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平成18年11月20日(月曜日)午前10時~正午まで
京都府職員福利厚生センター
京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町
今里滋座長、今村晋平委員、大谷貴美子委員、金杉民雄委員、鴨井優美委員、牧克昌委員、村田吉弘委員、村松恵子委員、森川惠子委員、湯川美栄子委員
小石原副知事ほか関係職員
1名
京都府食育推進計画(案)について
(座長)
事務局に説明を求める。
(事務局)
京都府食育推進計画(案)について、資料により説明
(座長)
委員に意見を求める。
(委員)
「食育ネットワークをつくり、みんなで取り組む。」「コーディネーター(調整役)を明確にし、関係者が連携」と計画にあるが、食育ネットワークとはどのようなものか、またコーディネーターの役割がわかりにくい。
小学校で子どもたちを取材した経験から、朝食を食べない児童の割合は現実には3パーセントを超えている印象がある。これを0パーセントにするという目標設定は大切だと思うが、その目標達成には、具体的な施策が必要である。
学校から親、親から子どもへといったアプローチの仕方を示すことで、より具体的な動きになっていくと思う。
(事務局)
市町村の栄養士さんなどがコーディネーター役、企画・調整役となり、学校や様々なグループ、農業団体等の個別の食育の取組をつなげている地域で、食育の活動がうまくいっている事例が多くある。
このコーディネーター役は、市町村や保健所の栄養士や学校の栄養教諭などが考えられ、それぞれの地域で適任の方が企画・調整役になっていただき、関係者の連携が進むような状況をつくっていきたいと考えている。
そして、学校、保育所等、食育を進めるグループや、市町村、京都府の地域機関で、人と人、団体と団体とを繋ぐネットワークをつくることを、「食育ネットワーク」の構築としている。
また、朝食を食べない子どもの割合を0パーセントにするためには、栄養教諭を中心とした学校での取組に加え、関係者、団体、行政がそれぞれの取組を進め、おっしゃるように、最終的には、家庭での取組を進める必要があると考えている。
(委員)
私は中学校の社会人講師として食育を行っており、中学校での授業に際してアンケートをとっている。
4年前には、朝食を食べない子どもがクラスに5人ほどいたが、昨年は2人、今年はゼロになった。みそ汁を食べているという子も増えており、食育の取組により、日本型食生活が良いということが家庭にも浸透してきたのかなと思っている。
地域で食育に携わる方々が集う、取組事例の報告会を開催して、優良な取組事例が、府内全域への普及するようにしてほしい。
(委員)
学校間で格差が生じないよう、栄養教諭を増員して全ての学校に配置してほしいと思っている。
また、「ほんまもん」という言葉の説明が、辞書的になっているが、もう少し盛り込むべき要素があるのではないか。例えば、イタリアのスローフード運動には「おいしい(旬の味)」、「きれい(環境に優しい)」、「正しい(安全)」というキーワードがある。
給食の弾力的な運用ができないか。統一献立の給食では学校・地域の独自性を出すことが難しいので、年数回でも、各校で自由に献立を作れるようにして欲しい。
また、食育に関する事業を実施する際には、必要な食材を小口でも自由に買える予算上の配慮をしていただきたい。
ライフステージ毎の表の65歳以上の取組で、福祉の話かもしれないが、体が不自由になった人への食支援も検討できないか。
(委員)
全世界で飢餓の国に援助している食材と日本で残飯として廃棄している食材の量が同じという新聞記事を見たが、この計画において、資源を大切にするという記述は必要。
京都府食品産業協会は、来年2月に、京都文化博物館で源氏物語をテーマにした食育のイベントを開催する。今後も協会として食育に取り組んでいきたい。
(委員)
残飯をなくせば日本の食料自給率が40パーセントから56パーセントに上がるといわれるほど無駄が多い。学校給食での安全は大切だが、一方で、食べ残した食パンを自分でゴミ箱に捨てさせており、このあり方を併せて考える必要がある。
(委員)
「ほんまもんの食と出会い、五感で味わう力を育む」ことは必要であるが、学校給食では、野菜を80度以上で10秒以上加熱しないとダメであり、本当においしいものは出せない状況がある。また、生のにんじんをかじらせてその味を教えるような食育は、学校給食では難しい。
さらに、「ほんまもん」については、誰がどう見極めるのか難しいところがある。
何が本物か、どういう調理法が適切か、消費者も分からなくなっている。
食育の授業をやろうと思っても、学校の先生もだしのとり方を知らない状況がある。
こういう現状の中で、「ほんまもんの食と出会い、五感で味わう力を育む」食育をしようとするには、まず、子どもたちや一般の方に食育を教える、栄養士、栄養教諭、料理学校の教員、地域の料理人といった人が食育の指導ができるよう育成することがが必要であり、そして、そういった指導者を教える人がいる。
その意味で、人材育成のプログラムは、食育を指導するためのプログラムと、食育指導を行う人を育成するためのプログラムの2つが必要である。
(委員)
単発の食育ではなく、毎月1回ずつ、小・中学校の9年間で継続的な食育を行い、食材や調理器具等について、また、食べることの大切さや感謝の気持ち、国際関係まで教えていく必要がある。そのことを教育委員会と話し合う機会も持っていただきたい。
PTA協議会としては、教育の原点は家庭と考えている。時間をかけて親を変えていきたいと思っているが、まず、子どもを変え、子どもが親に働きかけることにより、親を変えていきたい。
PTAの組織は京都府全ての小・中学校、幼稚園と繋がっているので、「食育ネットワーク」を作る際にはPTA協議会も利用していただきたい。
(委員)
子どもに包丁を持たせるとけがをするので危ないとか、食育に時間を割くのであれば、国語や英語をやってくれといった親の要求に学校が戦々恐々としている。小さなけがをしてもその経験により大きなけがが防げればいいのではないかと思う。そういう部分がないと食育はやっていけない。学校ばかりに期待されても、親が変わらないと学校が変わらない。そういうところも配慮いただきたい。
(委員)
一時期、インターネットで、「給食費を払っているので、給食では「いただきます」といわなくていいんじゃないか」という意見が掲載され、賛否両論があった。
PTAの組織で頑張っておられるお母さん達と、そこからはみ出ているお母さん達の間には大きなギャップがある。
今、食育の問題を解決しないと日本人の健康も精神もだめになってしまうと思うので、そのギャップを埋めるために何ができるかということが、この計画に必要ではないか。
意識が変わってきている家庭に対して、組織的にアプローチすることはもちろん必要だが、個人レベルで変わっている意識を変える取組というものを考えると、身近で聞いた話は伝わりやすいので、民間の小さな組織でやっている小規模な食育活動の情報を拾い上げて提供していくことも必要と思う。
私も「土の塾」で畑で作物を育て、調理して食べるという活動を行い、大豆を栽培すれば、それを加工して味噌や豆腐を作るところまでしている。自分で育てた食材を使うと子どもたちも残さず食べ、作物の命を食べているということを自然に伝えることができる。
(委員)
大学と連携し、小学校での月1回のランチを行っており、そこでは、マナー、感謝の気持ちも含めて教育している。
大学の家政学部だけではなく、教育学科の学生も参加して食育を実施している。
学校と家庭をどう繋ぐため、そのランチのメニューのレシピを父兄に配布している。
ランチのメニューを見て、お弁当には子どもの好きなものばかり入れていたと気付く場合もある。
(委員)
食育は、単発のイベントではなく、体育と同様、教科としてしっかり教えるべきである。
計画は楽しそうなことしか書いていないように見え、本当に府民運動のレベルでやっていけるか心配である。計画の内容を実現する推進体制に期待している。
(委員)
だしが大事とか子どもに何を食べさせればいいのか、炭酸飲料は余り飲ませてはだめとか、頭では分かっていても、実際にはできていないお母さんに、影響を与えるにはどうすればいいのかと思う。
何の活動にも参加していないお母さんに、子どもを介して間接的に働きかけるだけではなく、直接的に働きかける方法を考える必要があるのではないか。
そのために、地域で、コーディネーターを中心に取組ができないかと思う。
(一般参加者)
食の大切さを考えるきっかけは2つあり、1つは病気になり食生活・生活習慣に対して反省するとき、もう1つは食に対して感動したときで、自分で調理する、作物を育てるといった体験をすることが、廃棄物を出さないとかおいしく食べるとかいった気持ちにもつながる。
先日、生協主催の「食べる大切フェスティバル」で行った男の料理教室についての発表で、「自分で料理をして初めて料理のおいしさを評価する気持ちや作ってくれた人に対する感謝の念が生じた。」との感想が聞かれた。
(座長)
懇談会のこれまでの意見をとりまとめると、府の関係部局である教育委員会、保健福祉部、農林水産部がしっかり連携して、この計画に基づき、食育を推進していくことが重要である。
中でも、これまでの懇談では、教育の分野に関わる意見が多くでており、食育の推進に当たっては、特に教育委員会等との協調・話し合いが重要である。いじめ等色々な問題もあるが、「食」は基本なので、しっかりやっていただきたい。
私見であるが、食育は栄養学、料理、農業、流通、食品加工等に関係する広範な総合的分野であることから、「食」に関する学問はその内容や関わってくる人も多様になる。そのため、きちんとした体系化や教育の在り方の検討が必要であり、日本でもイタリアの「食の大学」のようなものをつくることができればいいなと考えている。
以上
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