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知恵の経営、元気印、経営革新、チャレンジ・バイの各認定等を受けた府内中小企業等を紹介するページです。
(掲載日:平成31年4月12日、聞き手・文:ものづくり振興課 足利)
藤田罐詰株式会社(外部リンク)(京都市下京区)の藤田茂夫代表取締役様にお話をおうかがいしました。
―会社名のとおり缶詰食品を作ってらっしゃるかと存じますが、御社の概要から教えてください。
藤田) 農産物や惣菜の缶詰だけではございませんで、瓶詰、袋詰、樹脂容器の食品、レトルト食品の製造を行っています。他社のOEMで生産しているほか、「○ト」の自社ブランドもございます。社員は10名強ですが、農産物は季節変動がありますので、ピーク時には派遣社員さんにも来ていただいています。
―御社の特徴についてはどうでしょうか? 同業他社さんというのは・・?
藤田) 特定の農産物等に特化して缶詰食品を製造されているところはありますが、当社のように、例えば、春のタケノコにはじまり、フキ、えんどう豆、マツタケ、栗、黒豆、小豆から、お節料理の具材、いなり寿司の皮といったものまで幅広く何でも対応しているところは、京都でもないかと思います。全国的にも数社ですね。
―お節の料理の具材やいなり寿司の皮ですか?!
藤田) はい。こちらの箱に入っているものは、バンクーバーに輸出するものですね。輸送の関係で、海外に出すものは缶詰の形をとるものが多いですね。大量のものばかりではなく、共同コンテナに乗せられるので、数箱分だけの依頼なんかもあるんです。
―そうなんですね。アイテム数はどれくらいあるのですか?
藤田) ちょっと数えきれないですね(笑)。発注先さんごとにもいろんな商品ラインナップがありますから。
―製造工程を簡単にご紹介ください。
藤田) 缶詰の場合ですと、材料や缶詰の仕入れ、炊き込みなどの調理・加工、内容によっては外注、検査、そして、缶に詰めて、巻締による密封をして、加圧加熱殺菌をします。加圧加熱殺菌の窯が2段になっているものは、熱水式で、上のタンクの熱水を利用します。1段のものは、熱スプレー式ですね。
(左)巻締機 (中)熱水式加圧加熱殺菌装置 (右)熱スプレー式加圧加熱殺菌装置
―レトルトもこちらでされてるんですね。
藤田) そうです。缶詰がとか、レトルトがというよりは、それぞれの食品の内容によって、加圧加熱時間が全て異なるので、そのノウハウが重要ですね。こちらは、古いタイプのものです。
―なんか格好いいですね!よく、缶詰を依頼する際に、ロットが問題になるんじゃないかという風に思ってらっしゃるところがあると思うのですが、それは、仕入れる缶詰の数がネックなんですか?
藤田) いえ、むしろ、この窯の容量ですね。何万とかいうロットをイメージされることが多いと思いますが、うちは、モノにもよりますが、千個からでも対応しているものもございます。
―素晴らしい!ところで、こういった和菓子のOEM生産なんかもされてるんですか?そうか、OEMということは、先ほどおっしゃったように、材料の選定から加工まで、自らされるわけですものね。自社で和菓子屋さんができちゃいますね!
藤田) ははは(笑)。原材料、缶の種類、加圧加熱の時間など、生産するアイテムごとに全て異なるわけですが、その全てについてノウハウ、レシピを有しているのが当社の強みですね。ですので、お客様からご依頼があった場合にも、様々なご提案も差し上げています。
―缶の話に戻りますが、別分野の企業さんから製缶企業さんを探しているという相談を受けて、確保に苦労した経験があるのですが・・・。
藤田) たしかに減っています。大手の製缶メーカーでは「飲料缶」にシフトしており、我々が使う缶は「食缶」と言うのですが、食缶は外注になってきています。その外注先もかなり限られてきていますね。
―そうなんですね。では、御社の課題は何でしょうか?
藤田) やはり、農産物を材料としていますので、天候不順等で必要な量、品質の確保が難しいという問題があります。そうした中でも、様々なルートで材料を確保し、おかげさまでクレームをいただいたという記憶はありません。
―業界としての課題と言いましょうか、そういった点はどうですか?
藤田) 例えば、丹波の豆、栗というのは、ありがたいことにブランド力もあり、ニーズも高いです。しかし、生産者が高齢化で少なくなってきています。日本全体が高齢化、人口減少していますので、難しいとは思いますが、品質を確保できるだけの技術をもった生産者の確保は、大きな課題ですね。
―明治16年創業とのことで、130年以上続いてらっしゃいますが、社長は何代目でらっしゃいますか?
藤田) 5代目です。日本で本格的に缶詰が生産開始したのは、 明治10年に、北海道石狩市でサケ缶が始まりです。 この6年後に当社の創業者が京都で、新鮮な京都の野菜を長期保存することを可能にしました。東山三条付近で創業した後、きれいな水が沸いていると有名なこの地(下京区朱雀正会町)に移転しました。今でも京都の井戸水を使っています。
―そうですか!最後に、今後の展望について、いかがでしょうか?
藤田) なんでもできる会社というのは、時に器用貧乏なところがありますので、少し特化した取組を検討しています。例えば、黒豆、栗に特に注力した新製品の開発を進めています。ぜひ、楽しみにしていてください!
是非、京都の味を世界にどんどん広めていただきたいですね!
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