中丹広域振興局
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榎原川では、平成26年8月16日~17日の豪雨により
水が人家や耕作地、道路へ溢れる大きな被害(浸水戸数14戸)が発生しました。
榎原川は護岸の低いところや川幅のせまいところがところどころにあります。
このため、壊れたところを同じように直すだけでは
今回と同じような豪雨においてまた被害を受ける可能性が高いことから
川を拡げ、水が流れやすくなるように災害復旧事業を行うこととしました。
平成26年度~平成28年度の概ね3年間で約4億円の総事業費で改良を行います。
事業区間は和久川合流~豊富用水池までの約4km(福知山市口榎原~奥榎原)です。
榎原川では、人家の浸水被害軽減を目標に、家屋が連なっている場所は川の断面積を拡げる「改良復旧」(赤色の範囲)、農地については昔からの遊水機能を維持する「原形復旧」(青色の範囲)とします。
(改良復旧)・・・水が流れる部分が工事前より広くなります(黄色の部分)
(原形復旧)…水が流れる部分は工事前と同じ広さです。
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榎原と呼ぶようになったのは、一一〇五年堀川天皇の長治元年に平親盛と言う人がこの地に落ちのびて来て、奥榎原の城山に城をかまえて村を開拓したのによる。当時は口榎原から奥はそんなに開けておらず、大木が平坦地にも茂っていたのである。
親盛は敵に追われて、今の奥榎原の公会堂の付近で力つき、そこにあった榎の木の洞穴に入り込んで身をかくし人事不省となってしまった。
翌朝追いかけて来た敵は、その榎の木の洞穴を一応調べたが、洞穴の口には晩のうちにクモが巣を張りめぐらしていたので、追手は巣を張っている所に人が入っているはずがないと深く詮索することもなく去った。
こうして助かった親盛は、この地に住みつき、城山に城をかまえて榎原を開拓していった。
(今も奥榎原の奥榎原勇太郎家に伝わる古文書の中から、平氏榎原についての部分を抜き書き。)
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