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もともと中国で始まったと伝えられる漆器は、日本でも縄文時代にはすでに使われていたようで、その種類も生活用具だけでなく、仏具、武器、文房具など多岐に及んでいました。
漆地に金粉を散りばめたように見える末金楼(まっきんろ)(蒔絵)が生まれたのは奈良時代のことで、この技法は平安時代へと受け継がれ、発展して、やがて研出蒔絵(とぎだしまきえ)や平蒔絵(ひらまきえ)が完成されたのです。
さらに、鎌倉時代から室町時代になると、高蒔絵、肉合蒔絵(ししあいまきえ)が行われますが、この頃には寺院や貴族などが、特定の蒔絵師をかかえるようになります。この時代に作られた「東山時代物」と呼ばれる数々の作品は、当時の京漆器の精彩ぶりを端的に示していますが、それは「わび」「さび」の境地に徹したまことに味わい深いもので、まさに日本の漆工を代表するものといえます。
安土桃山時代の京漆器は、新しく台頭してきた武士階級の趣味や好みを色濃く反映したものとなり、その様子は大変華麗なものでした。しかし、江戸時代に入ると、こうした豪華さ華麗さの中にも繊細で緻密な趣を持つものが目立つようになります。嵯峨蒔絵や光悦などの作品からもそれがうかがい知れます。
以上のように、室町時代以降、京都は全国漆器産業の中心となり栄えますが、その原動力となったのは、数多くの名工の存在であり、さらには彼らの手と技による品質とデザインの優秀性であることはいうまでもありません。
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