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グローバル・エコシステム形成プロジェクトの一環で、京都で住まう、働く海外出身の皆さんの実情を紹介する「みんなの京都」です。
(2023年4月9日、ものづくり振興課 足利)
自身も起業家であり、起業家育成や日中、日越間のビジネス交流等に精力的に取り組む喬さんにお話をおうかがいしました。
--もう10年以上のお付き合いになりますが、改めてこれまでの歩みを教えてください。
喬さん)中国から来日したのは2003年、19歳の時でした。福岡の日本語学校で日本語を学び、その後京都に来て大学、大学院の留学生生活を送りました。初めて京都に来た時、それまで日本語を勉強してきたつもりでしたが、「京都の言葉の壁」にぶつかりました。
--「京都の言葉の壁」?!
喬さん)はい。役所に行った時に「資料が足りひんから、もういっかい来てくれはりませんか」と。なんとなくダメだということは分かったものの、正確な意味が分からないまま、家に帰って大家さんに聞いたら、「資料が足りないから、もういっかい来てください」という意味の敬語だと。「ええー?!敬語?!」とびっくりしましたね。
--言われてみれば、たしかに京都の言葉って難しいですよね。
喬さん)私自身の日本語も拙かったと思います。読むことは比較的できましたが、話すのは下手でした。授業で発表したものの、授業が終わってから「何を話していたのかわからない」と言われ、ショックを受けることもありましたね。
--留学生でいらっしゃったときから様々な活動をなさってましたね。特に日中の架け橋になるような活動。
喬さん)今でこそ、中国人が日本に学びに来るということが当たり前の風景になっていますが、当時はまだそういう認識が世の中でなかった時代でしたね。
--恥ずかしながら、私は最近知ったことがあります。なぜ4000年の歴史のある中国の方が、1000年の歴史しかない京都にまじめに文化を学びに来るのか不思議だったのです。中国には残ってないけれど、京都に来れば、中国から伝わり独自に発展させた文化にたくさん触れられるからだと聞きました。
喬さん)そうなのです。志の高い人ほど、まじめに京都の文化を学びたいと思っていると思います。
--喬さんのこれまでの取組で私が特に印象深いのは、日本のような修学旅行という風習が中国にはないからと、日本への修学旅行を企画されたこと。
喬さん)しかし、その矢先、2012年に尖閣問題でダメになっちゃったんです。
--あの時は残念でしたね。他にもご苦労はたくさんあったと思いますが、いかがですか?
喬さん)社会人になったら一気に厳しくなりました。留学生としての最後の日に、大学院の先生に挨拶に行った時に言われました。「今までは留学生だったから周りのみんなは優しく接してくれたけれど、明日からは違うぞ」と。
--ほう。
喬さん)実際、その通りでした。各所に日中ビジネス交流プログラムを持ち込んでも、なかなか相手にしてもらえませんでした。
--学生の活動と本気のビジネス、周囲の見方の変化なのでしょうね。
喬さん)そうですね。結局、ビザの関係で京都の生田産機工業に3年間就職しました。生田社長が困っている私を助けてくださったのです。
--ビザ?!
喬さん)留学生の時は、大学が担保してくれて、ほぼ無条件で2年、多分今なら4年のビザが出るといった状況です。
--ふむ。
喬さん)しかし、社会人になれば全て自分で対応しなければなりません。でも、「社会保障」っていう言葉すら知らず、窓口で戸惑っていると「わかる人間を連れてきて!」と言われる始末でした。保証人が必要なので、大学の先生にお願いし、先生にも窓口に一緒に来ていただきましたが、その時の対応も、今でも忘れられません。私は日本が好きでとても感謝しているので、あまり言いたくないのですが。
--そうだったのですね。ビザの種類は何だったのですか?
喬さん)人文知識・国際業務です。だから海外展開を進めるI社の中で翻訳の仕事しかできませんでした。I社は製造業なのですが、生産現場に入ることすら許されませんでした。今は緩和しているのかもしれませんけれど。
--今は?
喬さん)永住者となっています。そうなると窓口も逆に一気にウエルカムな感じになるのですよ(笑)
--永住者はどういう条件でなれるのですか?
喬さん)細かくはいろいろあるのですが、とてもざっくり言いますと、在住10年、年収300万円以上、税金や社会保険をちゃんと収めている、交通違反なし、日本語対応できるなどですね。
--僕より日本語上手ですもんね。
喬さん)やはり言葉の壁は大きいです。京都には外国語学校が少なく、だいたいその周りに留学生が集中的に住んでいます。あとは外国人が多い専門学校の周りとか。
--そうなのですね。
喬さん)あと、風習の壁も大きいですね。とても優秀な友人がある会社に入りました。社内の打ち合わせの際に、社長さんから「自由に発言していいぞ」と言われたので、本当に自由に企画提案したら「でしゃばるな」と怒られたと。そういうことも分からないし、傷ついていたりするのです。
--そうなのですね。
喬さん)生田産機工業では、生田社長がマンツーマンで、私の言葉を直してくれたり、日本のビジネス習慣を教えてくれたりしてくださいました。他の外国人らにも京都の商習慣を勉強させたいとお願いしたところ、外国人を集めて「塾」を開いてくれました。とても感謝しています。
--そうだったのですね。さて、最後に今後の展望はいかがでしょうか。
喬さん)世界の中で日本の立ち位置が変化してきています。人件費が安い国になりました。一方で、Made In Japanは依然として信頼性が高いです。大好きな日本への恩返しの意味でも、日本と世界との懸け橋になれればと考えています。
これまでの様々な経験、ノウハウの蓄積を活かし、いよいよ外国人の定着支援等にも乗り出そうとされています。その話は改めて詳しくおうかがいします。
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