トップページ > 地形・地質・自然現象 > 地質 > 天橋立の木の葉石
分類 | 化石 |
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細分 | 植物化石 |
時代区分 | 新生代新第三紀中新世 |
地域 | 宮津市天橋立 |
選定理由 | 天橋立を形成している砂嘴の礫である、中新世前期の植物化石を含む頁岩。 |
改訂の理由 | 与謝植物化石群を最初に記載した、松本(1937)の研究のきっかけとなったのが、学校用務員から聞いた天橋立の木の葉石である。その最も古い記載と思われるものが見つかった。 |
分布 | 天橋立一帯。世屋川河口には、木の葉石が散在している。 |
特徴(特異性) | 天橋立は北方からの沿岸流によって運ばれた礫によって形成された砂嘴である。大正時代中頃(1918年頃)以前は、その礫にしばしば柴石(植物化石を意味する)が散在していたという。木子の与謝植物化石群を最初に報告した、当時の京都府立宮津高等女学校教諭の松本ヨネ(1937)は、古老からこの話を聞き、学校の用務員から世屋附近の路傍に柴石が落ちていることを聞き、世屋村の生徒が植物化石をもって来たことなどから、文献を調べて世屋村木子へ調査に行ったのである。そして50個程の化石標本を北海道大学の大石三郎教授に送り鑑定をお願いしたという。大石教授のもとで、植物化石の研究をしていた藤岡一男は木子にも訪れ、化石の同定につとめたという。松本(1937)は18タクサを報告した。そのうち12属11種、4種はsp.(種まで同定できなかった)、3属は?である。この報告は後に尾上(1978)の業績につながったということができよう。 これらの研究のもとになった、天橋立の木の葉石は、木子ではなく、下世屋附近から世屋川を流れ下り、海流によって運ばれたものであると考えられる。木子附近を流れる須川は北へ流れて、経ヶ岬の西の海にそそいでいるのである。 天橋立の木の葉石は横山又次郎が1887年にナトルストに送り、ブナの葉(Fagus sp.) として図版とともに記載された(Nathorst, A.G 1888)。 |
現状 | 現在でも見つかることは期待されるが、天橋立の付け根(北端海岸)は強固な護岸石積みがなされたので、その附近では期待できないといえる。 |
執筆者 石田志朗
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