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京都市北区の北部に位置する小野郷学区、中川学区、雲ケ畑学区の三学区では、地域の資源を再発見し、よりよいまちづくりのためにそれらを活用する方策を考えると同時に、自らの地域に対する誇りや自信を再構築する活動をされています。
<北山三学区まちづくりビジョン 雲ヶ畑>
鴨川の源流を有する雲ヶ畑地域のビジョンがとても心に響きました。その前文がこちら
ここは千年の昔、平安京造営のために「杣人」が移り住んだという村、いまも、山や木々と生きる豊かなふるさとがここにあります。
わたしたちには、捨ててはいけないものがあります。
親から子へ世代を超えて繋がれてきた想いのたすきを、つないでいきたい。
先人のため、未来の子どもたちのため、雲ヶ畑を愛する人のために。
そのためにわたしたちは、どこか遠くにいる青い鳥を探し求めるのではなく、もう一度、足元にある幸せを見つめ直し、噛みしめてみる事にしました。
わたしたちは、
・雲ヶ畑のルーツである山や木に根差し、山紫水明の自然とともにある暮らしを楽しみます
・営みとしての林業、田畑、鴨川の水を守り、風景・風土をつくります。
・家族との時間を大切にし、よその子も叱れるおっちゃん、おばちゃんでありつづけます。
・協同の心を大切にし、みんなで絵に描いたようなかわいい山村を目指します
・惟喬親王ゆかりの地、そこにあふれる歴史ロマンや、松上げなどの伝統行事を伝えます。
鴨川源流、こんなところに、幸せのカタチがありました。
<雲ヶ畑学区のシンボルマーク>
なかでも、
「そのためにわたしたちは、どこか遠くにいる青い鳥を探し求めるのではなく、もう一度、足元にある幸せを見つめ直し、噛みしめてみる事にしました。」
という一文に惹かれました。私の知り合いに「あるもんでプラス」という活動をされている方がおられます。そこに“あるもん”でそれを活かして生活を豊かに過ごすという考え方です。食、自然、歴史、ジャンルに関わらず“あるもん”での考えかたに通じるものがあります。
ちなみに、杣人(そまびと)を広辞苑で調べると、杣は大きな建築用の木材でその木を切り出す事を業とする人。きこり。そまうど。そまだくみ。
とあります。林業に従事する方の事ですね。
地域の資源を活かした村づくりの姿勢に共感を覚える方も多い事と思います。そんな雲ヶ畑の魅力を発見しようと有志が集まりました。
京都の顔ともいわれる「鴨川」の源流雲ヶ畑では、川の水を守る村人が今も大切に川を見つめておられます。今回は、雲ヶ畑の鴨川の魅力を発見するために、地元にお住まいの久保常次さん、清美さんご夫妻のお宅を訪問し、生活に密着した鴨川源流の魅力を発見してきました。
2月11日(水・祝)は、心配していた降雪もなく、もくもく号に乗り込んでいざ出発です。
“もくもく号”と聞いて、「面白い名前だけどなんでその名なの?」という質問をされる方が多いようですので、「もくもく号」の名の由来をチラシから拾ってみました。
「雲ヶ畑の雲がもくもく」「北山杉が立ち並ぶ木々」
「初めて雲ヶ畑を走った木炭バスの煙がもくもく」
「おくどさんやお風呂の煙突から、いまでもたなびく煙がもくもく」
「なるほど」いろんな“もくもく”が掛かっているのですね。
みなさんは、雲ヶ畑という名前で何を連想されるでしょう。その名の由来は諸説あるようですが、雲の畑ということで「雲が生まれる程高い場所にある」と連想する人も多いのではないでしょうか。
雲ヶ畑村のキャッチコピー「京都で一番青空に近い村」と合致するのではないでしょうか。
もくもく号の出発地点の北大路駅前は、ビルも建ち並びいわゆる街ですが、ほんの15分も北へ走ればその様相は一変して山の中です。更に進むと北山杉が立ち並び、もくもく号の名の由来の一つが姿を現します。
<北大路駅前>
<車で15分 別世界>
<もくもく号の名の由来 北山杉が木木(もくもく)と>
<終点 岩屋橋>
30分も走れば開けた雲ヶ畑村に到着です。終点岩屋橋で下車して、雲ヶ畑の自然を感じながら、お世話になる久保さんのお宅へ向かいました。
自然観察をしながら久保さん宅までと予定していましたが、みなさん早く久保さんのお宅に到着したかった様で、5人だけ取り残されながら自然観察を楽しみました。
<ゆっくり自然観察>
自然観察指導員の弓削さんが見つけて教えてくれたのは、「ヤママユガ」のマユです。なんとも上品な緑色のマユが葉の落ちた枝に一つぶら下がっていました。自然の染料で染めたといった感じです。
<ヤママユガの緑色のマユ>
石を積み上げただけの石垣には、苔が繁茂しています。1000年の歴史を持つ雲ヶ畑を感じます。普段見慣れない珍しいと思う苔も地元の方には珍しくもなく、ただ苔としての認識しか無いようでした。
<苔の生えた石垣>
<ヒダの様に生える苔>
久保さん宅への道中の民家の石垣には黄色いものが着いています。何かの塗料が付着したようにも見えますが、弓削さんに「地衣類」という原始的な植物の一種と教わりました。
地元の方は、気にもしていなかったそうです。毎日目に入るものは、あって当たり前の感覚となる事を改めて感じる事となりました。
<黄色い地衣類>
久保さんのお宅の煙突からは、薪ストーブから立ち上る煙が揺らいでいます。
これまた“もくもく号”の名前の由来です。
<たなびく煙が“もくもく”>
雲ヶ畑の源流域の流れをみながら久保さんのお宅へ、とその前に雲ヶ畑の住民が神聖な鴨川の水を守る為に昔あった風習の説明を受けました。
<鴨川源流域の流れ>
久保常次さんに案内された場所には、お地蔵さんが並んでいます。昔、村でお亡くなりになった方があった場合、お家でお葬式をして鴨川へと水が流れない場所(真弓)まで、屍を運んで火葬したそうです。
そして、村を出るこの場所で最後の弔いをしたということです。鴨川の水は下流で御所へと引き込まれていましたので、その水に死者にまつわるものが混入しない様にされていました。
その風習からその峠に付いた名前が“持越峠”だそうです。
<最後のお別れの場所>
<鴨川へ流入しないように>
この日お邪魔した目的は、雲ヶ畑に人を呼ぶにはどうしたらいいのか、有志で集まって座談会をしながらヒントを探そうというイベントです。薪ストーブを囲んで、手作りぜんざいを食べながらお話しをして第一歩を踏み出そうというものです。
雲ヶ畑の事を良く知ろうということで、最初に地元住民の安井昭夫さんから、雲ヶ畑の歴史についてお話しをしていただきました。
志明院のこと、小野宮惟喬親王のこと、源義経のこと、雲ヶ畑の生活を支えた杉による林業の明治維新後から現在までの変遷のこと、などなど盛りだくさんに貴重なお話しを伺いました。
<地元への思いを熱く語る安井昭夫氏>
続いて、地元住民である久保常次さんから、地元への想いを語って頂きました。雲ヶ畑が寂れて行くのをただ何もしないで見ているだけでいいのか?何か行動をしなければと思いながら、動き出す事が出来ないでいた。京都バスの路線も廃止され、一日2往復の「もくもく号」だけになり、その「もくもく号」とて、利用が無ければ廃止される事も考えられる。
生きているうちに京都バス復活は究極の望みではあるが、到底実現する事は出来ない夢である。せめて1日1便の増発の為に何かに取り組みたい。との想いを聞かせて頂きました。
<雲ヶ畑への想いを語る 久保常次さん>
その後、地元から6名、地区外から16名の総勢22名の参加者が、輪になって座って自己紹介が始まりました。有志の集まりといっても、この場が初対面の方が多い一つの空間です。あの人は何者?何をやっている人?など見知らぬ顔が並んでいます。
1人ずつ自己紹介です。短くとは言いませんが、長くならない様にと始まりましたが、各分野で実績のある個性豊かな方も多く、なかなか話しを切り上げるのが難しかったです。でも、そのおかげで各参加者の活動内容を詳しく知る事ができました。
<久保清美さんの自己紹介>
自己紹介も終わって、お待ちかね、地元のみなさんのご厚意で用意して頂いたぜんざいに舌鼓です。事前について頂いた「自家製もち」に久保さん特製の甘さを抑えた味付けの小豆に入れて「いただきます」。
<薪ストーブの上で“ぜんざい”>
<薪ストーブを囲んで>
柔らかくなめらかな餅の味に「美味しい」の声が次々と聞こえます。“お代わり”する人が続出です。中には「おもち」5個も食べた人もおられたそうです。
しばらくの休憩タイムに突入しました。久保さんのお宅の裏庭には、鴨川源流が流れています。その河原は川と親しむのに絶好のポイントです。春には山椒の花が咲き、絶品の花山椒の佃煮が食べた人を虜にするそうです。
<花山椒の木>
<裏を流れる鴨川 ホタルの鑑賞も>
葉の落ちた木々の間を小鳥が飛び回ります。肉眼ではよく見えませんが、様々な野鳥の鳴き声が重なり合って聞こえてきます。森の演奏会の様に、小鳥が集まってきました。シジュウカラ、コゲラなどなど、そこに佇んでいるだけで短時間の探鳥会を楽しむ事が出来ました。
<頭の上には野鳥の影>
<木々の間から野鳥の鳴き声が聞こえます>
休憩が終わると、知らない同士が4つのグループに分かれて、雲ヶ畑で何が出来るかをテーマに座談会を開催しました。参加者の多くが場慣れされていて、サクサクと話が盛り上がりました。
なかでも、雲ヶ畑の地域資源の一番は「鴨川源流」ですが、各専門分野からの視点で様々なアイディアが生まれました。
各グループで出し合ったアイディアを発表して情報を共有しました。この結果が雲ヶ畑の村おこしに繋がることを祈りつつ今回の企画は解散となりました。
<各グループからアイディア発表>
参加頂きました皆様全員に感謝を込めて、また親愛なる鴨川への想いを込めて当日の報告をさせて頂きました。
平成27年2月16日 (京都土木事務所Y)
<全員で記念撮影>
<お見送りまでして頂きました 有難う御座いました>
2月15日(日)に開催されました京都マラソン2015の様子を、京都土木事務所のある北山通り、そして鴨川を中心にご紹介したいと思います。
自宅のテレビで西京極競技場の号砲を聞いて、北山通りを通って鴨川へと向かいました。折り返し点のある松ヶ崎橋手前にも給水所や横断幕が設置されて、選手の応援の準備が整っていました。
<京都マラソンガンバレ>
<給水所>
鴨川に到着する前に先頭ランナーが現れました。2人のランナーが競り合いながら疾走していきます。
<先導の白バイ>
<先頭ランナー>
京都コンサートホール前では“京炎そでふれ!彩京前線”が鮮やかな着物と躍動感ある踊りで選手を応援しています。北大路通りまで南下し、折り返しで再び北上するこの地点では、多くのランナーがすれ違いながら、横目でその応援を見ながら行き交います。応援が力に変わる瞬間を見た様な気がします。
<行き交うランナー>
<横目で見ながら>
<メラメラ燃える火のように>
<躍動する若者のパワー>
<まるで主役のランナーを彩る背景の様です>
ようやく鴨川へ到着しました。鴨川へと進入する北大路橋右岸上流のスロープから、続々とランナーが流れ込んできます。普段は地元のランナーの練習場所となっている鴨川も、この日ばかりは全国から集まったランナーで埋め尽くされました。
京都市管理の北大路橋では、橋脚の耐震工事が進められています。土嚢が積み上げられ、水を締め切っての工事です。橋脚耐震工事にも関心を持って頂く良い機会にもなったのではないでしょうか。
<北大路橋右岸上流>
<水の流れの如くランナー>
<まだまだ力強い走りです>
出雲路橋上流の広く開けた景観スポットにやってきました。鴨川真発見記で京都マラソンの様子をご紹介するのは、2013年大会に続いて2回目ですが、前回は橋の上からと、左岸(東側)からの写真が中心でした。今回は、東山を望む右岸からの様子もお伝えする事が出来ました。
<東山を一望しながら>
お天気がしぐれぎみで、大文字山が霞んで見えますが、鴨川のコースの中ではお勧めのビュースポットです。開放的な空間で、川の水と大空のパワーをチャージして残り約12kmを走り切りましょう。
<霞む大文字山>
だんだんと時間が経過して、お疲れのランナーが団子状態になり始めました。
疲労を隠せない表情のランナーの向こう側には、アオサギやマガモが見えています。今のランナーの皆さんの目には入らないかもしれませんが・・・。
<少しづつ混み合ってきました>
<鴨川の中に“アオサギ”“マガモ”>
<沿道の応援に元気をもらって>
<ガンバレの声が届きます>
<ワンちゃんも応援>
葵祭の行列のコースとなる出町橋の上は、記録写真の撮影スポットです。笑顔、真剣な表情、疲労困憊の表情と様々な表情が記録されていきます。
<鴨川コースの中でも狭い部分で>
「ふくらはぎが~」と悲鳴を上げる筋肉に、スプレーで手当をしてもらって、また走り出すランナーの姿も見えます。
<スプレーで応急処置>
ここで、疲労したランナーに笑顔でエールを送るウサギさん発見です。片手におもちゃのボクシンググローブをはめて、ハイタッチでパワーをお裾分けの様です。お声を掛けてその笑顔をパチリと撮らせて頂きました。
<ウサギさん発見>
<笑顔でエール>
関門通過制限時間が近づいてきました。足取りの重いランナーが目立ちます。
<さあ時間が無くなってきました>
<急がねば>
そして関門チェック時間が到来し、競技を中止し徒歩でゴール地点へと向かうランナーの姿が見られます。残念と歩を進める後姿がどこか寂しげでした。
<応援もなくなり>
<寂しげな後姿>
関門制限時間が過ぎて、コースに並べられたコーンポストをボランティアの方が回収されていきます。どんなマラソン大会も多くのボランティアの力が無くては成り立ちません。ボランティアの御婦人も笑顔で後片付けをされていました。
<縁の下の力持ち>
今回は、京都マラソン2015のコースの中でも、北山通りから鴨川へと繋がる約10キロのコースの一部の様子をご紹介しました。市民の理解を得て、スムーズな運営で継続される事を祈りつつ今回の記事を終えます。
平成27年2月17日 (京都土木事務所Y)
<京都マラソン2015コース>
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