丹後広域振興局
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天橋立については、日本三景に数えられ、白砂青松の大変美しい公園であり、この美しい景観を未来に引き継いでいく必要があります。
ここでは宮津市府中小学校5年生(21名)にお話しした内容について掲載しています。
みなさんこんにちは。私は京都府丹後土木事務所施設保全室から来ました。よろしくお願いします。
今日は、みなさんに天橋立についてお話をしに来ました。
といっても、みなさんもこれまでから天橋立について、いろいろとを勉強されていると思います。
もしかしたら私よりもみなさんの方が天橋立について良く知っているかもしれません。
そこで、みなさんがどのくらい天橋立を知っているか、時々質問しながらお話ししたいと思います。
まず最初に天橋立について説明をします。
天橋立は、古くから日本を代表する景色の優れた場所「景勝地」として、日本三景の1つに数えられる有名な場所で、毎年全国各地からたくさんの人が観光に訪れるところでもあります。
天橋立の美しい景色を表す言葉で「白砂青松」という言葉があります。
では、ここでみなさんに質問があります。
みなさん「白砂青松」って知っていますか?
では、どんな字を書くか知っていますか?
もう一つだけ聞いてみましょう。この「白砂青松」がどんな意味かわかりますか。
「白砂青松」は、文字通り、白い砂と青い松を示します。天橋立はこの白い砂と約5千本のクロ松で出来ています。
天橋立は「白砂青松」の地として日本三景の一つに数えられています。
その美しい景観は古くから多くの人々に愛され、その姿は絵に描かれたり、詩に詠まれたりしてきました。
これもその一つですが、雪舟という人が書いた有名天橋立図です。
この「白砂青松」という言葉は今日、みなさんにお話しする中で大事な「キーワード」になるので、このまま黒板に書いたままにしておきます。
では、もう少し天橋立について説明しましょう。
天橋立は、延長約3.2キロメートル(大天橋、小天橋部分)、幅、20から170メートルの砂嘴(さし:海の流れによって運ばれた砂が溜まって出来た嘴(つの)のような地形のこと)で出来ています。
こちら側の海が宮津湾、みなさんが通っているこの府中小学校がある方の海を阿蘇海といいます。
天橋立はこのふたつの海を分けるように文殊側から江尻側まで続いており、このふたつの海が繋がっているのは、みなさんも良く知っている回旋橋のあるあたり、「文殊の切戸」から「文殊水路」のわずかな部分で通じています。
次に天橋立の成り立ちについて簡単に説明をします。
みなさん天橋立がいつぐらいに地球上に現れたか知っていますか?
今から約4000年前、世屋川をはじめとする丹後半島の東側の河川から流出した砂礫(砂礫とは砂や小石など)が海流により流され、野田川の流れからくる阿蘇海の海流とがぶつかったことにより、江尻側よりほぼ真っ直ぐに砂礫が海中に堆積し出来たものといわれています。
また、天橋立はもう一つの顔として、ちょっと難しいお話ですが、都市公園法という法律で、管理している都市公園という役割も持っています。
都市公園である天橋立公園は、大天橋、小天橋、第二小天橋とその三つを眺めることの出来る傘松公園の4つの地区をいいます。
天橋立の管理は、江戸時代までは智恩寺の境内ということから智恩寺による管理をおこなっていました。
明治以降、国、京都府へと管理が移り、現在は私が仕事をしている京都府の丹後土木事務所が管理をしています。
はい、ではここで私たちが行っている天橋立の仕事について説明しましょう。
1つ目の松林の管理は、天橋立の松林を守るために、薬剤散布といってマツクイムシから松を守るために薬をまいたり、枯れ枝をとったり、下草を刈ったりしています。
2つ目の施設の管理は、天橋立の中にあるトイレや休憩所のそうじや修理、そして公園にあるゴミのそうじなどを行っています。
3つ目の利用についての管理は、天橋立の中で、テレビの撮影をしたり、大会をしたり、一般の人が建物などを天橋立の中に造ったりする時の許可をしたりしています。
また、私たち土木事務所が行っている仕事以外の仕事として、同じ京都府の港湾事務所が、天橋立の海岸の所の仕事をしています。(現在は丹後土木事務所で行っています。)
それはどんな仕事かというと天橋立の宮津湾側の海岸の砂が無くならないようするサンドバイパスという工事です。
このサンドバイパス工事ですが、昔は突堤を造って削られないように守ってきましたが、現在は毎年近くの砂を持ってきて海岸を守る工事をしています。
これらの仕事は、天橋立を守るために頑張っている仕事です。
では、なぜ、私たちが天橋立を守っているかというと、それは、天橋立に観光に来たり、使ったりするたくさんの人達に気持ちよく利用してもらうためです。
でも、もう一つ大切な理由があります。実は今日みなさんにお話に来たのも、その大切な理由の一つなのです。
それは、「天橋立を未来に引き継いでいくこと」です。
お話ししたように、天橋立はかなり昔から自然に出来ており、その美しい姿を地域の人々をはじめとするたくさんの人々に愛され、そして守られてきています。
私たちとしても、その姿を未来に引き継いでいくことがとても大切だと考えているのです。
「天橋立未来に引き継いでいくこと」、それは「未来の天橋立」を守ることです。
タイムマシーンに乗ったわけでもないのに、どうやって未来の天橋立を守るんだろうって思いますよね。
でもそれが出来るんです。
その方法について今からお話ししますが、そのお話をするにはまず、今の天橋立の状態についてみなさんに知ってもらわなければなりません。
ここに書かれている「白砂青松」、実は、今の天橋立は、そうでないところもあるんです。
現在の天橋立の松林はあまり良い状態ではありません。
そう、本来白砂でなければならない砂は、下草でいっぱい、松は、弱々しい状態なのです。
松は、本来、海岸の砂地のような、水分も栄養もないような所でも育ちます。
しかし今の天橋立は、腐植土といって、栄養がたっぷりの土がありすぎて、そのことにより、松以外の植物が育ちやすい環境になっています。
そして、松自身も根があまり育たなくても十分栄養をとることが出来るため根元がしっかりしておらず、幹ばかりが高く育ってしまい、バランスの悪い状態になっています。
みなさんも覚えていますね。
一昨年、平成16年10月20日に台風23号がこの地方を直撃したこと。
宮津にある大手川という川が氾濫し、沢山のおうちが被害に遭いました。
その時、天橋立も約200本の木が倒れる被害に遭いました。
なぜそれほど沢山の木が倒れたかというと、今お話ししたように松のバランスが悪かったことが倒れた原因の一つであるとわかりました。
この事が分かって私たち府の土木事務所は、この栄養たっぷりの腐植土を除去しようという実験を今月の16日から始めました。
場所は、江尻側の入り口から入ったこの辺で、行っています。
具体的にどのような実験を行っているかというと、取り除いた後は、そのままがいいか、砂をいれたらいいか、砂だけじゃなく、根を強くするために、炭も混ぜた方がほうがいいか、ということをしています。
砂だけじゃなく、根を強くするために、炭も混ぜた方がほうがいいか、ということをしています。
では、昔はどうだったんだろう腐植土は何でなかったんだろうと考えてみると、昔はご飯を炊いたり、お風呂を沸かしたりする燃料にするため、松の枝や葉などを集めていました。
そのことが、天橋立の土を栄養の少ない良い状態へとつながっていました。
そう、燃料のために、松葉や枝をとることも天橋立を守る、良いことだったのです。
このようなことをしなくなった今、どうしているかというと、みなさん良く知っていると思いますが、天橋立を守る会の人達や、地域の人達、それからボランティアの人達にもこの腐植土が出来る原因となっている下草(雑草)や松葉をとってもらうお手伝いをしてもらってます。
これは、下草のくずをとってもらっている様子です。
もしこのまま、天橋立を放っておいたらどうなってしまうと思いますか?
天橋立を放っておくということは、天橋立が「白砂青松」で無くなってしまうということです。
下草を刈ったり、悪い土をとらないでいると、松以外の植物が増えてしまい、松が育たない環境になります。
松が無くなれば青松とはいえません。
また、砂嘴の部分についても、昔は、川から流された砂や海からの砂が海岸に流れ着いて大丈夫だったのが、いまは、川や海を守る工事が進んで、砂が流れなくなったために、昔のように砂が付かず、逆に波により減ってしまいます。
先ほどお話しした、砂をいれる工事をしないでいると、海の流れにより砂が削られ、天橋立が無くなってしまいます。
そうなれば「白砂」でなくなるどころか、天橋立自体が消滅してしまいます。
そう、天橋立の未来を守ろうと思ったら、天橋立をなくさないようにしないといけないのです。
それは、簡単なように思えますが、結構難しいことなんですよ。
天橋立は、昔からたくさんの人々により、色々な方法によって守られてきました。
今もボランティアの人たちにより清掃活動が行われたりして、守られています。
これまで天橋立が守られてきたのはそうやって人の手が加わったことによるものです。
そしてそれが昔からずっと続いてきたからなのです。
人の手を加えることを続けるということで、天橋立を無くしてしまうことなく、未来へと繋がっていくわけです。
そう、未来の天橋立を守るには未来に行かなくても出来るんですね。
天橋立を管理する私たちも、今以上に「白砂青松」として天橋立を守っていくために、少しでも白い砂に近い土の状態に戻し、松ももっと健康な松に戻すための仕事を増やしていきます。
では、これで「未来の天橋立」を守る方法が完璧かというと、もう一つ必要なものがあるんです。
それは、天橋立を「見守る」ことです。
天橋立を守っていくことは、「人の手」だけで守られているわけではありません。
こうして、人の手が加わるということは、それだけたくさんの人が、天橋立を愛しているからだと思います。
天橋立を宝物のように想い、守ろうと思う「気持ち」がないと、天橋立を美しい状態で、守っていくことは出来ません。
天橋立をなくさないために、未来でも、この美しい天橋立の景色が存在するためには、その守る「気持ち」も未来へと受け継がれなければなりません。
ここでちょっと、命名松についてお話ししましょう。
みなさん、天橋立の命名松の名前知っていますか?
命名松は、天橋立の中で特徴のあるモノに名前が付けられた松です。
この命名松は天橋立に20本あり、橋立の松の中でも特にみんなから愛されてきました。
その命名松も、台風23号により「蕪村の松」「小女郎の松」「双龍の松」が被害に遭い、倒れてしまいました。
みなさんも知っているとおり、双龍の松については、今もその時倒れたまま、残っています。
しかし、これまで沢山の人に愛され、親しまれてきた3本の命名松を、何とかもう一度よみがえらせるために、福知山市にある京都府の林業試験場夜久野分場というところで、3本の命名松の枝を取り、接ぎ木をして子供の木「苗木」をつくりました。
この苗木が、育ち、橋立に戻ってくることになったのです。
これが接ぎ木の様子です。
今度12月13日にはみなさんに参加してもらってする植樹式は、この苗木を3本植樹する行事です。
その行事では、みなさんに「蕪村の松」の苗木2本と、その植樹をする場所の横にある「双龍の松」の苗木1本を植えてもらいます。
みなさんにこの行事に参加してもらい、沢山の人の想いがこもった苗木を植樹してもらうことで、みなさんにも、その込められた思いを感じて欲しいと思います。
そして、みなさんが自分たちで植えた松が、大きく育つように見守っていて欲しいと思います。
私たちは、みなさんに天橋立を知ってもらって、みなさんにとっても天橋立は大切なふるさとの宝物だと思っていただけたらと思います。
そして、みなさんが天橋立を宝物として思い続けてもらうためにも、未来に向かって美しい天橋立を守っていきたいと思います。
だから、どうかみなさんも、今日私がお話ししたことを思い出して、天橋立を見たり、思ったりしてみてください。
そうやって、心の中で、天橋立を忘れずに見守っていてくれることで、みなさんが大人になった時、そしてもっと先の未来へ天橋立が繋がっていくことでしょう。
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