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分類 | 堆積物 |
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時代区分 | 第四紀完新世(弥生時代前期末) |
地域 | 京都市左京区北白川 |
選定理由 | 白川の弥生前期末の土石流堆積物。 |
改訂の理由 | 砂扇状地に花崗岩塊が産する記録が増して、それらが弥生時代前期末に限られることが、明らかになった。 |
分布 | 北白川の旧白川流路一帯。 |
特徴(特異性) | 白川扇状地は花崗岩砂でできた扇状地である。東方の花崗岩山地を下刻して西の京都盆地にでた白川は、吉田山の北に砂扇状地を形成した。その扇状地の最も高いところは、谷の出口からほぼ西に向かっているが、花崗岩の長径1~3mにわたる巨大な丸い岩塊が、その高いところの近くに東西方向に点々と見つかっている。京都大学人文科学研究所の裏(東端)から、京大農学部と理学部がある北部構内西南部に多く見つかっている。最大の花崗岩塊は数学教室(理学部3号館)西南端の建物の地下にあったが、その南に新しくできた理学部6号館の西側部分の地下でも、いくつもの巨大な花崗岩塊があった。それよりも小さいが岩塊がいくつも集合して見つかったのは、北部食堂の西方であった。 この花崗岩塊と一緒に流れた花崗岩砂は弥生前期末の堆積で、理学部から京大本部構内の西北部の総合博物館から南西へ流れ下り、農学部表門の今出川通りから本部キャンパスを南西に流下したものは吉田キャンパスを南南西に流れ下った(冨井2005)。 |
現状 | 現在、白川は谷の出口から南流している。 |
特記事項 | 1972年9月16日夜半、台風20号で音羽川は大量の花崗岩砂を流して水害を発生した。その時、谷の出口近くにある大きな砂防堰堤には大量の砂と花崗岩塊とが堆積した。花崗岩砂を運んだ濁流は堰堤を越えて流れたが、巨大な岩塊は堰堤を埋め立てた砂の上に留まり、堰堤を越えることはなかったと考えられる。この岩塊は谷に転がっていたものか、花崗岩斜面から転がり出たものかは調べられていないと思われる。 |
執筆者 石田志朗
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