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風説書
「風説書」 平和家文書
これは綾部藩家老であった平和安遷(ひらわあんせん)が文久3(1863)年7月頃の風聞を書き留めたものです。少し意味が取りにくいのですが、「壬生浪士になれば賞金20両と日々3匁の給金がもらえるが幕府に仕えるものである。しかし、京地組は月2両と報償は少ないが王朝のためにつくす浪士達で、目的とする考えが雲泥の差である。」と、いうような意味でしょうか。 
給金の額等、多分に誤解があるようですが、8月18日の政変以前には活躍の場がなかった新選組は、金により集められた集団にしか映らなかったのでしょう。平和氏ら武士身分の者達にとって、新選組の印象は概してこのようなものだったかもしれません。 
なお、ここで比較されている「京地組」とは、同じ頃に京都に禁裏御所警備を願い出た十津川郷士のことを指しているのではないかと思われます。
<解読文>(関係箇所解読文)
一 壬生浪士組ニテ切支丹僧徒召捕申候、私町内上寄ニテ
  擒之申
一 壬生組浪士江参り候へ者、賞金弐十両、日々三匁之飯代
  与え候由、京組ノ浪士者月俸弐両と申事承知仕候、
  壬生組者幕府より之御沙汰 京地組ハ
  王朝を補佐仕候様之浪士故、主意ハ雲泥ノ違ニ候