丹後広域振興局
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特別名勝(景色のよい土地で特に重要として指定されたもの)である天橋立は、松島(宮城県)、宮島(広島県)と並ぶ日本三景として知られています。
天橋立は、白砂青松の大変美しいところとして、毎年全国各地から年間200万人を超えるたくさんの人々が観光に来られます。
天橋立の由来(ゆらい:名前のいわれのこと)は、「丹後風土記」によると、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天界と下界を結ぶために、梯子を作って立てておいたが、命が寝ている間に海上に倒れ、そのまま一本の細長い陸地になったのが天橋立だと記されています。
少し難しいですが天橋立は、「 丹後天橋立大江山国定公園 」の特別地域(自然公園として保護しなければならない地域)になっています。
天橋立の美しい景色を表す言葉で「白砂青松」という言葉があります。
天橋立はその名のとおり、白い砂と約6,700本の松でできており、その美しい姿は古くから多くの人々に愛されてきました。
また、二つの海を分けるようにしてある松並木が珍しい景色でもあり、絵に描かれたり、与謝野寛(よさのひろし)・晶子(あきこ)など、多くの歌人に詠まれるなど、文化的なものとしても親しまれてきました。
特に、画家の雪舟が書いた天橋立図は国宝に指定され有名です。
天橋立は長さが約3.2キロメートル(大天橋、小天橋部分)、幅は20から170メートルの砂嘴(海の流れによって運ばれた砂が溜まってできた嘴のような地形のこと)でできています。
天橋立は宮津湾と阿蘇海の二つの海を分けるように文殊側から江尻側まで続いており、この二つの海がつながっているのは、回旋橋のあるあたり「文珠水路」のわずかな部分で通じています。
みなさん天橋立がいつぐらいに地球上に現れたか知っていますか?
今から約4000年前、世屋川をはじめとする丹後半島の東側の河川から流出した砂礫(されき:砂礫とは砂や小石)が海流(下の図の赤色の線)により流され、野田川の流れからくる阿蘇海の海流(下の図の黄色の線)とが、ぶつかったことにより、江尻側よりほぼ真っ直ぐに砂礫が海中に堆積しできたものといわれています。
天橋立はもう一つの顔として、ちょっとむずかしいお話ですが、都市公園法という法律で管理している都市公園という役割も持っています。天橋立公園といいます。
都市公園である天橋立公園は、大天橋(だいてんきょう)、小天橋(しょうてんきょう)、第二小天橋(だいにしょうてんきょう)とその三つを眺めることのできる傘松公園(かさまつこうえん)の4つの地区から成り立ちます。
天橋立の管理は、江戸時代までは智恩寺(ちおんじ)の境内ということから智恩寺による管理をおこなっていましたが、明治以降、国、京都府へと管理が移り、現在は京都府丹後土木事務所が管理をしています。
次に丹後土木事務所が行っている天橋立の仕事について説明しましょう。
海岸部分の仕事は主に京都府港湾局が担当しています。
それはどんな仕事かというと、天橋立の宮津湾側の海岸の砂がなくならないようするサンドバイパスという工事です。
サンドバイパスとは、砂浜に沿って流れゆく砂が人工構造物などに移動をさえぎられたため、その上手側に堆積したものを下手側の海岸に人工的に移動させる一種の養浜工です。(くわしくはパンフレットで見てね!)
(サンドバイパスの効果)
左の昭和50年の写真を右の平成6年を比べると、砂浜のようすがずいぶんと違い、サンドバイパスの効果がよくわかると思います。
このサンドバイパス工事ですが、昔は突堤(とってい)を造って削られないように守ってきましたが、現在は毎年近くの砂を持ってきて海岸を守る工事をしています。
天橋立は「白砂青松」という形で千年以上も続いてきました。
なぜ、続いてきたのでしょうか?
その理由を考える中で松の特性、現在の天橋立がどうなっているか、天橋立の松を取り巻く環境について考えてみましょう。
松は、陽樹といって、育つために最低限必要な光合成量が比較的多いタイプの樹木であり、太陽の光を好みます。
また水分の少ない乾燥した土地でも育つことができるため、海岸や山の尾根など水分も栄養もないような場所で見られることも多くあります。
逆に、水分も栄養がたっぶりの土になると、広葉樹へと移り変わってしまって、逆に松は生育しにくい状況となります。
松は放置すると広葉樹へ植生遷移してしまいます。そのため、放置してはいけないのです。
(注:植生遷移とは、植物群落が時間が経つに伴って変化していく現象のことです。)
天橋立を表す美しい言葉「白砂青松」、実は、今の天橋立は、そうでないところもあるのです。
現在の天橋立の松林はあまり良い状態ではありません。そう、本来白砂でなければならない砂は、下草でいっぱい、松は弱々しい状態なのです。
現在の天橋立は、腐植土といって、栄養がたっぷりの土がありすぎて、そのことにより、松以外の植物が育ちやすい環境になっています。
そして、松自身も根があまり育たなくても十分栄養をとることが出来るため根元がしっかりしておらず、幹ばかりが高く育ってしまい、バランスの悪い状態になっています。
平成16年の台風23号の際には、松が根から倒れる例が多くありました。
平成16年10月20日に台風23号がこの地方を直撃した時、天橋立も約200本の木が倒れる被害に遭いました。
なぜそれほど沢山の木が倒れたかというと、松のバランスが悪かったことが倒れた原因の一つであるとわかりました。
この事が分かって私たちは、これまでの松枯れから守る方法に加えて、新しく、松を健康に戻すための仕事を増やしました。
その一つとして、現在、腐植土を取り除くことを行っています。
腐植土を取り除いて、その後に砂をいれたり炭を混ぜたりしています。
また、昔はご飯を炊いたり、お風呂を沸かしたりする燃料にするため、松の枝や葉などを集めていました。
そのことが、天橋立の土を栄養の少ない良い状態へとつながっていました。
そう、燃料のために、松葉や枝をとることも天橋立を守る、良いことだったのです。
このようなことをしなくなった今、どうしているかというと、地域の人達、それからボランティアの人達にもこの腐植土ができる原因となっている下草(雑草)や松葉をとってもらうお手伝いをしてもらっています。
丹後土木事務所では新たに「天橋立まもり隊」というボランティアの仕組みを作って、多くの方々に天橋立を守る活動をしていただいています。
(天橋立まもり隊の活動事例)
もしこのまま、天橋立を放っておいたらどうなってしまうと思いますか?
天橋立を放っておくということは、天橋立が「白砂青松」でなくなってしまうということです。下草刈りや悪い土をとらないでいると、松以外の植物が増えてしまい、松が育たない環境になります。
松がなくなれば青松とはいえません。
砂嘴の部分についても、昔は、川から流された砂や海からの砂が海岸に流れ着いて大丈夫だったのが、いまは、川や海を守る工事が進んで、砂が流れなくなったために、昔のように砂が付かず、逆に波により減ってしまいます。
砂をいれる工事をしないでいると、海の流れにより砂が削られ、天橋立がなくなってしまいます。
そうなれば「白砂」でなくなるどころか、天橋立自体が消滅してしまいます。
また、せっかくの白い砂浜も海から流れ着くゴミで汚されては台無しです。白い砂浜を守るためには、浜辺のゴミを取ることも大切です。
天橋立は、昔からたくさんの人々により、色々な方法によって守られてきました。
今もボランティアの人たちにより清掃活動が行われたりして、守られています。
今以上に「白砂青松」として天橋立を守っていくために、少しでも白い砂に近い土の状態に戻し、松ももっと健康な松に戻すための活動を続けていくことが大切です。
以上、天橋立についていろいろとお話ししましたが、少しは天橋立の魅力や大切さが分かっていただけましたか?
決して大げさに考えなくてもいいですよ。
自分のできる範囲で天橋立の保全活動に参加したり、天橋立の魅力をいろいろな人にお話ししてもらうだけでいいんです。
まずは、天橋立を思うこと「見守ること」から始めてみてください。
それが、やがて大きな力となって、さらに天橋立を守り残していこうとする活動につながります。
みなさんが見ている美しい天橋立は昔の人たちが守り続けてきたからこそあるものです。
それは、あなたたちが大人になった時、そして、みなさんの子どもや孫たちにも同じように美しい姿で見てもらえるよう、つないでいかなければなりません。
みなさんも、やがて大人になり、年老いていきます。
そのとき、自分の子どもや孫たちに「自分も天橋立を守る活動に参加していた」とか「天橋立にはこういう魅力がある」とか「天橋立のふしぎ」などについて語ってあげられることができれば、すてきじゃないですか。
天橋立には知れば知るほど、いろいろな魅力が詰まっています。丹後の宝物(たからもの)というだけでなく、日本の、そして世界の宝物なのです。
それに気づいて、少しでも守り残していこうとする気持ちが芽生えるだけでもいいです。
いっしょになって、未来へと、白砂青松(はくさせいしょう)の天橋立を残していきましょう!
「天橋立 学ぶっく」でも分かりやすく説明しています。
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