、全文を読みたいがどうすれば可能かを確認しました。その時は中央審査前で作品の公表は出来ない旨回答を得ました。中央審査後に改めて連絡を入れる事となりました。はやる気持ちを抑えつつ、その時が来るのを待つことにしました。
そして、中央審査も終わり年明けの1月中旬に再度読売新聞社へ連絡を取ると、東京本社での対応となりました。作者本人の承諾などを確認して頂ける事となり、数日後本人承諾の連絡を受け、作文の全文を送っていただきました。
<ゆたかな賀茂川 一年の白さぎの変化から考える 作文より>
「鴨川真発見記」でこの作文を紹介しなければならないと思う程に素晴らしい内容でしたので、今回ご紹介したいと思います。
【斜字体は本文を要約しています】
<きっかけ>
社会の授業で賀茂川の水が大切に利用されている事を学習した。それでも、賀茂川川の様子が1年でいろいろ変化している事を気にしている人が少なかった。どうしてかな?
<調べる事>
①賀茂川の変化を目にした事があるか。
②賀茂川の変化で何か気がつく事があるか。
この問いのアンケートで賀茂川の変化の理由を知る。
<目的>
調査をして「よりゆたかな賀茂川について考える。そのためのよい点わるい点を考える。
<賀茂川の変化 作文より>
Q1 見た事がある人56%
Q2 変化に気がつく人78%
Q3 写真を見て気がついた事
A:水が少ない 2人
B:草がなくなっている 3人
C:赤と白の棒が立っている
Q4(B・C)の原因は?
・台風で草がとばされた
・賀茂川の水量が減った
<調査結果から考えた事>
Q1から
立命館小学校は賀茂川から350mのところにあり、度々出かけているのに変化を見かけた人が半分と少ない(わるい点)
Q2から
写真を見ることで多くの人が変化に気づいた(よい点)
Q3・Q4から
賀茂川の変化が自然に起こっていて、工事による変化である事に気がついていない
(京都土木事務所Yから)
ここで、平野君が考えた事はとても大切な事です。もちろんQ3・Q4がこの後の調査につながるのですが、Q1に関しては「何事にも無関心が一番の敵、関心を持つことで物事への考え方が変化する事」。Q2に関しては、「鴨川真発見記でも度々ご紹介していますが、鴨川の様子も刻々と変化しており、その写真を比較する事でその変化を知る、そして記録する事」人の記憶はけっこう曖昧です。この事が伝わってきます。
そこで工事の必要性について提案
理科の学習で、小石や砂がたまると水が流れにくく、水の流れをとめたり、まわりの土をえぐってしまうことを学んだ。賀茂川にもそんな箇所ある。
<賀茂川に土砂が堆積している場所 作文より>
作文には、大雨による災害の新聞スクラップ写真が添えられており、豪雨災害の怖ろしさが綴られています。
(写真キャプション)
・2014年7月10日 大雨による土砂で流されたJR中央線の線路(中央)
=9日午後6時すぎ、長野県南木曽町(住民提供)
・京都府南部豪雨であふれた戦川。被災直後は橋の近くに大量の木が積まれていた(2012年8月15日宇治市菟道)
そして「しかし、これは僕の家のまわりのことではない。」と記されています。
そこで、「賀茂川を調査したい。」賀茂川はおだやかな川なので新聞報道のような大きな災害は起こらないんじゃないか?という疑問が浮かんだそうです。
<おだやかに流れる賀茂川 作文より>
この疑問を解決するために、源流域へ行く事になりました。立命館小学校からわずかに6km上流が源流域です。源流に木や石がたまっていれば、大雨で流れ出て、新聞報道と同じような被害が出るのではないかと考えたそうです。
<平野君は賀茂川源流域の様子を見に行きました>
源流域は3年生の時に社会で学習した北山杉で昔栄えた地域です。今では手入れは行き届かず、山の斜面が崩れたり木がなぎ倒されて、小さな土砂崩れが起きています。
ここで平野君の考え
(京都土木事務所Yから)
鴨川は河川整備により水を流す能力の向上を図っており、「きけんな川」というと極端ですが、昨年、一昨年と連続して大雨よる増水が起こりました。昭和10年の大水害を上回る水量で、絶対安全な川ではなく増水による災害発生が起こりうる川として日頃の備えが必要な川です。平野君のような心構えが大切です。
<平成25年9月16日台風第18号による増水 柊野堰堤>
<平成26年8月10日台風第11号による増水 高野川との合流点>
加えて作文には、西賀茂橋から撮影した土砂堆積の様子を紹介し、「工事が必要なことがわかる」とし、実際の浚渫工事の様子が紹介されています。
<砂が溜まって川の流れを変えている>
<砂や土砂が溜まりすぎている。そこに草が生えて中州の部分が広くなり川の流れる部分を細くしている>
今まで中州にあった草を抜いて地面を掘り、そこに溜まった砂をとって中州を川の水面と平行にしたもの。
<平野君は雨の日も傘をさして工事現場を確認 作文より>
ここまでの平野君のまとめを要約すると
・浚渫工事は賀茂川で定期的に行われている。
・川の流れが運んだ土や砂は自然に少しずつ溜まってしまう。
・自然の事なので防ぐ事が出来ないので、人間の手で取り除く工事が必要。
・僕が3年半見てきた賀茂川の変化は大半が浚渫工事。
平野君は気づかれにくい原因が、連続して一気に工事を進めない事にあると考えた様です。ある区間の浚渫工事の後、続く次の区間の浚渫が進められないために気がつかないのだと。ではなぜ一気に工事を進めないのか?
<ゆたかな賀茂川調査位置図>
そこで着目したのが、賀茂川で1年中見る事ができる白さぎの変化です。白さぎの数の変化を通じて自然と河川工事の関係を考える調査に着手しました。
<調査方法>
場所:北山大橋から御薗橋の間
時期:2013年8月 11月
2014年2月 5月 8月(3ヶ月毎計5回)
時間:2時間の間に確認できる数
天候:晴の日を選定
気温:各調査時の気温測定
<調査箇所 作文より>
<白さぎの数と気温の変化 調査結果 作文より>
グラフからわかること
①気温の高低差と白さぎの数は関係なし
②5月に白さぎの数は減った
③同じ8月でも今年は北山大橋付近で見られる数は減った
※気温が低い2月に数が多いわけ
①今年は2月に御薗橋付近で工事をしていた時から数が増えました。ぼくの考えは川の工事で土の中に棲んでいたえさとなる小魚などが出てきて白さぎが集まってきたと考えます。
(京都土木事務所Yから)
白さぎの中でもコサギは俊敏な動きで小魚を捕獲します。工事で重機が川底をかき回すと小魚が驚いて飛び出します。そこをさぎが狙って集まってくるのです。重機が休憩に入ると、みんな集まって重機が動き出すのを待っている様子を見る事ができます。
※5月に数が減った理由
土が硬くなりエサとなる生き物が棲みにくくなり、簡単にえさが捕まえられなくなったためと考えます。
※去年の8月より今年の方が数が減った理由
2月の工事で前の環境と変わってしまって、まだ完全には前の状態に戻っていないからと考えました。
<豆知識>
白さぎのすみかは木の枝の間にある
=工事のためにすみかなくなったとは考えにくい
調査の結果
2月に賀茂川の御薗橋から北山大橋にかけて工事をして、川の環境が変わり白さぎの生活環境は大きく変わりました。生態が変わってしまう。人間のためにする工事は動物の生活環境を変えてしまう事が今回の調査でわかりました。
工事は安心安全な生活をするために人々が工夫をして土砂を除く工事をしていること。その工事は人間の生活を豊かにする一方動植物の生活環境を変えてしまうこと。そのバランスをとるために人間は考えて工事をしていること。それが「豊かな賀茂川」だと思う。
この自由研究を発表して、「豊かな賀茂川」みんなと話合っていきたい。そして賀茂川の一年の変化をみんなに知ってもらえたら嬉しいです。
と締めくくりました。
土木工事と自然の共存に視点をおいた素晴らしい作文です。大人が試行錯誤して進めている中州管理が、小学4年生の児童に伝わっている事に驚きました。
このような視点で物事を見つめる事が出来る児童の成長こそ、今求められているのではないでしょうか。未来の建設業界や自然環境を大切にする人材の育成に期待しながら今回の記事を終えたいと思います。
最後に平野君が書いたまとめ(PDF)と、賀茂川の変化の様子をでご覧ください。
<賀茂川の一年の変化 作文より>
<賀茂川一年の変化 作文より>
平野君本人と保護者の方にお会いしてお話しを伺う機会を持つ事が出来ました。
平野君は毎日通学時に賀茂川の様子を眺める中で、一年間の川の中の様子の変化に気づいたそうです。
川の中を重機が走り回りながら土砂の浚渫(しゅんせつ)する様子に興味を持つと共に、それに伴って様変わりし、また元に戻っていく過程を知ったといいます。
<たまった土砂をすくい上げ>
<賀茂川の外へ持ち出します>
浚渫(しゅんせつ)という言葉をよく知っていましたね。と訪ねると、賀茂川を歩いた時に、工事説明看板に書いてあった漢字の読み方を教わって「浚渫工事」という事を知ったと答えてくれました。
<土砂運搬車が川の中を行き交います>
そして、冬の時期は活動が鈍くなると教わった「白さぎ」の数が増えた事に疑問を持ちその原因を調べる事になったそうです。
<木の上のコサギ>
<現場で重機が動くのを待つコサギ>
「白さぎ」の数の変化に気づいたキッカケというのが、実はお母さんの影響があるそうです。“「白さぎ」を見ると幸福になる”と聞いた事があるお母さんが、「今日は何羽見る事が出来るかな」と数えていたのが平野君の調査対象に繋がったようです。
<早朝、下流のねぐらから飛来して集合するコサギ 幸せいっぱい?>
平野君もたくさんの「白さぎ」を見ています。幸運が巡ってくることでしょう。今年も賀茂川に関する調査が始まるようです。次はどんな成果を見せてくれるのか期待しながら追伸とさせていただきます。
平成27年1月16日 (京都土木事務所Y)
鴨川真発見記第180号では、鴨川の工事と自然の関係について調査してくれた平野通永君の「ゆたかな賀茂川 一年の白さぎの変化から考える」という作文をご紹介しました。
今回は全国募集作文「ざぶん賞」に入賞された作文をご紹介したいと思います。
「ざぶん賞」は、平成15年度から同実行委員会が全国の小・中学生を対象に、生命の源である海や水を通じて、命や自然を大切にする心を育むことを目的に作文・詩・手紙の作品を募集、表彰しており京都府も後援しています。
そんな「ざぶん賞」の2013年度の「ざぶん文化賞」受賞作品の中から、鴨川の思い出を綴った作文を見つけました。
楠咲さん(当時中学三年生)の「鴨川と私」というタイトルの作文です。
2013年当時中学3年生ですので、今は高校生になられています。ざぶん賞に関する詳細はこちらから。
日常の中で接する鴨川の様々な様子が織り込まれ、「そうそう」と心の中で頷くほどに鴨川好きにはたまらない作品です。作文にはその内容から連想する情景をアーティストが描いて添えて作品が完成していますが、「鴨川真発見記」的には作文を読んで思い浮かぶ風景の写真を添えてご紹介したいと思います。
<作文とアーティストの画を添えて仕上げられた作品 「鴨川と私」>
文:楠 咲(くすのき さき)(中学校3年)
画:梅村 万里子(うめむら まりこ)
※以下の文章は作文本文の全文です(写真キャプションを除く)
その川の流れを見つめていると、私はこの鴨川に育てられたのかな、と思うことさえある。
<出雲路橋から北山を望む>
わたしは生まれた時からずっと京都に住んでいるので、鴨川はわたしにとってよく慣れ親しんだ川だ。
幼稚園の時は、散歩で鴨川まで歩き、友達と亀石飛びをして遊んだ。たまに足を踏み外しそうになってヒヤッとするのだが、そのドキドキがたまらない。そうしているうちに、本当に踏み外してしまって、川に落ちてしまうのだがその時に肌に触れる水の冷たさときたら、最高だった。
<幼稚園から飛び石へ>
<ドキドキしながら飛ぶ亀石>
<ひんやり水遊び>
川岸でもたくさん遊んだ。四つ葉のクローバー探し、お正月には川岸で凧揚げをして、体全体で風を受けて駆け回っていた。
鴨川は小さな私にとって絶好の遊び場だったのだ。
<シロツメクサの花が広がる>
<四つ葉のクローバーを探そう>
<凧揚げ>
<風を受けて>
小学校低学年にもなると少し楽しみ方も違ってきて、鴨川の絵を描いていた。
そうすると、犬を散歩している人、楽器を練習している人、いろんな鴨川での過ごし方を満喫している人が目に入ってきた。
<鴨川でスケッチ>
<犬の散歩をしている人>
<楽器を練習する人>
本当に鴨川にはたくさんの楽しみ方があると思う。春には桜が鴨川を色取ってたくさんの花見客で賑わう。みんな鴨川が好きなんだなと思うと嬉しくなった。
<大文字山をバックにソメイヨシノ>
<花見客で賑わう>
私は花ビラが散った後の活力の溢れた葉桜も好きだ。
<活力溢れる桜の葉>
<そして実がなる>
季節によって変わる鴨川はどれも楽しいと思う。
高学年になると、健康を気にしてジョギングをするお父さんと一緒に鴨川へ行くようになった。といっても、わたしがジョギングをするわけではない。わたしは、汗を流して懸命に走るお父さんの横で、その走るスピードに合わせながら自転車をこぐだけである。遅すぎて、たまに自転車ごとこけそうになりながらも、心の中ではがんばるお父さんの応援をしていた。
<鴨川をジョギング・ウォーキング>
お父さんがジョギングを終えたあと、全く汗のかいていないわたしにもスポーツドリンクを買ってくれたのを今でも覚えている。
いつしかそれは恒例になって、ベンチに座って、夕日に染まった黄金色の川を眺めながらお父さんといっしょに飲むのが大好きだった。
<ベンチで一休み>
<夕暮れ時のベンチ>
<鴨川を照らす夕陽>
中学二年生では、運動音痴でバドミントンのサーブができないわたしために、お姉ちゃんが鴨川で特訓をしてくれた。全然続かないラリーしかできなくても、投げ出さず、教えてくれた。
最近、部屋を掃除している時に、わたしが覚えていないくらい昔に、年賀状のために家族と撮った写真を発掘した。写真の中のわたしは鴨川をバックに、満面の笑みで映っていた。こんなに昔から、鴨川はわたしの側にずっといたのだな、と思った。
<鴨川で写真を撮る人>
時には遊びの場として、時には憩いの場として、鴨川はいつもわたしに居場所を作ってくれていた。鴨川との思いでを挙げるときりがないくらいだ。
しかしこの鴨川の側で家族といっしょにずっと暮らしていけるわけではない。寂しいけれど、いずれ別れが必ずやってくるのだろう。けれどわたしは、鴨川で過ごした、他愛もない、しかしぬくもりのある温かい時間をいつまでも忘れない。
わたしの心を育んでくれた鴨川に感謝したい。ありがとう、そしてこれからもよろしく。
以上が「鴨川と私」のご紹介です。
これまでに「鴨川真発見記」でご紹介してきた鴨川の様子も綴られていて、鴨川をこよなく愛する気持ちが伝わってきました。
少なからず、鴨川の近くで育った方は、楠咲さんの様な思い出をもっておられると思います。
鴨川の環境も昭和の時代から様々に変化してきています。遊び方は違っても、また利用の仕方は違っても、重ねた年齢は違っても、鴨川でのそれぞれの記憶が皆さんの心に刻み込まれている事と思います。
作文中冒頭に「その川の流れを見つめていると、私はこの鴨川に育てられたのかな、と思うことさえある。」とあります。鴨川の近くで生まれ育った人はもちろん、他の地から転居してこられた多くの皆さんも、日々鴨川に育てられているのではないでしょうか。
都会のオアシス「鴨川」に感謝です。
平成27年1月22日 (京都土木事務所Y)
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