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地域おこし協力隊として活躍、商品開発にも取り組む高橋一樹さん(宇治田原町)
移住したきっかけを教えてください。
和歌山県橋本市出身で、大学進学がきっかけで京田辺市へ住むことになりました。大学3回生の時、1年間休学して大阪のマーケティング会社でインターンシップ契約で働くこととなり、大阪の本町へと引っ越しました。
卒業後、その会社に就職…という選択肢もあったのですが、「地域おこし協力隊」を志願し、3年間の任期で宇治田原町へと派遣され、この町に住んでいます。
現在の生活について教えてください。
現在は宇治田原町役場のそばに住んでおり、2018年に開設された観光交流拠点「宗円交遊庵やんたん」で施設の運営管理全般に携わっています。この施設は湯屋谷区民が主体となってできた施設で、レジ管理、在庫管理、外部との折衝など全般の業務を担当しています。
この町で、地域おこしに取り組む様々な方々が集まる「21お茶のふるさと塾」にも参加しています。地元の中学校で「宇治田原町に良い会社をつくろう」といったワークショップに参加したり、地域の方々のところに遊びに行ったり…といった感じで、毎日、宇治田原町ライフを楽しんでいます。
また、施設の仕事とは別に、現在商品開発を行っています。宇治田原町はお茶の産地なので茶畑が多いのですが、特に山間部では茶畑の管理ができないところが増えています。
そのような耕作放棄地ならではの資源であるお茶の実(種)を拾って、美容オイルにするプロジェクト「re:birtea(リバティ)」を企画・開発、今年の2月から販売を開始しています。茶の実はビタミンEやオレイン酸が豊富なので、保湿性が良く、使用された方から「お風呂上りに塗ると、潤いが保たれてお肌がツヤツヤになる」といった声をいただきます。
今春販売が開始されたオリジナル商品「re:birtea(リバティ)」
この商品は作って終わりではなく、地域の方と共に様々な改善を行いながら、「宇治田原町ブランド」となるように育んでゆきたいと思います。
地域おこし協力隊の活動も残すところあと1年となり、任期が終了すると自立を迫られることとなります。任期終了後もこの町に住み続けていくためにはどうすればよいのか、地域との関わりを保ちながら生活のベースをどう創ってゆくか、どのような「仕事」を行えば良いのか、といったことを日々考え、動いています。
「仕事が日常の一部」に混ざっているような生活を目指し、この町にずっと住み続けたいと考えています。
「re:birtea」に込めた地域への想いを熱く語る高橋さん
地域の魅力について、お聞かせください。
宇治田原町の風景を見た瞬間、「自然な感じ」だと思いました。和歌山県の自然豊かな所で過ごしてきたので、一目見た瞬間、地元に戻ったような感覚を覚えました。
学生時代、5、6回と引っ越しをして、大阪の都心部に住んでいた頃は居心地の悪さを感じたのですが、ここに住むことで、「ありのままの自分」で居られるようになりました。
移住者として考えると、「人との関係を作っていくハードルが低い町」ではないか、と感じます。ふるさと塾でも町民の方と移住者との交流が上手くいっており、移住者でも自由な発言が許される空気感を感じます。
唯一不自由に思うことは、京田辺市に住んでいた頃、よく飲みに行きましたが、ここは電車がないので、飲み歩くことができない…というくらいでしょうか。
移住して感じた、移住前の想像と違ったところ(ギャップ)をお聞かせください。
移住する直前は大阪に住んでいたので、ここに来てギャップだらけでした。大阪では、都会の生活は便利だけれど、僕にとっては「心地よさが足りない」と感じていました。
ここに住んで、朝起きて窓を開けた瞬間の空気感が心地よく感じられて…。コロナ禍、都会の一人暮らし、近所に知っている人は誰もいない、私が当時感じた孤独感は、ここでは無縁のように感じます。
これから移住を考える人へ、先輩移住者としてのアドバイスをお願いします。
これから移住を検討されている方にお伝えしたいことは、「とにかく地域の方々のお話をたくさん聞いてみてもらいたい。」ということです。宇治田原町は、移住者に対してオープンな方々も多いですし、先輩移住者もたくさんいます。
その方々から話を聞き、移住後の生活についての想像を膨らませてもらいたいです。多様な生き方をされている方がいらっしゃるので、あなたが思い描く「理想の暮らし」を実現されている方に巡り会えるかもしれません。ぜひ一度、お気軽に宇治田原へ遊びに来てみてくださいね。
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