ここから本文です。
【活動概要】情報発信・伝統文化・パワースポット
【活動場所】南山城村・恋志谷神社
後醍醐天皇にまつわる縁結びの神様である恋志谷(こいしだに)神社を中心とした地域の伝統行事を体験しながら、地域の文化や風習を等身大の大学生目線でPRしよう!
>>恋志谷神社について詳しくは「お茶の京都」DMO制作の動画(外部リンク)をご参照ください。
京都府内の地域の資産、人材および衛星3 次元データ等の情報を活用し、地域課題の解決を図り、地域のまちづくりに寄与することを目的に活動しています。
具体的には、宇治から相楽郡にて地元資産PR動画作成や、茶業にまつわるブランディングやスマート化などに取り組んでいます。
後醍醐天皇にまつわる縁結びの神様である恋志谷(こいしだに)神社を中心とした地域の伝統行事を体験しながら、「京都府地域アセット・衛星3次元データ等を活用したまちおこし研究会」さんと一緒に伝統文化のPRをSNS等で行ってください。
古くから続く地域の営みに想いを馳せ、地域の方々と出会い、縁結びのパワースポットを中心とした地域の文化や風習を、等身大の大学生目線でPRしましょう!
新型コロナウイルスの感染状況に応じてオンラインを組み合わせながら活動を進めます。
■全体スケジュール
プロジェクト概要ページに掲載しています。
■「京都府地域アセット・衛星3次元データ等を活用したまちおこし研究会」チームのスケジュール
【8月初旬】現地案内・地域での作業(地域の方との神社周辺の清掃・伝統行事の準備補助等)
【8月中旬】地域の伝承由来の取材、伝統行事の作業補助等
→何度か現地を訪問(3回程度の交通費を団体側が負担)しながら、地域の行事に参加して頂き、その後は地域の文化をPR。
「京都府地域アセット・衛星3次元データ等を活用したまちおこし研究会」担当者からのメッセージ
「考えるな、戀(こい)しろ!」 な方、大歓迎です!
2021年8月24日に恋志谷神社で23年ぶりの遷宮が行われました。
14世紀半ばに恋志谷神社が御造営されて以降、現在に至るまで600年以上、35代にも亘って遷宮は行われ続けてきたそうです。
2021年5月にご神体が仮殿に移された(仮遷宮)後、恋志谷神社本殿をはじめ、隣接する伊勢神宮遙拝所・天満宮・橿原神宮遙拝所・大川神社が、一斉に修理されました。
それを受けて、ご神体を仮殿から本殿などに御遷座すること(上遷宮)に伴い行われるのが遷宮です。
遷宮の前日である8月23日には、宮司や区長を含む近隣に居住する男性10数名によって遷宮の予行練習が行われていました。
資料を片手に、当日の流れを丹念に確認なさっていたことが印象的でした。
遷宮は代々、恋志谷神社のある集落の住民によって行われ続けていたそうですが、少子高齢化の影響で今では集落に属する家屋は44戸ほどまでに減少しており、深刻な継手不足に悩まされているそうです。
人手不足や資金面での問題から、次回の遷宮は30年後を予定しているといいます。
また、平成28年に御造営された天満宮は末社4社を統合したものであるが、この統合の背景には維持管理の問題があるということでした。
このように地域の少子高齢化に起因する後継者不足などの問題が、伝統的な文化に深刻な影響を与えていることが実感されました。
13時頃から神事が開始とのことでしたが、12時45分頃には10名ほどの行列が東の方向から神社に向かって歩いていらっしゃいました。
30~40名の地元の方が神事の見学にいらっしゃいましたが、そのほとんどが高齢者でした。
中学生か高校生ほどの年齢の人は2名、神事に参加している子供が1名のみでその他に若年者は見受けられませんでした。
前日に予行練習を行っていらっしゃった地元の方は紋付羽織袴の出で立ちで正装なさっていました。
舞台の前で身を清め、本殿の前に整列したあとに、子供が本殿の上部にあがって、杵のようなものを振り下ろすのにあわせて、本殿の前に整列した地元の人々も同様の動きをなさっていました。
途中で、神主さんが仮宮の方向にむけて紙吹雪のようなものを撒いていました。
日中の神事の終了後は、餅撒きをして和やかに解散しました。
夜の神事は20時から開始し、22時頃に解散しました。
例年は夜中まで行われるとお聞きしました。
神事を行う地元の方は日中に着られていた紋付羽織袴から全身白色の装束に着替えられていました。
その後、日中と同様に舞台の前で身を清め本殿へ向かわれました。
仮宮から本宮に遷宮する際は、ご神体の姿が見えないように消灯していたため、厳かな雰囲気がよりいっそう増していました。仮宮と本宮の間を榊のようなものと大きい白い布をもって3~4回往復されていました。
遷宮が終了したあとは見学に訪れた地元の人々が参拝していました。
2021年11月7日にオンラインにて、南山城村の区長である森山髙吉さんから地域の歴史についてお話をお伺いしました。
恋志谷神社の由緒となった後醍醐天皇と恋志谷姫に関する言い伝えのほか、地域の歴史、特に江戸時代の初頭に徳川将軍家の兵法指南役を務めた剣術家の柳生宗矩、その息子三厳らを中心とする柳生家と天満宮の関係をお聞きしました。
柳生家と地域の関わりはとても深く、恋志谷神社と共に祀られる天満宮は柳生宗冬が建立したもので石垣などもそのときに作られたものだそうです。
実際に地域に住み続けている区長さんから地域の歴史をお聞きしたことで、もう一度現地に行きたいという思いがより一層募りました。
神社や天満宮に関する歴史の流れを知らないまま現地を訪れるだけでも、神社や天満宮の持つ、えも言われぬ雰囲気やそれを取り巻く自然を感じて楽しむことが出来ますが、地域に住む方から神社や天満宮の物語をお聞きした上で現地を訪れた方が、より心で感じられるものが多く、より魅力的であるように思いました。
昨今の合理化を好む傾向もあり、天満宮や神社を取り巻く環境は厳しくなっているという趣旨の区長さんのお話も印象的でした。
地域の歴史を語ってくださり、質問にも丁寧に答えてくださった森山さん、本当にありがとうございました。
「京都府地域アセット・衛星3次元データ等を活用したまちおこし研究会」が、大学生の皆さんの意見も反映しながら制作した動画です。
遷宮の様子
南山城村の紹介
お問い合わせ
文化生活部文化生活総務課 府民協働係
京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町
電話番号:075-414-4210
ファックス:075-414-4230