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鴨川真発見記 平成25年5月

 第87号 鴨川も暦の上では夏を迎えました

ゴールデンウイークの鴨川ウオッチング

 ゴールデンウイーク後半を控えた5月2日は、お日様が出ているのに雨が降ったり止んだり、風もあって少し肌寒い気温でした。そんな中、仕事帰りに高野川の高野橋まで来ると、比叡山方面から南に向けて大きな「虹」が架かっています。光の加減で見えていなかった南の端までハッキリ見えて、思わず写真に撮ってしまいました。

<比叡山の麓から虹の橋が浮かび上がります>

<上空をまたいで>

<大きな虹の架け橋となりました>

 そばに居合わせた御婦人も、「凄く大きくて綺麗な虹ですね」と同様に写真を撮影されていました。 

 今回は、そんなカメラを向ける人も含めて、ゴールデンウイークの鴨川で見た光景を御紹介したいと思います。 

 ゴールデンウイーク後半は、前日の肌寒さも無くその名のとおり太陽輝く連休となりました。足は鴨川へと向かいます。

 はじめにカメラを向けておられるのは、セイヨウカラシナの花です。寄州の中に降りてアップで撮影されています。

<花に吸い寄せられるように>

 川に向けて大きなカメラを向けて何かを待っておられる方もあります。ここにも「セイヨウカラシナ」の花が咲いています。

<天体望遠鏡のようなカメラでした>

 黄色い花を細長い実に変えていきます。この実に包まれた種を絞ると菜種油となりますが、この実をエサにしている野鳥もいるようです。

 しばらく眺めていると、「カワラヒワ」がやってきて、盛んにこの実を頬張ります。揺れる茎に掴まりながら次々と「ぱくついて」いきます。

<首を伸ばしてかぶりつきの「カワラヒワ」>

 「カワラヒワ」の体は緑色で少し黄色い部分が混ざっています。まるで「セイヨウカラシナ」の実を食べるための「保護色」のようにも見えます。

<動きがないと見落としてしまいます>

 今度は女性がカメラを構えます。その先には飛び石があります。ご家族の様子を撮影されているようです。どこの飛び石も記念撮影スポットとなっています。

<レンズのその向こうには>

<お子さんの手を引くお父さんでしょうか>

 和歌山県の白浜では5月3日に「海開き」も行われ、水温む季節となりました。各区域に配置されている飛び石の周辺でも、水遊びに興じる子供達の声が響いています。

<靴を脱いで水に足を浸ける人も少なくありません>

<とても気持ち良さそうです>

<「水でっぽう」も楽しいでしょう>

 二条大橋の下では、鴨川ギャラリーを写真に収める人もおられます。このギャラリーは、「日陰の少ない区域で日をよけて少し休憩するスポットを橋の下」にとの声も受けての整備です。

<二条大橋下の洛中洛外図>

 その季節を迎えたようで、腰をおろして少し休憩をされている方を目にすると、「その姿が見たかった」とつぶやいてしまいます。

<日陰で腰を下ろしてひとやすみ>

<大きなプードルもひとやすみ>

 「三条大橋」や「四条大橋」の上からは、多くの観光客が鴨川を撮影されています。綺麗に再整備された右岸の高水敷や、「鴨川夏の風物詩 納涼床」を写真に収めておられます。

<思わずカメラを構えさせる風景です>

<出来るだけ低い位置からでしょうか>

 橋を渡りながらの親子連れの会話では、

 子供:「ここで遊んで行きたい!」

 保護者:「えっ、川で遊びたいんかいな」

 と、子供には公園として整備された「御池大橋~四条大橋」の右岸の姿は、“その空間で遊びたい”と思わせる魅力を放っているようです。

<三条大橋上流右岸>

<三条大橋から四条大橋を望む>

<四条大橋から三条大橋を望む>

<四条大橋上流右岸の水制工でも親子連れが>

 中洲の草陰に見え隠れしているのは、カモの親子です。先日の夕刻に出会った光景はサラリーマン風の男性がマガモの親子の間近でカメラを構える様子です。革靴で寄州に降り、傍でしゃがんでの撮影でした。

<保護色で見づらいですがヒナがいます>

<少し離れて「オス」は父親でしょうか>

 昼間は草陰に見え隠れですが、夕刻は広い所へ出てくるのでしょうか。それにしても人が近づいても親は平気のようです。通りかかっただけで攻撃してくるカラスとは大違です。

 川の中で石が光っていると思って、良く見てみるとカメの甲羅でした。カメの甲羅干しです。何の意味があるのかとネットで調べてみると、「体温調節」「寄生虫などの除去」「皮膚病の予防」「甲羅病気防止」「藻類が生じないように」「栄養素の吸収」といろいろな意味があるようです。ただの「ひなたぼっこ」とは違って「生きる」ためなのですね。

<日差しを反射する甲羅はぴかぴかです>

 人間も「日光」を浴びることは大切ですが、食事(栄養補給)の時は日をよけたいもので、タープテントのように影をつくる「トベラ」の下でお食事を楽しんでおられました。ここなら「トンビ」に食べ物を狙われない「安全地帯」です。

<自然のビーチパラソルといったところでしょうか>

 低木もこんな利用法があるのですね。

 

平成25年5月8日 (京都土木事務所Y)

 

 第88号 平安絵巻が目の前に

京都三大祭り「葵祭」が鴨川を渡ります

 鴨川にまつわるお話の中でも少々格式の高いお話です。京都三大祭りといえば「葵祭」「祇園祭」「時代祭」ですが、その先陣を切って開催されるのが「葵祭」です。「双葉葵」と「桂の葉」をあしらった装束で新緑の京都を進みます。

 京都御所を出発した行列は、三度鴨川を渡って「下鴨神社」「上賀茂神社」へと向かいます。最初に渡る橋は「出町橋」です。

 この橋の下には「鴨川ギャラリー」として鴨川にまつわる展示物を設置しています。葵祭にまつわる豆知識を御紹介させていただいていますので、お近くにお立ち寄りの際には是非御覧いただきたいと思います。

<藤の花で飾られた牛車「御所車」がやってきました>

<見物人の日傘の中に一際大きな「傘」が・・・これも行列の一部です>

<葵祭の本列の結びとなる黄色い「風流傘」が渡ります>

 「鴨川ギャラリー」の上を本物の葵祭の行列が渡って行きます。この光景を撮影したくて首を長くして待っていました。見物に来られた何人の方が”こちら”の展示物に気づかれたのかは解りませんが、ただの行列というだけでなく「葵祭」に関することを少しでも理解していただけたらと思います。

<ギャラリーを眺める人もおられます>

 その一部を紹介させていただきたいと思います。現在の「葵祭」の主役とされている「斎王代」のお話です。平安時代の「葵祭」には「斎王」と呼ばれる皇室の未婚女性が行列に加わっておられましたが、鎌倉時代に「斎王」の制度が廃止されたためその後はその姿は見られませんでした。

<女人列の「斎王代」が登場されました>

 そして戦後の昭和35年、行列に華を添えようと「斎王」の代理である「斎王代」を毎年一般女性から選び「本列」の後ろに「女人列」として女性ばかりの行列を加えました。

 葵祭を研究する方は、「主役は“神様”であることは間違いないが人間の側では「斎王代」ではなく天皇の使者である「勅使」である」とおっしゃいます。

 ギャラリーとは別に「出町橋」にまつわる“豆知識”とでも申しましょうか、橋の移り変わりを御紹介しましょう。

「出町橋」は昭和初期には「葵橋」と呼ばれていました。「葵祭」の行列はまさしく「あおいの橋」を渡って「下鴨神社」へと入っていたのです。

<自転車を止めてギャラリーを見つめる人もおられます>

 現在「葵橋」の名称は一本上流に架かる橋に譲り、現在の賀茂大橋の前の名称「出町橋」を引き継いでいます。

 「出町橋」が「葵橋」を名乗っていた名残が京都市交通局の市バス停留所名に見て取れます。

 「下鴨本通」と「河原町通」を繋いでいる「葵橋」の東西にバス停が設置されていますが、西は「葵橋西詰」東は「新葵橋」とあります。

<「葵橋西詰」バス停>

<「新葵橋」バス停>

 現在の「市バス」が運行される前に京都市内を巡っていた「市電」の路線図からそのいきさつが見えてきます。

 市電は「葵橋」と呼ばれていた現在の出町橋を渡って「下鴨本通」へと進んでいて、この橋の東西に「葵橋西詰」「葵橋東詰」次いで「糺の森」「下鴨神社前」となっています。

(京都市交通局ホームページへリンク)(外部リンク)

 現在の「葵橋」は昭和35年に架けられた橋で、「葵橋西詰」の停留所はそのまま残し、「葵橋東詰」から移動した新しい停留所は「新葵橋」として新たに設置されたようです。

 下鴨神社で行われる「神事」を終えると、お昼休みを経て「行列」は上賀茂神社へと向かいます。「下鴨本通」を北大路まで北上して「北大路通」を西へと進み鴨川に架かる「北大路橋」を渡ります。

<行列が「北大路橋」を渡るタイミングを見計らっての信号操作>

<これで加茂街道は行列のみ通行出来ます>

 昭和8年に架けられた「北大路橋」は昭和10年の大水害にも耐えて、平成20年に一部手が加えられました。この橋の特徴は「眺望バルコニー」と呼ばれる見晴らしスペースが橋の中央部南北に造られ、鴨川の「山紫水明」の眺望を楽しむことができます。丸太町橋にも同じスペースが設置されています。

<先導する平安騎馬隊が到着しました テレビカメラ目線で>

 平安時代の高級な交通手段であった「牛車」と現代の公共交通機関である「バス」が北大路橋上ですれ違います。1200年の時を経て時代がすれ違っているようにも見えます。

<市バスとすれ違う「御所車」 北大路橋中央の“でっぱり”が眺望バルコニー>

 鳴り物もなくただおごそかに進む「行列」ですが、普段車と接する事の少ない馬たちの「いななき」が行列の接近を知らせてくれます。

<「競べ馬」を競った 「左方」「右方」の馬と騎手が行列の先導>

 ここで一言捕捉しますと、鴨川に架かる橋は道路管理者である「京都市」と「国」が管轄されております。河川管理者である京都府は河川空間をお貸ししている(河川法に基づき河川占用橋の設置を許可する)立場にあります。

<新緑の陰から「行列」を覗きます>

<加茂街道へと行列はカーブを切ります>

 北大路橋を渡った「行列」は「加茂街道」を北上し鴨川を眺めながら御薗橋へと進みます。鴨川の新緑に包まれた加茂街道を華やかな色遣いの衣装が見え隠れする様は「タイムスリップ」した様な錯覚を覚えます。

<葵祭の主役「勅使」と専用の「馬面」を付けた白馬>

<加茂街道は新緑のトンネルで行列にしばしの「涼」を与えてくれます>

<鴨川で憩う人々も「葵祭」の行列を見上げます>

 鴨川で憩う皆さんもしばし行列に目をやっておられました。

 そしていよいよ三つ目の橋「御薗橋」です。最終目的地である「上賀茂神社」の参道の一部を構成する「御薗橋」を渡るころには、初夏ながら真夏を思わせる晴天の中を歩いて来た行列もお疲れ気味です。双葉葵もしおれ気味です。

<御薗橋を渡る行列 あと一息です>

<女人列の「命婦」が華やかな傘をかざして到着です「斎王代」がこの後に続きます>

<「十二一重」の重い着物を着ての行列参加は暑さ「ひとしお」でしょう>

<上賀茂神社はもう目の前です お疲れ様でした>

 「斎王代」が御薗橋を渡ると”あちら””こちら”で「やっぱり斎王代が主役だね」との言葉が聞こえてきます。話題性では「勅使」よりも「斎王代」が一枚上のようです。

 

平成25年5月20日 (京都土木事務所Y)

 

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