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知恵の経営、元気印、経営革新、チャレンジ・バイの各認定等を受けた府内中小企業を紹介するページです。
(2024年1月12日、ものづくり振興課 足利)
e-fuelは、二酸化炭素と水素を原材料とする、石油と同じ炭化水素化合物の集合体です。そのメリットは、環境負荷が化石燃料より低いこと、資源国以外でも製造できること、水素や電動化と違って従来設備が利用できること、エネルギー密度が水素や電動化より高いことです。
中でも水素は、高圧ガス状態を維持するインフラコストがかかります。ならば、水素を高圧ガスの形で輸送・貯蔵するのではなく、バイオマスなど再生エネルギー由来のエタノールやより安全性の高いメタノールなどの液体アルコール(液体)を水素キャリアとして、その都度水素に変換する、そしてその水素からe-fuelを製造するのが、全体最適ではないかとのこと。
イーセップ株式会社(外部リンク)は、分離したい分子の大きさに合わせた物理膜を製造するノウハウを有しているのが強みで、メタノール生成の際に水からメタノールを分離する膜等を提供できます。けいはんなオープンイノベーションセンターでは、メタノール抽出の実証が進められています。
(令和3年10月20日、ものづくり振興課)
株式会社やまびことのe-fuelの実証試験に向けた共同研究開発契約の締結(外部リンク) |
(掲載日:令和3年7月13日、ものづくり振興課 足利)
イーセップ株式会社(外部リンク)(本社:けいはんなオープンイノベーションセンター(外部リンク))の澤村代表取締役にお話をおうかがいしました。
--新しい動きが始まっているそうですね。
澤村)はい。2022年3月までに二酸化炭素からガソリンを作ろうと思っています。
--地中に埋まっている化石燃料からではなく、既に地上にある二酸化炭素から、という意味ですか?
澤村)そうです。だから燃焼させてもカーボンニュートラルです。その二酸化炭素と、再生可能エネルギーから作った水素の化学反応で、合成液体燃料「e-fuel」を作るというものです。
--しかし何故?
澤村)「脱炭素社会」「水素社会」の実現に向けた世界の潮流の中で、日本の技術の結晶と言っても過言ではないガソリンエンジンが駆逐されていいのかと思うからです。別にエンジンが悪いわけではありませんから。
--そうした産業戦略上の視点もそうですし、既存のインフラの有効活用という社会の持続性の視点でも、意義深いですね。そこに御社の技術はどう活かされるのですか?
澤村)e-fuelの生成過程は3段階ほどあるのですが、その過程で生じるH2Oが逆反応してしまい、生成反応が停滞してしまうという課題があります。
--ふむ。
澤村)そこで、当社の分離膜によってH2Oを直ちに分離除去するということです。
(左)分離膜製品、(右)分離膜モジュール
--なるほど。その御社の分離膜について教えてください。
澤村)化学プラント等で二酸化炭素をはじめ様々な気体・液体を分離するための膜で、一般向けにはシンプルに「ナノセラミック分離膜」と言っています。セラミック製のナノレベルの細孔が無数にあるものです。
--ふむ。
澤村)沸点の違いによって分離する「蒸留方式」では、加熱や冷却のプロセスを繰り返し、高エネルギーで超大型の設備が必要です。また「吸着方式」では、バッヂ処理のため連続プロセスに導入するには複数ユニットが必要となります。そこで、「膜方式」による小型化ということになるのですが、「高分子ポリマー」だと耐熱性の問題で用途が限定的です。そこで、日本の大学が先進的に研究を進めてきた「セラミック膜」の事業化の動きが出てきたのです。
--なるほど。
澤村)当社では、他でもあまり取り組まれていない小さな分子の選択を行うシリカ系の自社製造からスタートし、現在はe-fuel用途で大きな分子の選択を行うゼオライト系分離膜の開発にも着手しています。
--まだ研究レベルのものだったわけですね。それをどう事業化されたのでしょうか。
澤村)高い性能を発揮しながら、低コスト化を図り、量産技術を構築することが重要です。そのため、多孔質アルミナ基材の支持体に独自のシリカ系中間層を付与することで、分離膜(機能膜)を薄くすることに成功しました。
--なるほど。
澤村)そして、京都府・京都産業21の補助金等も活用しながら、製造装置も開発しました。
--工程は、簡単に言えばシリカなどのセラミックを積層して、焼成するということですか。
澤村)そうです。
--化学プラント等での導入状況は?
澤村)大変大きなテーマであり、いきなり全て置き換えるということにはまいりませんから、例えば廃液等での実証から徐々に試していただいているという段階です。
--そうなのですね。壮大なテーマに向かって進んでらっしゃるわけですが、そもそも起業された経過を教えてください。
澤村)高校の時は「化学」があまり得意ではなかったのですが、予備校の先生の影響で目覚めました。「化学なら、ゼロサムではなく、生み出せるやん」と。
--ゼロサムではなく?
澤村)弁が立ったので「弁護士になれば」と言われたこともあるのですが、裁判って、負けた方にも、彼らなりの背景があったりするし、誰かが得をすることで誰かが損をすることに、だんだん虚しくなってきたんです。
--当時から弁が立つと?!今もプレゼン、むちゃむちゃお上手ですものねえ。それは昔からだったのですね!
澤村)ははは。局所的ではなく全体が報われるようにするには「技術」だなと。それで、大学から化学、分離膜を学び、博士、助手になるまで研究をしていましたが、この技術をぜひとも事業化したいと。この分野は日本が進んでいるので、30歳代になって国内メーカーに就職しました。
--そうなのですね。
澤村)ある時、関経連主催で、企業の若手を米国に数週間派遣するプログラムがあり、シリコンバレーに行ってきたのです。
--どうでした?
澤村)当時IT全盛期でした。極端な例ですが、「事業化が大事だから、技術はどうでもいい」という話を聞いて、違和感を感じました。技術者の目線で見たときに、中身がスカスカなビジネスプランもあったんです。結局、連携したいと思う相手が見つからなかったですね。
--なるほど。
澤村)あるいは、「日本にはエコシステムがない」という話にも違和感を感じました。技術者はみんな頑張っている、支援機関もそこそこあるし頑張っている、ないのは起業するプレイヤーではないか、と。
--ほう。
澤村)「人・モノ・金が必要だ」というのにも違和感を感じました。できない理由を言っているだけ。今の日本の大企業の多くだって戦後の何もない焼け野原からスタートしたじゃないですか、と。
--そうですよね。
澤村)「ものづくりには設備がいる」というのはそのとおりですね。当時は、ものづくり系のスタートアップ企業って、大学の先生が立ち上げたものが大半だったと思います。それ以外の場合は、家族を持ってしまうと失敗できないので、若いうちしかない。
--ふむ。
澤村)そして帰国しました。ちょうど、この膜の分野はメーカーが対応するには市場規模が十分ではなく、独立したスタートアップ企業が担う方が向いているということに、私も会社も気づき始めた時期でして、先ほどのプログラムに参加していた支援機関の方の後押しもあり、2013年10月1日に、けいはんなベンチャーセンターにて、この会社を立ち上げました。
--そうなのですね。
澤村)前日の9月30日ぎりぎりまで前の会社で働いて、10月2日が大安だったので2日にしようかとか、間を開けないと失業保険ももらえないなとか、迷いましたけれど(笑)
--そうなのですね(笑)。
澤村)32歳、資本金300万円。資本金があまり小さいとダメかなと思って。でも、学生生活が長かったので、1000万円ほど旧育英会の借金があっての300万円ですよ。物も何もないので「かわいそうだから」と、机と椅子だけベンチャーセンターの方が付けてくれましたよ(笑)。
左:創業時の2013年10月1日 右:1年後の2014年10月1日
--そうだったのですね。
澤村)最初は機材も何もないので、化学プロセスの設計とかシミュレーションとか、PCでできる仕事をしていました。「やれます!」と引き受けてから一所懸命研究して対応していましたね(笑)。
--今や世界的企業になられている企業さんでも、最初の頃はできなくとも「やれます」と言って受注していた、という話をよく聞きますよね。どういうルートで仕事が来たのですか?
澤村)研究者時代に、学会の段取りとかをやらされたんですよ。やらされてたというとおかしいな(笑)。その時にいろんな先生や企業の方とご縁をいただいて。
--そうなのですね。
澤村)学会等でも本会では目立たないので、小さな分科会に入ってそこでかわいがっていただく、といったようなことも重要です。「こいつ、助けてやろうか」と。
--そういう縁を獲得する、活かすというのは大事なのですね。
澤村)先生から技術移転を受けたプロジェクトもあります。年齢的なこともあって、引き受けさせていただいたものですね。
--今は何名体制ですか?
澤村)役員含めて20名ですね。この間、京都府や京都産業21、関西学研機構など、けいはんなの皆さんに本当によくしてもらってきました。
--当課の職員もいろんな者が関わらせてもらってきましたし、ありがたく受け止め、伝えます。最後に今後の展望はいかがでしょうか。
澤村)そうですね。大阪・関西万博のある2025年までに、e-fuelの商品化を進め、カーボン・ニュートラル社会に貢献したいですね!
2025年、乞うご期待!
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