選定理由 |
マンガンは戦前と戦後の時期を通して京都府の重要な鉱産資源であった。閉山した鉱山を復活することは困難としても、鉱石と鉱山の様子を一部保存することは重要である。 |
分布 |
層状マンガン鉱床は美濃丹波帯の各地および丹波層群相当層に分布する。また外帯の秩父帯、北部北上帯などに分布する。ただしほとんどの鉱山が閉山している。京都府内では戦前から1970年代まで丹波帯の多くの場所で採掘が行われたが、鉱床の規模が小さく、家内工業として行われていて、現在は閉山している。 |
特徴(特異性) |
丹波帯の層状マンガン鉱床はI型地層群の層状チャートの中に挟まれている。一般に、鉱体は層状チャートから50cm〜1m厚の親盤(赤褐色、黒色、緑色を呈し、ほとんど石英からなる塊状岩で、時に同心円状、粒状、角礫状の組織がある)、鉱体、かつぎ粘板岩(5〜20cm)と重なっている。鉱体を構成するマンガン鉱石は二酸化マンガン鉱、菱マンガン鉱、ハウスマン鉱から縞状炭マン鉱および珪質鉱を主とする。一部の鉱床にはバラ輝石、テフロ石などの珪酸塩鉱物を伴う(京都府商工課・丹波帯研究グループ、1967)。上下の層状チャートの年代から、鉱床はジュラ紀古世後期から中世にかけて生成したと考えられる(井本他、1982)。層状構造が明瞭でどの鉱体も類似の層序を持つことから、堆積性鉱床と考えられており、熱水活動などによってマンガンに富む溶液から沈殿したとされている。ただし、主たる鉱床である炭酸マンガンがそのまま海底に沈殿したとすることには疑問も出されており、先駆的な堆積物を堆積後置換した続成作用によるものとする考えもある。 |
現状 |
地下には鉱床が分布している地域もあるが、すべて閉山しており、新鮮な鉱床を見ることは不可能となっている。それぞれの鉱山跡のズリからは鉱石を採集できることがある。 |
保存に対する脅威 |
多くが丹波山地の中にあり、旧鉱内に立ち入って採集することなどが危険である。 |
必要な保全対策 |
鉱山の鉱内は危険であり、厳重に封鎖するなどの保安処理が必要である。 |
特記事項 |
1982年に閉山した京北町下中の新大谷鉱山は、鉱山主の努力で「丹波マンガン記念館」として一般公開されている。鉱道も残されていて、採掘の様子や鉱体の胚胎されている様子も観察できる。また資料館では多種のマンガン鉱を見ることができる。貴重な博物館であり、保存、維持のための援助が必要である。 |