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知の京都- 坂口慶治さん(京都教育大学名誉教授)

産学公連携、産業振興の一環として、京の研究者・専門家の皆さんを紹介するページです。

知の京都 京都府の産業支援情報 

『丹後半島の大集落 木子と駒倉はどのように消滅したか』

(2023年12月12日、ものづくり振興課 足利)

『廃村の研究』のダイジェスト版を出版されました!

著書

新たなローカル時代創生への示唆、廃村集中発生地・丹後の歴史

(掲載日:2022年6月22日、ものづくり振興課 足利)

廃村の研究

廃村の研究―山地集落消滅の機構と要因―

坂口慶治さん(京都教育大学名誉教授)及び海青社(滋賀県大津市)は、高度経済成長期以降「廃村の巣」となった丹後に焦点を当てた『廃村の研究-産地集落消滅の機構と要因-』を初出版されました。

プレスリリース(PDF:247KB)

これまで昭和38年の「三八豪雪」が廃村化の直接的な原因と言われてきました。しかし、東北から九州までの日本海側全般が豪雪に見舞われた中、丹後半島東部山地では山地全体104集落の実に63.5%(平成2年までに全面廃村が54集落、部分廃村が12集落)と、全国でも特筆すべき廃村集中地域となっている事実からも、あくまで三八豪雪は廃村化の奔流をダメ押ししたに過ぎないことが、明らかになりました。

本書では、廃村化を単なる「過疎」の視点、特殊な孤立現象として捉える従来の視点ではなく、「立地論」の視点、人類の居住地前線(フロンティア)の後退現象として捉え直すとともに、廃村化が「全国画一」に進行したものではなく、丹後の地形的・気候的要因に加え、多品種少量から大量生産へと経済構造が転換する中での丹後の織物業をとりまく環境変化など、複層的な要因による「地域現象」であることを明示しています。

記者会見
丹後広域振興局の協力により実施した記者会見は1時間半以上に及びました。

丹後故の要因と、人間の根源的要因と

一端をご紹介します。

戦後、中学校卒業生の多くが金の卵として「都会」で就職する時代となり、「地方」での労働力が不足。それ故、丹後の「平地部」では西陣織(先染)の出機の急増によって機業兼業化が進展したことにより、安価な主婦・熟年戸主に対する労働受容力が拡大。一方、「山地部」では、動力電線の未設置により出機兼業も、バス不通で平地部への通勤兼業も適わない集落を中心に、離村が拡大。

撚糸業界での重油ボイラーへの転換等による薪炭生産の壊滅、牛肉輸入枠の拡大の影響、さらには、そうして生産力が低下した村に嫁ぎたがらないといった問題もありました。

そして昭和49年、中国等からの生糸輸入増加によって国内糸価が低落したことに対し、国内養蚕農家保護のために生糸一元輸入制度が導入。その結果、国内生糸価格が高騰、輸入白生地が増加し、好況であった丹後の高級絹織物(後染機業)が壊滅的な打撃を受けたことで、また、モータリゼーションの浸潤による生活利便の平準化も加わって、「山地部」での部分廃村化も終息しました。

「人間の幸福感、不満足感というのは、都会など遠くのものではなく、隣の村や近くの平地部など近くのものとの比較で生まれる」という坂口さんの記者会見での言葉が印象的です。

丹後半島
宮津市街から天橋立、丹後半島の山々を望む

「部分廃村」から雪崩を打つ

また、廃村化は、既に明治時代には小学校への通学問題を主たる理由として始まっていましたが、特に、昭和30年代後半からは、高校進学熱が高まり、村の「最上位戸」から離村が進行。経済力が不足する残存メンバーでは、抜けた最上位戸の不動産を購入できないなど、最上位戸から始まる離村はダメージが大きいのだそう。

「部分廃村」がポイントだと言います。なぜならば、衰退に向かう流れが生じ、財産の資産価値がなくなっていくためで、「早い者勝ち」となってしまうからです。自由競争社会化が進展する中で、補完的な結合よりも相反的な離反関係に作用し、地域の自壊的要因となったケースもあったわけです。

「本書には過去の失敗の歴史を記している。この経験を生かしてほしい」との言葉も印象的でした。明治以来の画一化・均一化を進める政策、大量生産を指向する近代的経済活動に適合せず、社会的・地域的に疎外されてきた経緯を踏まえ、集落の特性に応じた一律ではない社会福祉的な支援の必要性を提言されています。

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