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知恵の経営、元気印、経営革新、チャレンジ・バイの各認定等を受けた府内中小企業を紹介するページです。
(掲載日:平成29年11月2日 聞き手・文:ものづくり振興課 橋本)
株式会社増田德兵衞商店(外部リンク)の増田德兵衞社長にお話をお伺いしました。
―御社の概要について教えてください
1675年に初代増田德兵衞が創業し、当時、増田德兵衞と米屋弥兵衞と2つの名前を使って米屋と酒造業を営んでいました。どちらの創業が先かは分かりませんが、現状としては伏見の中では一番古い蔵のひとつです。
創業当時は普通の澄んだ清酒を造っていました。銘柄は「増徳:ますとく」という商品名を使っていたそうです。現在では「月の桂」というブランドでにごり酒など種類豊富な酒造りに挑戦しています。
―「月の桂」の由来は
江戸時代後期、かつて京都市内から石清水八幡宮に行く途中の中宿になっていた頃、姉小路有長というお公家さんに、「かげ清き月の嘉都良の川水を夜々汲みて世々に栄えむ」という歌をもらい「月の桂」と命名されました。それが現在も親しまれています。
―「月の桂」と言えば、にごり酒がとても有名ですが、元祖蔵元なんですよね
日本酒の原型でもあるどぶろくは江戸時代まで各家庭でも造られていましたが、酒税の増税を目的として明治32年に酒税法が改正され、どぶろくの自家製造が禁止されてしまいました。これ以降、一般家庭や造り酒屋が自ら楽しむためにどぶろくを造ることも御法度になってしまったのです(注)。昭和の時代になり、東京大学で教鞭をとっておられた坂口謹一郎先生という、発酵・醸造の研究で世界的権威であり、後に「酒の神様」と称される方が「昔なつかしいどぶろくを飲みたい」という声を上げられましたので、弊社先代が、国税局の立ち会いのもと、どぶろくのように美味しいけれども、どぶろくではないお酒の製法について研究を始めることとなりました。
どぶろくは、お酒の原材料であるお米を発酵させてどろどろになった状態、いわゆる「もろみ」そのもので、もろみを布で濾して酒粕と分離させた液体が清酒なのですが、もろみ独特の旨味や舌触りなどをできる限り残すことを目指して議論を重ね、もろみを布ではなくザルで濾すという発想の転換に至りました。ただし、目が粗すぎるともろみのままになってしまい、細かすぎると雰囲気が台無しになってしまいますので、目の粗さもうちの蔵で全てを決めました。
そうやって試行錯誤を重ね、昭和41年に先代が“にごり酒”という新しいジャンルを確立したのです。
(注)現在では、決められた年間最低製造量の生産能力があり製造免許を持っている方はどぶろくを生産・販売することが可能となっているほか、構造改革特区において一部規制が緩和されています。
―新しいことへの挑戦、失敗はなかったのでしょうか
にごり酒を造った当初は、全国で初めて生まれたての生酒をそのまま瓶詰めにし、瓶内で発酵させました。冬の風物詩として、また季節感を一番感じられる酒として出荷をしていましたが、スパークリング状態を瓶内で造り出しますので、購入した方から「おたくの酒は噴きこぼれ、半分は床が飲んでしまう!?」と言われ、ありとあらゆるところに謝りにいきました。
―そこからどうやって「月の桂」のにごり酒は有名になっていったのでしょうか
にごり酒を出した翌年の1967年に婦人雑誌「ミセス」が“お正月に飲む酒はにごり酒”、“全国発送できます”といって取り上げてくれました。
それに加え、にごり酒を日本で最初に造ったのだから、にごり酒を飲む会を始めようとなり、京都と東京で発足しました。お料理を食べてにごり酒を飲むサロンのような会。文人墨客から、大学関係者、お相撲さんやビジネスマンから映画監督や宝塚の女優さんまでたくさんのファンの方が集まってくれました。大阪、新潟でも発足し、その後、浜松でも。こっちから作ろうとかではなく、うちでもにごり酒の会を作りたいと各地に広まっていきました。
今では一般の酒好き、いい薀蓄(
うんちく)を持つファンが集う会に育っています。
そういうところから人脈も広まっていったのかなぁと思いますね。
―現在のにごり酒の原料のお米は京都独自の酒造好適米「祝」を使われてるんですよね
京都産・酒造好適米「祝」を伏見の農家と特別に契約、無農薬栽培で醸育しています。「祝」は、吟醸酒などしっかり精米する酒造りに適しており、京の水と仕込むと、きめ細やかなやわらかなふくらみのある味わいを醸しだします。にごり酒の中でも最も贅沢な気品あふれる、フレッシュでシャープな味わいをもつ純米大吟醸にごり酒で、正に「米のスパークリング」として仕上がっています。
―最近ではファッションブランドからもお酒を使ってくれたり、コラボの依頼があったとか
今年はルイ・ヴィトンからお土産にお酒を使わせてほしいという話がありました。蔵見学をしたいという海外の富裕層の声もあり、それに協力させてもらいました。最近は海外から京都にたくさん来られます。イベント等の晩餐では必ず、国酒である日本酒で乾杯するパーティーが増えたことはうれしい限りです。
―なるほど。最近では海外への日本酒の輸出量は伸びてますし、人気ですよね。ワイングラスで飲む日本酒など月の桂のお酒は種類がかなり豊富だと思いますが、どんどん新しい酒造りに挑戦されてるんでしょうか
昔は清酒(澄んだ)だけでした。にごり酒をはじめて2種類に、同じ年に古酒もつくっていきなり3種類との3つのカテゴリーに増えました。
そこに私が度数の低いバージョンを作り4種類になりました。自分で田植えもしてきた米を磨きすぎてはもったいないので、1割2分磨きであまり磨かないバージョンをもう1種類増やしました。お米の表面部は栄養分が多いので、あまり磨かないバージョンは栄養価が高く仕上がっています。
そんな5種類から派生しバリエーションが広くなりました。米も違うし酵母も違う、造り方、搾り方も違うものを。
最近は巷でも磨かないタイプがちょっと増えてきていますね。
―あまり磨かないタイプの日本酒や発泡性のにごり酒といい、先に目をつけるのが早いですよね
時代のあまりに先取りし過ぎた10歩先ではなく3歩先くらいを行くのがいいと思う。10歩先だと早すぎて皆が気づいてくれなかったり、早く走りすぎてもダメですし、また二番煎じだと意味がありません。やっぱり3歩先くらいが一番いい。1歩先では抜かされますしね。
古きものを観て、つねに新しいものを考える。それがものつくり、人つくりじゃないかと思います。古いものの中に必ず新しいものが隠れている。その中からまた現代に新しいと感じるものを掘り起こしていく。古いものを古いものとして見てしまうと見過ごしてしまいます、それを自分が現代に響かせ、復活させることだと思います。世界の連中はそういうブランディングをしてきたんじゃないかな、そういうところを学ぶのも大事だと思います。
―最後に今後の抱負をお聞かせください
酒造りはもちろんですが、酒の周辺を先代からも大事にしろと言われましたし、盃とか、飲んでいるライフスタイルとか、古文書なども集めてくれた先祖がいます。そういうものを整理して、次の一手、酒のその先みたいなものを育み、世界に向けて愉しんでいきたいと思っています。
―酒の先、酒文化の創造、今後の展開が楽しみです!
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