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京都府の位置 |
京都府は北西−南西方向に細長い長方形状の範囲をもつ。その北端経ヶ岬と南端名張川中流部との南北直線距離 は約150km、また東西幅は平均約40kmに達する。図1に近畿中北部の地形をしめす。北は日本海に面し南部は大和 高原に至る本府の範囲は、西南日本弧断面の北半分を占める。この島弧系は紀伊半島沖の南海トラフからフィ リピン海プレートが年約4cmの速度で西北西方向に沈み込む収束境界を形成する。その主たる構成物は舞鶴帯、 丹波帯、秩父帯、四万十帯などを構成する地層で、古生代から新第三紀にわたって海溝から陸棚斜面に堆積した 海成堆積物からなる。それらが多数の逆断層によってナップパイルとして付加されたものである。また、丹波帯 の南部には白亜紀の花崗岩や片麻岩類が広く分布する。地質構造はトラフに平行な北東−南西方向に帯状配列を 示し、プレートの斜め沈み込みによる横ずれせん断応力は中央構造線の右ずれ運動によって解消されている。 一方、西南日本弧は明瞭な火山フロントや活火山を欠くこと、深発地震面も長さ約150km、深度60kmまでしかみ られないこと、第三紀以前の基盤岩類の分布がひろく、被覆層は薄くかつ局地的であることなどの特異性を有す る。これはフィリピン海プレートの年代が約3000万年前と若くて熱いこと、5〜6Ma頃に切断されその後沈み込 みを再開したことなどに起因する。また、現地形の骨格の大部分は第四紀の地殻変動によって形成され、その後 の侵食・堆積作用によって修飾・変形をうけたものとする考えが広く受け入れられている。 京都府は中緯度温帯湿潤帯に位置し、日本海岸域では冬期の多雨・多雪、京都市付近は瀬戸内気候の影響で少 雨、丹波地区は寒暖の激しい内陸気候の特徴を示す。また、河川は由良川水系を代表とする日本海に流入する北 部水系と、桂川水系をはじめ宇治川や木津川など合流して大阪湾から太平洋に流入する南部水系とに二分される。 図1 近畿地方中北部の地形(等高線は100m間隔)太実線は顕著な活断層(5km方眼による接峰面、上村原図) |
地形区の設定 |
本府の地形は多くの地質帯や活断層区、気候区や水系域を包含しているため、複雑で変化に富んだものとなっ ている。地形の特徴を述べるに際し、地形の性質や形成過程を共有するいくつかの地形区に区分し、地形区ごと に記載するのが合理的と考える。図2は町田・水山(1973)を参考にして新たに作成した京都府の地形区分図で ある。ここでは北から南へ、(1)丹後区、(2)宮福区、(3)丹波区、(4)山城区、(5)笠置区の5大 地形区に分け、それらをさらに細分して表1のごとく12の地形区を認定した。各地形区の境界線は北東−南西 方向を持ち、地質境界または断層線にほぼ一致する点で注目される。これは島弧の一般方向および南海トラフの 長軸とも平行である点で重要であろう。 |
地形区ごとの特徴 |
つぎに、表1の地形区の順にその概略をのべる。図3は京都府を中心とした接峰面 (等高線間隔は100m、2km以下の谷を埋積)と主要水系を示したものである。
1)丹後区:丹後半島および網野・峰山、久美浜地域を含み、東北東方向の長方形をなす。三辺が日本海に面 し、南縁は山田断層帯により限られる。本地区の山地や低地は南北方向に配列しており、竹野川河谷によって 東西に二分される。 丹後半島区(1−a)半島部を中心とし、北東・北西方向の海岸線で限られる正方形の地塊を形成する。地質 の大部分は第三紀中新−鮮新世の北但層群からなる。山地は高度500〜600mに著しい定高性をもち、その分布は 東西両側を断層によって限られた断層地塊上にほぼ一致する(多田1928)。この小起伏面を高位小起伏面とよ ぶ。そこから汐霧山(624m)、角突山(629m)、太鼓山(683m)、権現山(601m)、岳山(451m)などの高峰が 南北線上に並んで突出している。また、この山塊周辺を取り巻く高度200〜300m程度の小起伏面が認められる。 この低位小起伏面は侵食抵抗性の低い第三紀層や花崗岩の分布地域に広くみられる。峰山−網野地域に分布する 高度100〜200m程度の花崗岩丘陵面はこの低位面が著しく剥離低下した結果であろう。本地域では2回の小起伏 侵食面の形成期があったと考えられる。 本地区に特徴的な地形として地すべりの発達が指摘される。これは全域的に分布するが、弥栄町味土野や等楽 寺地区、丹後町宇川地区、伊根町菅野本庄地区、宮津市日ケ谷地区に集中的に発生している。なかでも最大規模 のものは、宮津市上世屋および木子地区の地すべり群である。周知のように、地すべり地は山間地における数少 ない平坦地を提供し、かつ土壌が肥沃で水利にも恵まれ、半島部の重要な生活空間として多くの隔絶山村集落が 立地してきた。宮津市域の地すべりについてみると、前述の高位および低位小起伏面の末端付近に形成されてお り、傾斜した泥岩層がすべり面となっている場合が多い。この発生機構として、侵食基準面の低下により、河谷 が谷を深く侵食するようになって斜面の重力的不安定が大きくなったこと、谷頭部が前進して開析(侵食)前線 が小起伏面の末端にまで達したことが重要な要因とみなされる。 北岸には海成段丘が連続的に発達する。本地区では上位 I、II、中位、下位の4面が識別され、それぞれに海 成砂層または海浜礫層を伴っている。とくに、分布の広い中位面は最終間氷期の最大海進(MIS5e、約13万年前) に対応して形成されたと考えられ、連続的に追跡される。その旧汀線高度は経ケ岬で38m、中浜28m、間人25mから 網野周辺で10m程度まで低下し、東高西低の傾動変形を受けている(植村1981)。また上位 面や下位面も同様の 傾動を受けており、累積的変位が認められる。 北丹後区(1−b)竹野川以西の地区では、網野 峰山低地および久美浜低地が南北方向に分布し、その間を 山地が隔てている。山地高度は南端に最高部をもち、北へ徐々に低下していく。このことは本地区が1つの傾動 地塊を形成しているとみなされる。南端には山田断層による急峻な断層崖が形成されており、その崖頂に磯砂山 (661m)、高竜寺ケ岳(697m)、法沢山(644m)などの定高性をもつ尾根が東北東方向に連なる。これらは白亜 紀末期の花崗岩から構成される。網野低地は離湖や浅茂川湖(干拓で消滅)久美浜低地は久美浜湾などのラグー ンと海岸低地を抱いており、その前面に砂洲や砂丘を形成している。砂丘構成層は古砂丘、旧砂丘、新砂丘に区 別される(角田1982)。しかし、海岸には中位面相当の海成段丘が発達しており、相対的には全域が隆起傾向に ある。また、旧汀線高度は山地部で曲隆、低地部で曲降変位を受け、地形と調和的な変形を示す。本地区の東縁 には北北西走向の郷村断層や仲禅寺断層が並走する。前者は、1927年北丹後地震(M=7.2)に伴って地震断層が 出現したことで著名である。地震時の変位は左ずれが約1.5〜3m、西上がりは約0.5m程度で、横ずれ成分が卓越 していた(Yamasaki & Tada1927,渡辺・佐藤1928)。トレンチ調査などにより、本断層の活動周期は約8千 年程度と推定される。左ずれオフセットの変位地形は約30万年間の断層変位の累積で形成されることから、現在 の断層運動が約30万年前から開始されたことを示す。 2)宮福区:本区は北東−南西方向に延びる山列および複雑に入り組んだ水系の発達により特徴づけられる。こ の北西縁は山田断層と野田川河谷により、南東縁は上林川断層と上林川河谷によって限られる。また、海岸部は 宮津湾から舞鶴湾、大浦半島西部までの間を占める。本地区の大部分は舞鶴帯の分布域と一致し、その地質構造 と山列および水系の方向が一致する。これは断層線谷やホグバックなどの組織地形が発達していることを示す。 由良川河谷から舞鶴湾の長軸を結ぶ線によって東西に二分される。 大江山区(2−a)大江山連峰を中心に北東 南西方向ににのびる山塊を形成する。北東端は大浦半島北部で、 空山(549m)などを中心とする高原状の山塊が分布する。舞鶴湾を隔てて南西方には、由良ケ岳(640m)から 杉山(697m)、鍋塚(763m)、千丈岳(832m)、そして赤石ケ岳(736m)へと続く延長約15kmの大江山連峰が発 達している。この大部分は古生代前期の海洋底構成物である超塩基性岩類からなり、蛇紋岩に変質している部分 が多い。山頂高度は600〜700mに定高性をもつが、断裂が多く浸透性に富む岩質であることから、谷の少ないな だらかな山容を呈するという特徴をもつ。さらに南西へ天ケ峰(632m)や三岳山(839m)、夜久野町の居母山 (730m)や深山(780m)など高度600〜700mの山峰群が東西方向に配列している。本地区では低地の占める割合 は狭く、侵食域が圧倒的に卓越している。海岸線は屈曲に富むリアス式の特徴をもち、海成段丘が分布しないこ とから、この部分は安定または幾分沈降傾向を示すとみられる。なお、舞福区との境界部に青葉山および田倉山 の第四紀火山体が形成されていることは注目される。 舞福区(2−b)由良川以東の地区では、北東−南西方向に3列の山地が並走する。山地は谷によって開析、 分断化が進み、幅広い埋積性の谷が入り組んで分布する。また、舞鶴湾のリアス海岸や低平な沖積低地、福知山 盆地や竹田川流域の低地帯の分布などから、本地域が沈降傾向にあると推定される。かつて侵食の卓越していた 本地区は、第四紀中期以降に沈降域に転じ第四紀層による埋積が進んで現在に至っていることを示す。福知山や 綾部の盆地周辺には広大な台地が分布し、長田野面に代表される顕著な堆積段丘面が発達している。これらの構 成層は約20〜50万年前にわたる湖河成層であり、この段丘面(H面)の離水は約16〜18万年前ころと推定される (藤田・福間198、植村2001)。また、離水の原因は海面変化と関連せず、流路変更による基準面の低下が重視 されている。また、H(長田野)面期まで由良川は福知山から竹田川の河谷を南流して加古川に流れ込んでいた ことがわかっている(岡田・高橋1969)。 |
執筆者 植村 善博 |
本文中の地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分の1地形図、2万5千分の1地形図、 国土地理院撮影の空中写真及び米軍撮影の空中写真を複製したものである。(承認番号 平14総複、第383号) |
文献 |
◎福間敏夫・藤田和夫(1986)福知山盆地の中部更新統、第四紀研究、24、263〜281。 ◎飯田義正(1980)信楽高原の古地理学的研究 大福礫層により復原される鮮新世の河谷について、地質雑、86、741〜753。 ◎池田碩・植村善博(1980)南山城、木津川流域の段丘地形、奈良大紀要、9、75〜85。 ◎石田志朗(1995)自然をうまく利用した都市づくり京都、「日本の自然、地域編6近畿」、36〜52、岩波書店。 ◎日下雅義(1968)山城盆地南部における内水災害、地理評、41、505〜519。 ◎町田貞・水山高幸(1973)京都府の地形区分図、「日本地誌14、京都府・兵庫県」、16、二宮書店。 ◎水山高幸(1956)尾根起伏の計測による丹波山地の面の吟味、京都学芸大学報、A9、27〜38。 ◎水山高幸(1965)丹波山地の河岸段丘の分布図の作成、京都学芸大学報、A25、167〜186。 ◎岡田篤正・高橋健一(1969)由良川の大規模な流路変遷、地学雑、78、19〜37。 ◎角田清美(1982)奥丹後半島の海岸砂丘地の地形、砂丘研究、29、32〜44。 ◎多田文男(1928)奥丹後半島の地形発達史、地震研彙報、5、111〜121。 ◎上治寅次郎(1927)丹波胡麻郷付近の分水界の地貌、地理教育、V、435〜439。 ◎植村善博(1981)丹後半島の海岸段丘−特に旧汀線高度を中心として−、「地表空間の組織」、古今書院。 ◎植村善博他4名(2000)三峠活断層系、殿田断層世木林地区のトレンチ調査と最近の活動履歴、地学雑、109、73〜86。 ◎植村善博(2001)「比較変動地形論−プレート境界域の地形と第四紀地殻変動−」、古今書院。 ◎Yamasaki,N. and Tada,F.(1927)The Oku-Tango Earthquake of 1927,地震研彙報、4、159〜177。 ◎吉岡敏和(1986)花折断層の変位地形、地理評、59、191〜204。 ◎渡辺久吉・佐藤才止(1928)丹後震災調査報告、地質調査所報告、100、1〜102。 |
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