特徴(特異性) |
夜久野台地をつくる玄武岩溶岩とより新しい火山噴出物とを田倉山火山と総称されているが、ここでは前者を夜久野玄武岩類と呼ぶ。田倉山団体研究グループ(1984b)は、上治(1925)の研究を再検討し、小倉溶岩、衣摺溶岩、田倉山溶岩の記載と地質図を示した。各溶岩の分布を訂正したが、上治(1925)の田倉山玄武溶岩が田倉山溶岩とスコリア丘層に分けられたことが新しい知見である。そして田倉山溶岩は溶岩台地をつくらず、衣摺溶岩周辺の侵食された谷に分布していると述べている。古山他(1993)、Furuyama et al.(1993)はこれらの溶岩のK-Ar年代を測定した。次のとおりである。小倉溶岩0.367±0.017Ma, 衣摺溶岩0.365±0.011Ma, 田倉山溶岩0.313±0.011Ma前二者の年代値は酸素同位体期8の氷期にあたり、田倉山団研(1984b)の考察とほぼ一致している。しかし田倉山溶岩については、谷に分布しているということをどう考えたらよいか疑問を生じた。そこで年代測定試料採集地点を再検討した。それは田倉山溶岩の模式地で、谷に分布している“田倉山溶岩”とは異なり、台地縁辺にある溶岩であった。田倉山溶岩の名称は模式地の溶岩に用いることになるので、その他の場所の“田倉山溶岩”は各場所の地名で呼び、田倉山溶岩とは別の溶岩とする。すなわち、兵庫県の白井水源の谷と石部神社上流の谷を埋めた溶岩は、田倉山団研(1984b)の考察のように、地形的に最終氷期の谷を流れ下ったもの、すなわち2万年前前後の時期の火山活動の産物と推定できる。しかしながら、上夜久野駅から奥水坂にかけてある夜久野町平野の溶岩は、谷を埋めたものか台地をつくる溶岩でその縁辺部に谷が形成されたのか問題である。この問題は別記する水坂層と夜久野ヶ原層の問題ともからむ今後の研究課題である。 |