( i )他の絵図との比較考察 一般に、過去の植生景観を考察するためにその資料性を検討しようとする絵図は、少なくともそうする価値があると判断されるものであるが、そのようなある絵図の描写が、同時代に同一の場所を描いた他の資料性が高い可能性があると見られる絵図の描写と矛盾が少なければ少ないほど、双方の絵図は互いに高い資料性をもつと考えることができる。その際、両絵図の作者は同じでもよいし異なっていてもよく、また、二つの絵図が描かれた視点がそれぞれ異なることにより、互いの風景が大きく違ったものになっていたとしても、ある同一地域の景観の比較検討が可能であれば、それは問題ではない。むしろそのことにより互いの絵図の資料性をよりはっきりと判断することができる場合も多い。 なお、絵図同志の比較考察を行う際、比較検討しようとする二つの絵図の制作時期ができるだけ近いことが望ましいことは言うまでもない。
( ii )文献との比較考察 ある絵図と同時代の文献に、絵図の植生景観に関する資料性を考える手がかりになる記述があれば、絵図の描写とその記述を比較検討することができる。ただ、古い文献にあまり名もない場所の植生について直接的に記してあることは稀であり、ふつうある絵図の描写が文献の植生に関する直接的な記述と比較できるのは、社寺などの名所付近に限られるが、それでも、絵図の資料性を考えるある程度の手がかりとはなる。 なお、その場合、文献の記述は必ずしも植生等に関する直接的なものだけである必要はなく、間接的なものも有効なこともある。植生等に関する間接的な記述からは、名所付近に限らずより広い範囲の景観を考えることができる場合もあり、そのことが絵図の資料性を考える別の手がかりになることがある。
( ii )現況との比較 絵図の視点が特定できれば、絵図の描写とその視点から見た現況とをまず比較することができる。もし、特定された視点から、目的の方向の視界が何かに遮られているときは、そこからできるだけ近い所から目的の場所を見ればよい。そのことによって、その絵図の資料性についていろいろなことが考えられるようになる。絵図の風景と現況とには、ふつう類似点と相異点とが見られるが、それらの類似あるいは相異の理由を考えてゆくことにより、植生景観等に関するその絵図の資料性が明らかになってゆくこともある。
( iii )詳しい地形図をもとにした地形現況と絵図の描写との比較考察
絵図に描かれた風景と現況との比較の次のステップの一つとして、詳しい地形図をもとにした地上に植生のない場合の状態(地形現況)と絵図の描写との比較がある。この比較考察は、絵図の写実性を判断する上でかなり有効である場合が多い。 この考察の前提としては、ふつう対象とする地域の地形の状態が、絵図の描かれた頃と今日とではほとんど変化していないと考えられることがあるが、対象地域に自然災害や土木工事などによる変化のある場合、それが部分的であり、かつその変化の概要を確認することができるようなときにはこの限りではない。 この考察は、たとえば、絵図に描かれている谷の一つを確認するようなことであれば、地形図を見るだけでできるような場合もあるが、ふつう地形現況と絵図の描写との比較を可能にするためには、詳しい地形図をもとにして、絵図の視点から見た地形現況を何らかの方法によってビジュアルな形でとらえられるようにする必要がある。 その一つの確実な方法は、詳しい地形図をもとにして、できる限り精巧な地形現況の模型を作成することである。また、詳しい地形情報をパソコンに入力することにより、コンピューター・グラフィクス(CG)によってそれを行うことも考えられる。 なお、この考察の際、もとにする地形図がたとえ2,500分の1程度のかなり詳しいものであっても、
( i ) 東山全図には省略が多く、樹木については、完全に省略されてしまっている場合もあり、また実際の樹木の本数より少なく描かれることがたいへん多い。そのような省略がおこなわれている場合、ふつう大木よりも小木の方が、また名前が記されていたり囲いがあるような木よりもそうでない木の方が省略されやすい。
( ii )東山全図において、樹木の位置が実際とは少しずれて描かれている場合もあるが、ほとんどの場合、描かれているタイプの樹木はその付近に実際に存在していたものと考えられる。
( iii ) 東山全図に描かれている大木の樹形は、実際の樹形によく似て描かれている。
( iv ) 以上( i )〜( iii )にあげたとおり、東山全図は、かなり綿密に描かれているとはいうものの、写真のように写実的なものではなく、省略もしばしばあり、位置の多少の相異もあるが、全体としては、それぞれの場所の植生景観をよく反映して描かれているものと考えることができる。なお、東山全図の樹木の描写が近景の図と明らかに食い違う部分については、各挿図の視点や描かれた時期がある程度異なるためであることも考えられることから、東山全図の描写が必ずしも誤っているとは言いきれない面もある。
( v ) 近景の図については、一部の画家のものを除けば、東山全図以上に植生景観までも比較的写実的に描いたものが多い。