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鴨川真発見記 平成25年12月

 第122号 小春日和の鴨川で群れる食べる

人も野鳥も鴨川で過ごす

 朝晩メッキリ冷え込んで、口から漏れる息も白くなってまいりました。鴨川や高野川でも冬の風物詩「ユリカモメ」が群れています。ユリカモメは雑食で何でも食べるそうですが、浅瀬で「コサギ」と共に群れを作って小魚を狙っています。

 一斉に飛び立って、辺りを一周してからまた元の場所へと帰ってきます。着水した「ユリカモメ」の口元には小魚が跳ねているものもいるようです。しばらくすると、また一斉に飛び立ち同じ事を繰り返しています。

 ひとしきりこの繰り返しの後、日の当たる場所に移動して体を温めていました。

<群れを作る「コサギ」と「ユリカモメ」>

<一斉に飛び立つ「ユリカモメ」>

<「コサギ」も続きます>

<また元の場所へ戻ります>

<口元に小魚を咥えるものも>

<日の当たる場所を選んで“日向ぼっこ”>

 色づいた葉も木から離れ、風が川の中へと運びます。水中の藻を食べている「カルガモ」のペアの傍では、普段は気が付きにくい小さな中州を黄色い葉が縁取ってハートのマークを浮き出しています。

<仲の良さを示すのか“ハート”>

<色んな形を縁取っています>

 落ち葉と一緒に運ばれた何かを「ヒドリガモ」がすくい取る様についばんでいます。落ち葉も野鳥を育む手助けをしているようです。

<落ち葉の中に“何か”を見つけて>

 その傍では、以前ご紹介しました鴨川の“柿”でしょうか、おそらく渋柿だと思いますが、熟した“柿”の実を丸かじりしているのは「カラス」です。

<脚で押さえて実をほぐし>

<美味しい所を“がぶり”>

 個人的には“珍しい”光景に出会いました。鴨川には「セキレイ」が生息しています。「セグロセキレイ」「ハクセキレイ」そして「キセキレイ」ですが、先の2種類のセキレイが対になって飛んでいる光景は頻繁に見かけます。

 「キセキレイ」が対になっているのを初めて見ました。チョットしたお宝画像です。

<対になって飛ぶ「キセキレイ」>

 次もまた「ユリカモメ」と「コサギ」の群れなのですが、先にご紹介した群とは少し違っています。ここでは「カワウ」も混じっています。水中で「カワウ」が飛び石近くの浅瀬へ追い込んだ小魚を争うように狩っています。異種の野鳥の協働作業に行き交う人もしばし足を止めて見入っておられました。

 “魚”関係者からとかく悪者扱いされる事の多い「カワウ」も「ユリカモメ」や「サギ」にとっては“ヒーロー”なのかもしれません。

<続々と他の場所からも集合>

<カワウの後を追う「サギ」「ユリカモメ」>

 色づく樹木といえば、紅葉、エノキ、アキニレ、サクラなどなど高木のイメージが強いですが、低木だって負けていないようです。サクラの咲く季節には、真っ白な小さな花を全身にまとう「ユキヤナギ」も緑の葉を赤く染め上げていきます。

<赤く染まり始めた「ユキヤナギ」>

 秋の鴨川では、野鳥だけではなく人々も“群れ”を作ります。小春日和という言葉がぴったりの穏やかな川べりを気持ち良く散策です。三条から四条のまだ人の少ない時間帯に、目一杯広がりながら、こちらへ向かってこられるのは尼崎の町内会の御一行のようです。

 川の中の野鳥や紅葉を指さしながら“のんびり”とした散策で、町内会の親睦を深めておられました。

<尼崎○○町の旗を掲げた御一行>

<紅葉も紅く色づく中 鴨川ウォーキングツアー>

 以前「オオサンショウウオ」を目撃した二条大橋上流の「冷泉橋」から鴨川を覗くと、小魚が群れています。野鳥達に食べられる小魚も群を作っているようです。その姿が「ジュンサイ」に見えてしまうのは私だけでしょうか。

<動きも少なく漂う「小魚」>

 出雲路橋から葵橋の間では、小学生の駅伝が開催されていました。大文字駅伝の関係かと尋ねてみると、「鴨川駅伝」という別物で、京都市内の小学6年生が一同に会しての記録会だそうです。選手達の保護者のみなさんや同級生達の「頑張って!」の声援を受けながら各校名のゼッケンを背負い激走です。

<各校の思いの詰まった“たすき”を繋ぎます>

<大会役員は先生達>

<出番を待つ児童達>

<アンカーの選手が帰ってきました>

 あんなにも群れていた「ユリカモメ」ですが、単独で“ポツン”と佇んでいます。一昔いや二昔くらい前までは、必ずと言っていいほどに“集団行動”だった「ユリカモメ」も最近では単独行動する個体が目立つようです。

<エサやりを待つのか「ユリカモメ」>

 何か居ないかなと川の中を眺めていると、何やら“野鳥”らしき小さな影が見えました。肉眼では何かハッキリしないので、カメラのズームを最大限にアップして覗いてみると「カワセミ」でした。

 何枚か写真を撮って満足し、カメラの電源をオフにしたその瞬間、「カワセミ」が石の上を離れたかと思うと、瞬時に水面に移動しまた戻ってきました。その時間コンマ数秒、カメラの電源がオンでもシャッターは切れなかったでしょう。

 慌てて電源をオンにして再び覗いてみると、小魚がくちばしに挟まれています。「カワセミ」の狩りの瞬間を拝見させていただきました。その後カワセミは団栗橋の橋桁の下へと姿を消しました。

<写真中央付近 川の中の石の上に“鳥影”が>

<太陽に照らし出されたのは「カワセミ」>

 小魚を捕獲した時のカワセミの動きが、直線的に“行って帰って”にはビックリです。ホバーリングしている姿を見たことがありますが、空中をまさしく自由自在に移動できるようです。

<こんな感じで並行移動>

<以前の写真 ホバーリングで空中静止する「カワセミ」>

<カワセミのくちばしで跳ねる小魚>

 次に現れたのはカワセミとは正反対に大きく目立つ「トビ」です。こちらに向かって飛んできたかと思うと、頭上の紅葉の枝にとまりました。大きな脚で押さえ付けた獲物を食していました。

 この獲物は、人の食べ物をかすめ取ったものではなく、自然界のもののようです。食べ終えると次の獲物を探しに飛び去りました。

 しばらく歩くと今度は川の中で「トビ」が食事しています。こちらは川の水でノドを潤しながらのお食事風景です。ぱさぱさのパンなどは水が無いと飲み込み辛いですね。

<真っ赤な紅葉に囲まれて食事する「トビ」>

<次の獲物はどこだ>

<水を飲みながら食事する「トビ」>

 ベンチに腰を下ろして昼食を取っていると、目の前の芝の上で動くものがあります。“よーく”見てみると「トノサマバッタ」がこちらを見ています。枯れた芝の“枯葉色”と少し残った“緑”がその体のカラーリングと同様で、動かなければわかりません。野鳥達から身を守る自然界の駆け引きを感じます。

<パット見は何もいない様に見えます>

<ここに「トノサマバッタ」が>

 お隣のベンチに目をやると、本格的な茶道具を持ち込んで、行き交う人にお茶を振る舞う人発見。

 お茶と言えば、つい最近、この場所のすぐ傍に日本に煎茶を広めたとされる「売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい)」の碑が建立されました。これを“知って”か“知らず”か風流な光景です。

<ベンチに“ゴザ”を敷いて正座でお茶を>

<売茶翁高遊外の記念碑>

 去りゆく鴨川の秋を歩くツアーにも良く出会います。資料を片手に鴨川をガイド付きで歩くのも良いものです。機会があれば“京都土木事務所Y”と巡る「鴨川真発見記ツアー」なんていう企画も開催したいなと思いながら一行を見送りました。

<資料片手に鴨川を行くツアー>

 

平成25年12月2日 (京都土木事務所Y)

 

 第123号 鴨川へ注ぐ様々な流れ

鴨川の支川や用水路を見てみよう

 今回は、鴨川に注ぐ支流についてご紹介したいと思います。鴨川の支流といっても沢山の河川があります。上流域に鴨川と合流する河川は聞いた事もないような小さな川もありますが、皆さんがよく御存知の市街地で合流する河川があります。

 その中でも有名なのが「白川」です。この河川は比叡山の中腹から流れだし、最終的には四条大橋の上流で鴨川に注いでいます。でも、皆さん御存知でしょうか、白川は、今出川通りで分岐しているのです。

<四条大橋上流付近の航空写真>

<途中疏水と合流して鴨川へと注ぐ>

<四条大橋右岸上流の白川放流口>

 白川は御存知のとおり、祇園を流れて鴨川へと注ぐ小さな河川です。増水時には洪水を溢れずに流すだけの容量が少し足りませんでした。

 そこで、増水時には、今出川通り辺りで白川本川から分岐したトンネルの放水路に川の水を分流させる(別ルートで鴨川に水を流す)ことで、本川下流の街中の浸水を防いでいます。「今出川分水路」と呼ばれるこの分水路もれっきとした一級河川として扱われています。

 今年9月の台風18号の際にも、白川の多くの水がこのトンネル放水路を通って鴨川へと流れ込みました。分水路の役割を最大限発揮してくれたことと思います。

 この記事を書くキッカケとなったのも台風18号による増水です。白川放水路が流れ込む位置は当然把握していました(荒神橋左岸上流)が、何処から分岐して何処を通ってくるのかはわかっていませんでした。

 ある日の鴨川散歩の途中で、高水敷にあるマンホールを見つけました。上に乗った土を少しよけてみると、「白川分水路」の文字がかろうじて読めました。そこで、京都土木事務所で図面を調べてみると、ありました。

<白川分水路と書かれたマンホールの蓋>

<今出川通り「賀茂大橋」左岸下流>

<今出川通りを走るトンネル水路>

 白川の今出川通りに架かる「西田橋」から今出川通りの下に埋設されたトンネル(函渠)の中を、今出川通りに沿って西へ流れ、賀茂大橋の下流で鴨川左岸の高水敷にタッチします。ここから、鴨川左岸の地下に埋設されたトンネル(暗渠)の中を鴨川に沿って下流へと向かい、次の下流側の橋である荒神橋の上流で鴨川へと注ぎます。

 平成19年に完成した今出川分水路ですが、今回のような大増水を経験するのは初めての事だと思います。白川といえば、神社の庭に欠かせない白川砂が採石される川です。その砂が大増水と共に分水路を通って鴨川にも達したようです。

<荒神橋左岸上流の放水口 この高水敷の下にトンネルが>

<鴨川への放流口>

 大増水後、この放水路から細かな泥水が長期間に渡り流れ出ていました。その水も今では澄んだ水となりました。そして、放水口付近には、少し大きめの砂が堆積しました。この砂はおそらく白川砂なのでしょうか。

<長期間流れ出した濁り水 平成25年9月27日 増水から11日後>

<放水口に堆積した“砂”>

 分(放)水路による治水対策は、河川の幅を広げることが事実上不可能な場合に、いってみればバイパスを通して混雑緩和をするようなものです。道路も車の交通量が許容範囲を超える場合はバイパスを通して混雑緩和をしています。河川も道路も原理は同じなのですね。

 白川にも野鳥が住み、植物も育んでいます。以前白川沿いを歩いた時の写真もご紹介しておきます。鴨川と同様に「マガモ」「カルガモ」が飛来して来ます。

 そして、最近見なくなった「ツクシ」が生えていました。堆積した土砂の上で人に触られる事無く群生していました。

<白川の「マガモ」>

<白川の「カルガモ」>

<白川に出来た寄州>

<その上に群生する「ツクシ」>

 支川という定義が曖昧ですが、高野川の山端橋下流右岸から取水され、松ヶ崎から下鴨を通り下鴨神社へと入り、糺の森を抜けて高野川へ戻る農業用水としての水路があります。

 「泉川」という名称が付くこの川は、高野川だけに注いでいるのではなく、鴨川にも注いでいます。糺の森と隣接する鴨川公園の入口で二手に分岐して両方の河川へと進みます。

<泉川分岐点 鴨川公園「旧葵公園」>

<公園内の周りを通り>

<高野川へと流れ落ちます>

 高野川側の合流部では、滑り台の様なスロープを勢いよく駆け下りる水が、深い水溜まりを作っています。ここには小魚が集まっています。

<高野川との合流 河合橋上流右岸>

<水がストレートに流れ落ちます>

<水の落ちた先には落ち葉>

 反対に鴨川側の合流部は、ゆっくりと水が流れていきます。この設えは誰が考えたのでしょう。沈砂地の様な囲いがあって、そこからあふれ出す様に水が流れています。どこかのお庭の様な佇まいです。

<鴨川へと流れ込む泉川>

<穏やかに流れ込む泉川>

 「そういえば」と思い出したのが、今年の夏にNHKBSプレミアの番組「日本新風土記 京都鴨川」での1シーンです。雲ヶ畑に住む人々の鴨川を汚さないための知恵と工夫です。

 住まいから出る生活排水を鴨川へと流す時、一度「水門壺」という小さな沈砂地で汚れを沈殿させて、上澄みだけを鴨川へ返すという細やかな営みです。この水門壺は現在も現役で活躍しているそうです。

 同じ下鴨神社からの合流部でも、“水を流す事重視”の「高野川側」と、風情ある「鴨川側」とその役割を分担しているようです。

 「泉川」もそうですが、上賀茂神社を経由する「明神川」も農業用水としても活用されています。こちらの合流部は上賀茂神社からは遠い下流の北山橋の上流で合流します。

<明神川が鴨川へ流れ込むところ>

 禊ぎの川として、また京野菜などを育む鴨川、高野川の水は綺麗に保っていく必要があります。水質だけでなく、ごみが流れたり沈んでいたりする姿をみるのは辛いです。

 鴨川にはごみを投げ入れる様な事はしていないとおっしゃる方々、近所を流れる水路に“つい”ぽいっと流すと、鴨川へと流れ着きます。鴨川を美しくする行為は身近な水路から考えていかなければならない事柄です。

 鴨川の支川にも、多くの美化団体の方が川を美しくする活動をされています。

 鴨川を美しく保つことそれは、支川も同時に美しく保つ事に他なりません。

 小学校に出前講座に出向いた際には、鴨川のごみの事に関する質問も多く頂きます。鴨川での行為以外にも鴨川を取り巻く支川や用水路に関する視点も伝えていきたいと思います。

 

平成25年12月2日 (京都土木事務所Y)

 

 第124号 今年も鴨川にサンタクロースが大集合

みんな笑顔でふれあいマラソン

 平成25年12月23日、第12回サンタマラソン大会にお邪魔しました。2、3日前から“しぐれ空”が続き当日の天気予報も晴れのち曇りで冷え込むとなっていましたが、受付開始時間には青空が広がってポカポカ陽気となりました。

 前日までの“しぐれ”も山の上では雪となっていたのでしょう。北山も比叡山も雪を頭に乗せてすっかり冬景色となっています。

<北山の奥の方には白いものが>

<比叡山の山頂付近も白く雪を被っています>

 受付前からスタッフのサンタクロース姿で早くもクリスマスムードで一杯のスタート地点です。その会場に参加者が集まってきます。サンタ姿の上にコートを羽織ったり、着替えを持った人それぞれのクリスマスコスプレが集合です。

 やはり非日常の姿です。鴨川でサンタの記念写真を納められています。とても楽しい思い出になりそうです。

 参加者総勢127名そして当日スタッフ約60名の中から約30名のサンタマラソンの始まりです。最初に参加者の記念写真の撮影です。2班に分かれての撮影、このとき大きなベンチが役立ちます。

<記念撮影>

 選手宣誓が行われ開会式が始まりました。クリスマスには走るのが仕事のトナカイさんからサンタマラソンの大会要領が説明されました。

 そして、今大会遠方からご参加の方の紹介がありました。最初に紹介されたのは台湾から出場の王さん家族です。

 準備体操の前にコミュニケーションで体をほぐします。最初は知り合い同士で、そして知らない同士で数字の号令に合わせてハイタッチそしてハグです。(1:右手、2:左手、3:両手、4:ハグ)

 きっちりアキレス腱や筋を伸ばすといよいよスタートの時間を迎えます。10からカウントダウンで「レッツスタート」皆さん笑顔で飛び出していきました。

<3,2,1 スタート 元気にダッシュ>

 皆さんの楽しそうな様子を眺めながら歩いていると、同じくらいの背格好の幼い子供が歩いています。保護者の方同士のお話が耳に入ってきます。「何月生まれですか?」「3月です」「うちも3月ですので同学年ですね。」

 にこやかな少年が「じゃんけんして」と近寄ってきました。何度もアイコの末私の勝ちとなりました。(ごめんね)

 三条大橋を下流に越えた地点が折り返し地点です。大きなサンタバルーンが目印で、皆さんここでまた丸太町橋へと北上します。

 準備運動でも利用された、コミュニケーションツール「ハイタッチ」がすれ違うランナーの間で繰り返されます。「がんばって」と掛け声と共にハイタッチがふれあいを演出します。

 4人家族で参加のご家族に少しお話を聞きました。参加は今回初めてだけど、何度か出ている知り合いに教えてもらったとの事です。

 大会前日にプロポーズ成功でハッピーオーラを発しているカップルです。東京からの3回目の参加で、恋人から婚約者へ変化した二人の関係、披露宴でもこのエピソード語られることでしょう。

<お幸せに!>

 途中音楽隊がジングルベルを奏でながら応援しています。ランナーが足を止めて手拍子で盛り上がり、ここでもコミュニケーションです。

 サンタになっているのは、人間だけではないようです。いつも一緒に散歩されているのでしょうか。鴨川を今日はワンちゃんも仮装散歩です。ゆっくり歩くワンちゃんもいれば、ずっと走るワンちゃんもいます。無理の無いペースでがんばります。

 スタート地点に戻ると折り返しの印を押してもらって再び三条方面へと向かいます。「お父さん!」と少年が走ってきます。ポカポカ陽気で暑くなった少年のサンタ衣装は上着が脱ぎ去られてシャツ一枚となっています。沿道で貰ったチョコレートを食べてパワーをチャージして笑顔で一枚記念写真です。

<ぽかぽか陽気でシャツ一枚に>

 この「雪だるま」の衣装は見覚えがあります。そう昨年の大会で“よちよち歩き”でシリモチをついていたお子様です。一年が経ってこんなに大きくなりました。

<はいピース>

 ちょっと飽きたのか、それとも疲れたのか、いやいや、お気に入りの場所を見つけたのか、いかにも幼児が好きそうな“隙間”にはまっているちびっ子サンタがいます。上目使いに見る目は何を訴えているのでしょうか。

 クリスマスコスプレの中でも注目を集めていたのは、双子の天使と車椅子の幼児でしょう。天使の羽は太陽に光に透けながら揺れる後ろ姿は多くのアマチュアカメラマンが納めたことでしょう。

 と、黒いサンタクロースが追い抜いていきます。彼も開会式で紹介された遠方からの参加者です。どこから?「おそらく日本の中では沖縄に次いで遠方の「北海道は網走です」。

<ブラックサンタ 子供はレッドサンタ>

 そして、100分が目前に迫ってきました。コース内の選手を一斉ゴールに向けて誘導します。ゴールの用意ができました。まだまだ元気一杯の子供たちを皮切りに続々とゴールして今年のマラソンは終了しました。

<最初のゴール選手が入ってきました>

 今回お話を伺いました事務局の方は、京都での大学院時代にこのマラソンと出会い、第5回出場以降は6回から今回13回まで事務局員として裏方の仕事を請け負っています。そして、東京在住(品川)となった今でも、京都に通いながら「サンタマラソン」を支えているそうです。

 今回も、サンタの衣装の赤のような熱意が雲を退け、太陽を呼び込んだようです。ゴールの時間には、北山の雪も幾分か溶かしてしまったようです。

<山の雪も随分と溶けました>

 きちんと通路確保に配慮しながらのイベント運営も回を重ねた証でしょう。「これは何の大会?」と興味を持つ人はありますが、サンタクロースに“苦情”を語る人はいないようです。これからもマナーを守って末永く継続していただくことを期待申し上げて今回の記事を終えます。来年もお会いしましょう。

 鴨川冬の風物詩「ユリカモメ」に負けない風物詩目指して頑張ってください。 

<ユリカモメに負けるな>

 平成25年の「鴨川真発見記」はこれにて最終とさせていただきます。新年は1月1日午前0時に「新春特別 明治・大正・昭和・平成の鴨川 4つの年号を見つめた鴨川を振り返る(三条から五条まで)」と題して更新します。

 それでは、皆様良いお年をお迎えください。

 

平成25年12月27日 (京都土木事務所Y)

 

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