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遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
今年も「鴨川真発見記」をよろしくお願いいたします。
これまでから鴨川真発見記はジャンルを問わず様々な情報を発信してきました。
今回は2016年第1弾として鴨川・高野川で年末年始に目にした光景を様々にご紹介したいと思います。
知り合いの方とお話しをしていて、高野川の鹿の話題となりました。春から秋にかけて高野川に山から鹿が子連れで降りてきて中州、寄州の草を食べている様子は何度も見てきましたが、その方の話では冬になっても鹿がいるという事でした。
以前、新聞社の取材にも冬になると草が枯れてしまうので、姿を見かけなくなるとお応えしてきました。事実、冬に姿を見たことがありませんでした。
<2015年末の高野川>
<角の生えた大きな鹿>
<まだ小さい鹿>
<3頭目も大きな鹿>
今シーズンは、高野川の傍を走る路線バスの乗客の皆さんが、今日も鹿がいると話題になっているとのことでした。
そんな年末のある日、話題のスポット「高野川の馬橋上流」を歩いていると、御婦人が指をさして今日も鹿がいると教えてくださいました。
年が明けて再びそのスポットへ行くと、2頭の鹿が枯れ草の間から生えている緑の葉を食べている様子を見る事が出来ました。この鹿達は高野川で新年を迎えたのでしょうか。枯れ草ばかりと思っていても、なにがしかの緑の葉が生えているのですね。
<2016年年始の高野川>
<2頭の鹿が>
<枯れ草の間から緑の草を食べる鹿>
【御注意】
鹿は山から食べ物を求めて自然に降りて来た訳ですが、エサを与えたり、追い立てて驚かしたりすると、道路に出て来て交通事故を誘発する恐れもあります。
枯れ草ばかりと先入観でみている光景の中に緑が隠れている事は、「ヒドリガモ」の様子を見ていてもわかります。枯れた芝生の間から顔を出した緑の葉を丁寧により分けてついばんでいました。
<枯れた芝生の間を探る“ヒドリガモ”の群れ>
<枯れた草ばかりではないようです>
季節外れの花にも出会いました。春になると桜の裾を飾る様に真っ白な小さな花を咲かせる「ユキヤナギ」です。茶色くなった葉の間から、ひと株に十数輪の花が咲いています。
この冬は観測史上何年ぶりかの暖かい日もありました。その影響なのでしょうか、春の満開とは違い控えめに咲いていました。
<ユキヤナギの紅葉した葉の間に>
<小さな花が咲いていました>
花といえば、1月11日は成人の日でしたね。高野川でも華やかな振り袖をお召しになった新成人が記念写真を撮っておられました。高野川と比叡山をバックに、また北山をバックに記念の一枚は思い出に残る事でしょう。
<比叡山をバックに記念撮影>
<北山をバックに記念撮影>
ここで、何故?なものが足元に大量におかれていました。高野川の馬橋近くです。それはというと「セミの抜け殻」です。何かの研究をされた後で捨てられたのでしょうか。おびただしい数の抜け殻です。
新聞でこの夏「クマゼミ」が激減との報道がありました。このセミが何の種類か解りませんが、これだけの数を集めるのは大変だった事でしょう。
<何故ここに?>
<セミの抜け殻>
鴨川・高野川での人の営みも様々ですが、昨年末に三条大橋の下流で大縄飛びをしている方々に出会いました。その時にはお声がけする事もなく、通過しました。
<鴨川で大縄飛び>
<橋の上から手拍子を>
これまた新年になって、同じ場所を歩いていると大縄飛びをする方々に出会いました。お声がけをして「どういう趣旨」かとお訊ねするとその意味をお応え頂きました。
教育関係の方が主催されているそうで、現代の世の中人と人との繋がりが希薄となっており、様々な問題が起こっている。大縄飛びをして通りすがりの方がそれに興味を持って参加される。そこに知らない人とのコミュニケーションが始まるという取り組みだそうです。
「挑戦者求む!」「只今の記録」「手拍子お願いします」などの興味をそそるうたい文句にとおりすがりの方々が足を止めておられました。
<知らない同士で息を合わせて>
<只今の記録56>
鴨川を観察して4年半が経過しました。鴨川ではじめて「カワアイサ」を見たのは3年程前です。オス一羽にメス2羽の3羽やオス・メスペアの2羽はよく見かけますが、昨年の年末にはメスばかり3羽を見てこれははじめてと思っておりました。
<2015年年末の鴨川>
<カワアイサ メス>
<頭をかく カワアイサ>
<メスばかり3羽のカワアイサ>
年が明けて新年、鴨川歩きを楽しんでいると、ジャバジャバと水に潜ったり浮かんできたりと繰り返している「カワアイサ」の群れに出会いました。
目をこらして見ると、どうやら5羽の「カワアイサ」メスばかりの群れです。私が歩いていく方向へ移動していくので、観察しながら一緒に移動してみました。
<2016新年の鴨川>
<メスばかり5羽のカワアイサ>
<葵橋の下に集まる4羽>
<上流へ向かって進む>
もう少し近くに寄ってみようと、葵橋の上から覗いてみると、警戒心からか4羽が上流に向けて移動していきます。太陽の光が届く場所では3羽並んで綺麗な体が浮かび上がります。
<葵橋の上から上流を望む>
<太陽に照らされて>
しばらくすると、飛び去りましたので、また鴨川沿いを上流に向かって移動していくと、待っていてくれた様にその姿を再び見せてくれました。
<カワアイサ着水>
<飛び立つカワアイサ>
残りの一羽も、上流へ移動していたようで、同じく姿を見せてくれました。
<太陽の光を背中から浴びて>
<更に上流に向かうカワアイサ>
中州から伸びた草の下には、身を隠すように「マガモ」のオス・メスペアが佇んでいます。中州の草も野鳥にとっては身を隠す場所のようです。
<中州から伸びた草の陰にマガモのペア>
また違う場所では、「キセキレイ」が落差工下のブロックのところで、ジャンプを繰り返しています。舞い上がっては同じ場所に戻ってきます。飛んでいる虫をキャッチしているようです
<水辺のキセキレイ>
<舞い上がり>
<再び同じ所へ>
<着水>
<狙いを定めて>
<縄跳びの様なジャンプ>
しばらくすると、「セグロセキレイ」もやってきて、同じ行動を見せてくれます。キセキレイはセグロセキレイに場所を譲って、少し離れたところで舞い始めました。
<後からセグロセキレイ>
<宙を舞う>
<同じ所へ戻ってくる>
こうした思いがけない出会いを楽しむ事が出来るのも、鴨川・高野川の持つ魅力のひとつです。これからも、鴨川を散策しながら様々な情報を発信して行きたいと思います。今年が皆様にとってよい1年でありますように願いつつ2016年最初の鴨川真発見記を終えたいと思います。
平成28年1月13日 (京都土木事務所Y)
今シーズンは暖冬で京都の市街地に積雪する事はないかなと思っていましたが、平成28年1月20日(水)は前日からの気象情報どおり早朝から雪が舞い降りました。
京都の市街地の中でも北部に位置する京都土木事務所の周辺、北山通りあたりは、朝8時の時点で道路にも白く雪が積もっていました。
鴨川の周辺の現在の状況を確認してみることにしました。どうやって確認するのか?それは京都府のホームページからです。トップページの真ん中オレンジ色の帯「防災・防犯・安心・安全情報」の真下に「●きょうと危機管理WEB」があります。
(※以下のホームページは平成28年当時のものです。現在の危機管理WEBはこちら(外部リンク)へ)
ここをクリックすると、
<きょうと危機管理WEBをクリック>
きょうと危機管理WEBのページに移動します。次に画面左の上から2番目「雨量水・河川水位・土砂災害 気象(警報・注意報)」をクリックします。
<雨量水・河川水位・土砂災害 気象(警報・注意報)をクリック>
移動した画面の中の、「河川防災カメラ」をクリックします。このカメラの画像は降雨時に降水量、河川水位と共に実際の川の状況を平常時と比較してお伝えしているものです。降雪時にもその周辺の様子を確認できます。
<河川防災カメラをクリック>
カメラの設置位置が示された画像に移動しますので、見たい場所のカメラをクリックしてください。
<見たい場所のカメラをクリック>
さて、この日の朝のカメラの画像はどうだったでしょう。
私が最初に気になったのは、繁華街の真ん中「三条大橋」の様子です。三条大橋に向けられたカメラには、横殴りに降る雪の白い筋が上流から下流へ流れています。
三条大橋の歩道は積雪で真っ白で、車道にも積雪があり車の“わだち”の部分以外は真っ白です。
<鴨川(三条大橋)午前8時20分>
次に確認したのは、上流へさかのぼって出町の様子です。雪の降り方は三条大橋付近よりは穏やかなようですが、高水敷には真っ白に雪が積もっています。
<賀茂川(出町橋)午前8時22分>
そして、鴨川・高野川では最も上流に設置されているカメラをチェックしました。高野川と岩倉川の合流点(宝ヶ池子どもの楽園近辺)のカメラの映像には、合流点の剣先の先端部分もクッキリと白く浮かび上がっていました。
<高野川(岩倉川合流部)午前8時24分>
城陽市から出勤してきた職員さんから、「家を出る時には全く雪がなく、伏見区に入ったあたりから雪が降り始めた」との情報を得ました。それではと、鴨川では最下流のカメラをチェックしました。
鳥羽大橋のカメラの画像には、上流域ほどではありませんが、薄く白い雪景色が写し出されていました。
鴨川真発見記では、今シーズンで4シーズン目ですが、三条大橋以南の積雪の様子に遭遇する機会を逃してきました。防災カメラとはいえ、鴨川下流域の雪景色をお楽しみください。
<鴨川(鳥羽大橋)午前8時26分>
この記事を書いている現在の時間は午前10時ですが、北山大橋付近はまだ雪が降り続いています。北山大橋には防災カメラは設置されていませんが、事務所からその様子を見る事が出来ます。橋の上の雪は自動車の通行で消えていますが、後から後から雪が降ってきています。
<北山大橋上流 午前10時頃>
<北山大橋下流 午前10時頃>
さて、ここで気になるのが、鴨川の源流域はどうなっているのかということです。源流域には防災カメラは設置されていませんが、「鴨川真発見記」のネットワークがあります。
鴨川源流域の一つ雲ヶ畑では、公式ホームページがあります。その中のブログで雲ヶ畑の様子をこまめに情報発信されている波多野佳美さんに連絡を入れました。
「雲ヶ畑の雪の状況はどうですか?」と訪ねると、岩屋橋付近午前10時の時点で約20cmの積雪のようです。波多野さんは当然雪景色の撮影中でしたので、鴨川を中心の雪景色の写真をお願いしました。
そして、同日の午前中に鴨川源流域雲ヶ畑の写真が届きました。それでも“まだまだ”雪は降り続いていました。
夏は涼しい「雲ヶ畑の川床(かわどこ)」も雪景色です。鴨川の上流祖父谷川にも雪が積もり、川の流れがつくる「動」の白い水しぶき、石に積もった「静」の雪、更には空から降る「動」の雪、水で出来た三つの主役が水墨画の様な光景を魅せてくれました。
<雲ヶ畑川床>
<川を拡大 積もる雪、流れる水、降る雪>
祖父川が「一級河川鴨川」と名を変える辺りの堰堤では、更に流れ落ちる水と周りの雪景色で水墨画のようです。
<祖父川が鴨川と名を変える付近の様子>
防災カメラのネットワークと、人のネットワークで2016年鴨川・高野川の初雪をご紹介しました。もうすぐお昼休みです。午後から晴れたら少し外の様子を見に行ってみようかと思います。明日まで雪は残るでしょうか?
雪景色の中でご紹介するような光景に出会いましたら、次回その様子をご紹介したいと思います。今回は、雲ヶ畑の波多野佳美さんに感謝しつつ記事を終えたいと思います。
平成28年1月20日(京都土木事務所Y)
昭和10年に京都市内に大水害が発生し、鴨川や高野川も大きく被災した様子は鴨川真発見記でも何度かご紹介しました。今回は、その後昭和22年までの11年間かけてほぼ現在の姿に改修された工事の様子をご紹介したいと思います。
<昭和10年の大水害 三条大橋>
<昭和の改修計画>
京都府立総合資料館に保存されている永年文書の中に、「昭和16年中小河川改良工事説明書」があります。昭和16年時点での鴨川の改修を国に説明するための文書で、当時の河川改修工事や昭和10年以降の増水の写真が添付されています。
その写真の中から一部抜粋してご紹介したいと思います。
最初は七条大橋の上右岸から上流を望む様子です。
現在のみそそぎ川は五条大橋の上流で鴨川に注いでいますので、この辺りでは鴨川沿いに並ぶ建物のすぐ傍に石積みの護岸があり、その傍の川底を深く堀下げていく様子がわかります。
左岸側(東側)に流れを寄せるために土を盛り上げて、右岸側(西側)に水が流れないようにして施工する方法は今も昔も変わりませんが、重機は無く手作業で改修が進められました。
<七条大橋 橋上右岸より上流 昭和15年11月27日撮影>
<同上 平成28年1月22日撮影>
四条大橋の架け替え工事の様子です。四条大橋は昭和10年の水害で流失はしませんでしたが、上流から流れてきた流木や橋のガレキが当たり大きな損傷を受けました。そこで、昭和17年に現在の橋に架け替えられました。工事が始まった昭和15年当時のものです。
右岸に中華料理店のビルの一部が、そして左岸にレストランのビルが見えています。
川の中は、現在の様に高水敷は無く、なだらかに平常時の流れと繋がっています。写真に示された断面図には後に“みそそぎ川”と呼ばれる水路が書かれています。
<鴨川団栗橋より工事中の四条大橋 昭和15年12月4日撮影>
<同上 平成28年1月9日撮影>
昭和13年の増水の様子です。改修工事が始まって2年が経過した頃の増水時の様子です。この頃はまだ高水敷が整備されていないので、増水による損傷はなかったでしょうが、増水前後の川の中の様子の変化が気になります。
<四条大橋橋上より上流 昭和13年7月5日撮影>
<同上 平成28年1月9日撮影>
賀茂大橋下流から取水した水の流れ“みそそぎ川”が二条大橋下流で高瀬川と分流する場所です。“みそそぎ川”はこの下流で階段状真っ直ぐ流れ落ち、高瀬川は写真右(西側)に引き込まれていきます。
手前の構造物は、二条大橋の橋台です。みそそぎ川の工事の後で現在の二条大橋に架けられたようです。
<二条大橋右岸より下流みそそぎ川>
<昭和15年9月27日撮影>
<平成28年1月9日撮影>
みそそぎ川の名の由来はハッキリしませんが、昭和10年の大水害以前にあった納涼床の下を流れる水を確保するために、歴史的由緒ある流れとして「みそそぎ」(みそぎ)の名称を使ったとの説もあります。
<参考文献>
※「日本風景史ヴィジョンをめぐる技法」 昭和堂 田路貴浩・斉藤潮・山口敬太 編
第9章 近代の都市河川ー「山紫水明」の風致と鴨川の整備 林倫子氏執筆
荒神橋・丸太町橋間の河床堀下げの工事です。下へ掘り進んだ土を上へ運びあげるコンベアの様な機械に向かってレールが敷かれ、手前にはトロッコの荷台が並んでいます。
写真の中央に帯状に並ぶのは、埋設されていた管(御所水道鉄管かもしれません)が掘り出されて並べられているようです。
丸太町橋右岸上流には、二本木と呼ばれる文学作家が集う街と山紫水明処の建物があります。この写真にも写っているのでしょう。
<荒神橋左岸下流から丸太町橋を望む 昭和15年11月20日撮影>
<同上 平成28年1月10日 撮影>
同じく荒神橋・丸太町橋間の河床堀下げ工事の様子ですが、下流側の丸太町橋から上流を見たものです。写真説明概略には、「護岸は玉石練張」とあります。堀下げ工事で鴨川から出た石を使用したのであれば、加茂七石と呼ばれる鴨川水系の貴重な自然石も含まれているかもしれません。石の見分けがつく方に鑑定してみて欲しいものです。
<丸太町橋 橋上の左岸側より上流 昭和15年11月26日撮影>
<同上 平成28年1月22日撮影>
賀茂大橋上流の堀下げ工事の様子です。作業する人の手には“クワ”か“ツルハシ“が握られています。
写真右には、旧護岸石垣基礎とあります。この位置から橋の下の深さまで掘り下げられました。
説明には、根固めは木工沈床とあります。橋の下、橋脚の手前に木組みが見えます。
現在の賀茂大橋は昭和8年に架けられ、10年の大水害にも耐えました。それから80年以上を経過し、今年度耐震補強工事が実施されています。
<賀茂大橋上流側 昭和15年11月8日撮影>
<同上 平成28年1月10日撮影>
賀茂大橋から鴨川、高野川の合流点の工事の様子です。写真には現在「鴨川デルタ」とも呼ばれている剣先の石積みが描かれています。思い思いに過ごされている逆三角形の平地もこの時の工事で整備されました。
写真手前の白く石が並んでいる所が、現在鴨川側と高野川側の飛び石を繋ぐ先端部分と思われます。
鴨川側に架かる橋には、葵橋とあります。現在の「出町橋」は当時「葵橋」の名がついていました。
<鴨川・高野川合流点背割り堤 昭和15年12月9日撮影>
<同上 平成28年1月10日撮影>
昭和13年7月6日、出雲路橋右岸から左岸を見た様子です。先程の四条大橋から上流を望む増水写真の翌日ですが、やはりまだ水位は高いようです。この写真、よく見ると水際に数人の人が立って川を眺めておられます。増水のピークは過ぎているのでしょうが、危険です。皆様も増水した川には近づかない様にしてください。
当時の写真右側に写っている蔵は、現在の写真にも写っています。
<出雲路橋右岸橋の上から対岸を望む 昭和13年7月6日撮影>
<同上 平成28年1月10日撮影>
鴨川の市街地では最上流の柊野堰堤を下流から望む様子です。写真奧に真新しい白い砂防堰堤が姿を現し、そこから白い石積みの護岸がカーブを描いて下流に繋がっています。当時は砂防堰堤の右岸側には現在の様な住宅地はなく、家もまばらに見えています。
北に見える山並みは当時と同じですが、柊野堰堤の手前の庄田橋は当時架かっていませんでした。現在は同じ地点から庄田橋が目隠しになって堰堤本体は見えません。
<柊野堰堤を下流から望む 昭和15年12月4日撮影>
<同上 平成28年1月25日撮影>
小学校をはじめ、地域住民の方の依頼で「出前講座」を実施し、昭和10年の大水害を契機にほぼ現在の鴨川の姿に改修されたお話しをしてきましたが、昭和11年から22年までの11年間の経過を写真と共にご紹介までは出来ていませんでした。
今回は、京都府立総合資料館の永年文書の中から見つけた写真のうち、鴨川の七条大橋から柊野堰堤までの工事の様子を「その1」としてご紹介しました。
同じ文書に鴨川の七条大橋以南や高野川の写真もありましたので、次の機会に「その2」としてご紹介したいと思います。
「鴨川のあるべき姿」を議論する前に、80年近い歳月を経た鴨川の変化を皆様にも知っておいて頂きたいと思います。
平成28年1月25日(京都土木事務所Y)
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