一覧へ戻る | 次の資料へ |
「町代日記」 | 古久保家文書 | |
西陣に住む町代(京都町奉行所と町を仲介する事務を行う)古久保氏の日記の文久3(1863)年9月21日の条に、先日壬生にいる浪士の頭2人と油小路辺に住まいする女性を「同所ニ而浪士内より斬殺し候由」と、壬生浪士組局長芹沢鴨等の暗殺の一件と推測される記述があります。これによると、長州藩の仕業と噂された芹沢鴨の死亡について、すでに町奉行所では事件直後から浪士組内部の犯行であることが了解されており、変死があった場合に行なう検使を省略していたことがわかります。 | ||
町代は奉行所に勤務していたので、この情報もタイムリーに入手することができたと思われます。 | ||
<解読文>(関係箇所解読文) 廿一日雨 (略) 一 過日壬生旅宿之浪士頭弐人と妾之趣油小路 辺女壱人、同所ニ而浪士之内より切殺し 候由、女ハ其儘宅江相送候へ共、検使等ハ無之 |