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産学公連携、産業振興の一環として、京の研究者・専門家の皆さんを紹介するページです。
(掲載日:2022年5月19日、ものづくり振興課 足利)
京都大学大学院工学研究科分子工学専攻准教授の須田理行さんにお話をおうかがいしました。
--水の電気分解(水電解)による水素製造の効率化に繋がる研究をなさっているとお聞きしました。中学校くらいで習ったことを思い出しますと、「電池」では、イオンになりやすい方の金属が「負極」に電子を残して溶けだし、電子は負極から導線を通って「正極」へ移動し陽イオンと結びつき、「電気分解」では、電池の「負極」から導線を通ってくる電子が「陰極」で陽イオンと結合し、陰イオンは「陽極」に電子を渡すということでしたね。
須田)はい。ざっくり説明しますと、陰極では、還元反応で電子がH+と結合して水素(H2)が発生するとともにOH-が発生し、陽極では、酸化反応で電子がOH-(O2-とH+)から奪われて酸素(O2)とH+ができます。
--なるほど。
須田)水電解によって水素を製造するには、陰極での水素発生反応だけでなく、同時に陽極での酸素発生反応が起こることが必要で、従来、酸素発生反応の効率が水電解効率全体のボトルネックとなっていたのです。非効率化の原因の一つとして、エネルギーが高いスピン一重項酸素や、副生成物である過酸化水素の生成によるエネルギーロスが挙げられます。
--そうなのですね。
須田)そこで、酸素発生効率を高める方法として、電子スピンの制御に着目しました。
--電子スピン?!高校化学では電子の軌道は原子核に近い方からK核、L核、M核・・・と習いますが、大学化学では、電子は原子核の周りにモヤモヤと存在していて、1つの軌道には2つの電子しか入らないと習うそうですね。電子は磁石として性質があるということなのですね。
須田)はい。電子の持つスピンには上向きと下向きの2状態があり、エネルギーの低い軌道に2電子を詰めるとき、並行で同じ向きの状態を三重項と呼び、反並行(平行で逆向き)の状態を一重項と呼びます。酸素分子(O2)の電子配置にもスピン三重項の場合とスピン一重項の2通りが存在しますが、スピン三重項酸素の方がエネルギーが低いのです。
--そうなのですね。
須田)そこで、スピンを平行に揃えて水電解し、エネルギーが低い三重項状態の酸素を選択的に発生させることができれば、酸素発生効率が高まるわけです。更に、酸素発生反応の副生成物である過酸化水素(H2O2)も同様にOH-がスピン一重項でペアを組むことによって生成するため、エネルギーロスとなる副生成物の生成も抑制することができます。
--なるほど
須田)その手法として、キラル分子に着目しました。
--キラル分子?!
須田)鏡に映した形(鏡像)が、元の形と重ね合わせることが出来ない分子です。よく右手と左手の関係に例えられます。右手と左手はお互いに鏡に映した対称的な構造を持っており、親指・小指といった構成要素も、指の順番も同じです。しかし、左手用のグローブを右手で使うことはできませんね。つまり、右手と左手は構造が異なると言えるわけです。こうした三次元構造における鏡像と重なり合わない性質をキラリティと言います。
--ふむ。
須田)そして、磁性を持たないキラル分子が、電子のスピンを特定の方向に偏らせる性質(スピン選択性)が知られています。難しい話なので、ざっくりとイメージ的なことで言えば、バネやコイルなどのらせん構造もキラリティを有していますが、そこを電子が通れば、コイルに電流を流した時のように、巻き方向に応じて磁場が生まれるといったことです。
--磁場が生まれれば、それに対応するスピンの向きの電子が選択されるということですね。
須田)はい。これまでは、スピンの向きを揃えようとすると、主としてレアメタルから構成される強力な磁石や電磁石といった大掛かりな装置が必要とされてきました。
--しかし、先生方は・・・
須田)キラル分子を、酸素発生触媒として注目されている二硫化モリブデンに混ぜた化合物「キラルMoS2」の合成に成功したのです。それを陽極に塗布するだけで、OH-から三重項状態の酸素を選択的に生成し、さらに副生成物である過酸化水素の生成を抑制できるということです。
--おお!しかし、合成する際にキラル分子の向きを揃えるのには、技術というか、コストが大変ではないのですか?
須田)向きを揃えるのが理想で、実際にそのような技術が無いわけではないのですが、並べずとも十分な効果があるので、今はバラバラな状態で使っています。
--???
須田)これもざっくりと説明しますと、キラル分子が、分かりやすく上向き、下向きとバラバラに混ざっているとしますよね。便宜上、バネなどのらせん構造を考えると、上向きでも下向きでも巻き方向は変わりませんよね。
--あっ、なるほど!結局同じ向きのものが選択されることになりますね。
須田)そうです。つまり、化合物「キラルMoS2」を精密に並べなくてもキラルな構造は保たれ、スピンの向きが揃います。
--すごいですね!!
須田)今回、キラルMoS2におけるスピンを同方向に揃える性質(スピン偏極率)を調べましたら、流れた電流の中ではおよそ75%ものスピンが同方向に揃っていることが明らかになりました。これは、典型的な磁石である金属中の値(鉄:45%、コバルト:42%、ニッケル:-33%)を大きく上回る値であって、キラルMoS2が既存の材料を大きく凌駕することが分かりました。
--素晴らしい!
須田)キラルMoS2を陽極に塗布したところ、スピンを制御していない場合に比べて約1.5倍、酸素発生効率が良く、副生成物である過酸化水素の生成量は70%以上抑制されました。
--いいですね!塗布は技術的に難しいものですか?
須田)いえ、実験段階では、燃料電池でもよく用いられるナフィオンという高分子接着剤と混ぜたのですが、普通に塗って乾かして、というだけです。
--ということは、事業化、製品化する企業があれば、ということですね。
須田)はい。事業化してくださる企業を探しています。
--スピン制御、すごいですね。
須田)今、「スピントロニクス」という新技術がブームなのです。スピンとエレクトロニクス(電子工学)から生まれた造語です。トランジスターやダイオードなど半導体において電子が持つ電荷の流れを制御してさまざまな機能を引き出す技術をエレクトロニクスと呼びますが、磁気をもたらすスピンの性質も利用するエレクトロニクスの分野が「スピントロニクス」です。スピンの向きに情報を載せたりできるわけです。
--なるほど。
須田)私は有機物を使った化学分野を専門にしておりますが、有機物の分野でのスピントロニクスは、なかなかなされてきませんでした。キラル分子によるスピン制御の原理は知られていましたが、今回の研究はこれを水電解技術に応用したわけです。
--いいですね!
須田)持続可能な社会を実現するためには循環型の水素製造技術である水電解反応が不可欠です。本研究での発見は、従来の水電解反応を根本的に効率化できる可能性を持っていると考えています。まだまだ原理実証が終わった段階ですが、更に効率的な水電解システムを開発し、持続可能な社会の実現に貢献したいと考えています。
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