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常に「魚」や「海」と歩んできたこれまで
私は、勉強嫌いですし、運動も上手でなかったですが(好きですが)、魚と海のことで言えば、同じ学校生徒100人いても誰にも負けないくらい大好きでした。
どのくらい好きかというと、砂地を見ただけでアサリのいる場所をみつけることが出来るし、魚はどこへ行けば何が獲れるのかが分かるほどでした。
また、宮津市内の水産試験場(現:水産事務所)を見学し、宮津湾に関わる研究等を子供ながらに聞いたりもしていました。
その後も魚や海への興味はとどまらず、水産分野の大学に進学後、国の水産研究機関へ就職しました。
沖縄、静岡、宮津、長崎を点々とし、水産の知識を生かした仕事をしていました。
やがて40代になると、これからは漁業士として自ら魚を獲る仕事がしたいと考えるようになりました。
そのための準備として、退職前12年間は仕事の傍ら船に乗って漁師に関する実践を学びました。重労働なためマラソンをして体力もつけていました。
そして、生まれ育った海で漁業ができたらいいなと思うようになり、地元であるここ宮津に帰ってきました。