1.京都府のシダ植物相(希少種の状況)
京都府のシダ植物相に見られる大きな特徴は、暖帯性の種類と温帯性の種類とがしばしば混生して出現するこ
とである。これは両者の分布の境界部にあたるためであるが、森林の持つ温度緩衝作用も大きな役割を果たして
いる。京都府には中部地域を中心に広大な森林域が広がっており、種数的には最もシダ植物が豊富な地域である。
シダ植物の大半は生育に高い湿度を要する。その点はコケ植物と同様であるが、植物体が大きい分、それだけ
広い面積の高湿度環境(森林など)を必要とする可能性がある。イワヤシダ、ナガボノナツノハナワラビ、ミヤ
コイヌワラビ、トガリバイヌワラビ、ウスバミヤマノコギリシダをはじめかなりの種類が、おもに森林環境の悪
化によって絶滅へと向かいつつある。過去にはミドリカナワラビなどが、この要因で府内から姿を消したと思わ
れる。
スギ林や原生林内の岸壁にはヒメムカゴシダ、ナカミシシラン、イワイタチシダなどの希産種が残っている。
原生林の老木の樹幹には、スギラン、クラガリシダ、ヒメサジラン、カラクサシダ、ホテイシダ、ミヤマノキシ
ノブなどが着生している。これらのほとんどは生長が遅かったり性質が気難しかったりして、移植や人工栽培は
困難な種類である。
府南部には社寺林が部分的によく保存されており、暖帯下部の種類が見られることがある。ヌカイタチシダ、
クルマシダ、タカサゴキジノオ、タカサゴシダなどである。全国的に希少であるカミガモシダやシモツケヌリト
ラノオなどが共に見られることもある。
府内では北部から南部への順に、丹後・但馬帯、舞鶴帯、丹波帯、領家帯の基盤岩が部分的に露出し、一部では
花崗岩や溶結凝灰岩、安山岩、玄武岩も見られる。舞鶴市青葉山は安山岩を中心とする比較的低い山であるが、
北方系の遺存種が多く見られることで知られている。シダ植物でも、ヒモカズラ、コガネシダ、エゾノヒメクラ
マゴケが知られ、いずれも府内唯一の産地である。舞鶴帯南部にある蛇紋岩地帯にはオウレンシダがやや多く残っ
ている。
丹波帯によく見られるチャ−トや硅質頁岩は風化しにくく、イワハリガネワラビ、ヌカイタチシダモドキ、ア
ツギノヌカイタチシダマガイ、アオネカズラ、ビロードシダ、カミガモシダ、クルマシダ、オサシダ、シモツケ
ヌリトラノオなどに安定した着生の場を提供している。それらの岩石にはときに石灰岩や緑色岩がブロック状や
レンズ状岩帯として含まれており、フクロシダ、ツルデンダ、ハコネシダのような着生のものや、ミヤコヤブソ
テツ、コウライイヌワラビモドキ、ヒカゲワラビ、ヤノネシダなどの半着生−林床性の種類が見られる。これら
着生−半着生の種類は園芸的に価値のあるものを多く含んでおり、一部では採取が進んで非常に憂慮すべき段階
にある。イワオモダカはもともと府内では極めて稀だったが、園芸採取によってすでに府内では絶滅したと見ら
れる。
領家帯の基盤岩には風化しやすいものが多く、特異な着生状況は見られないが、一部で柳生花崗岩に着生する
アオネカズラなどが知られている。これらの岩石は、風化することによって酸性の湿地を作り、一部では水生シ
ダに貴重な生育地を提供している。
中部地区の福知山市・亀岡市周辺や南部地区には湿地や溜め池が点在し、かつては豊富な湿地性・水生シダ植
物が見られた。開発や富栄養化によってこれらの大半は姿を消したが、一部ではかろうじて残されている。ヤチ
スギラン、ミズニラ、サンショウモ、デンジソウのような絶滅寸前種、オオアカウキクサなどの絶滅危惧種がそ
の代表である。これらの残存は、里山の地層から浸出する貧栄養の水によって保たれていることが多く、水が枯
れないように周辺の森林を含めて保護する必要がある。
一部のシダ植物は、比較的乾燥する原野を住みかにしている。それらは開発や森林への遷移によって、多くが
絶滅の危機にさらされている。ハマハナヤスリ、ヒロハハナヤスリ、コヒロハハナヤスリ、コハナヤスリ、アカ
ハナワラビなどである。とくに南部地域の大阪層群に伴われる粘土地に残されている例が多いが、もっとも開発
の危険性が高いのが現状である。
2.種の選定基準
○ 基本的な考え方
府内のシダ植物の分布や個体数調査は、時代によって疎密がある。もともと研究者が少ない分野であり、研究
者がいても研究対象が国外や他府県に向けられている時期の記録は、当然少ない。府内のシダ植物の資料はこの
二十年ほどは特に少なく、個体数の変動の把握は十分とは言えない。そこで、今回の調査では基礎資料の探索と、
特に減少していると思われるものの現場調査に重点を置いた。今後行なわれるであろう二次調査のために、基本
的な足場作りをするためである。調査にあたって特に留意したことは、以下の通りである。
1)散逸している過去の標本を探索し、京都府のシダ植物の基本的内容を出来るかぎり正確に把握する。
2)京都府から報告は無いが、近隣の府県との境から報告があるものにも極力配慮する。
3)過去の報告にあっても、原標本が見つからないものについては、参考資料とする。
4)特に絶滅が危惧されるものについては、個体数と環境調査を徹底する。
○カテゴリ−ランクと選定基準
1)絶滅種 もともと産地が限定され、およそ半世紀以上に渡って確認されていないものを、このランクとした。
しかし現場の環境が破壊されていたり(イヨクジャク)、分布上府内に再出現を期待するのが難しいと見ら
れる場合(オオクボシダ)には、それより短い期間でもこのランクとした。
2)絶滅寸前種 府内には1〜2ヶ所の自生地しか残されておらず、個体数約30以下のものをこのランクとした。
また、今回の調査では確認出来なかったが、近年の報告があるものもこのランクに含めた。従って、絶滅寸
前種としたものの中には、既に府内では絶滅しているものが含まれている可能性がある。
3)絶滅危惧種 このランクに含まれるのは a)産地は1〜2ヶ所と少ないが、個体数はやや多いもの b)
開発行為を受けやすい所に生育するもの c)園芸採取の影響が強いもの d)生育にデリケ−トな条件が
関係しているもの(湿度など)のいずれか、または複数に関わるものである。ただし、産地が少なくてもそ
れが近隣の府県に普通にある場合(京都府が南限や北限になるなど)は、原則として要注目種または準絶滅
危惧種に入れた。
4)準絶滅危惧種 絶滅危惧種の予備群の性格を持ち、産地や個体数が比較的多いが森林の遷移や伐採によって
確実に減少が予想されたり、園芸的に需要が高いものがこのランクに含まれる。また、産地はごく少ないが
離島などの安定した条件下にあるものなども、ここに入れた。
5)要注目種 準絶滅危惧種よりも個体数が多いものや、府内には非常に少ないが隣接する府県ではそれほど珍
しくないものを選定した。また、ワカナシダのように府内産が確定しているとは言えないものや、ミズワラ
ビのように最近むしろ増加傾向にあると見られるものも含まれている。その他、情報が不足しているものも
ここに入れた。選定基準としては、寄せ集めの傾向が最も強いものである。しかしサクライカグマのように、
今回個体数調査が出来なかったが実際には絶滅危惧種よりも稀と思われる種類も含まれており、要注目種は
保護ランク上で必ずしも最下位のものの意味ではないことに留意されたい。
3.選定種とその概要
今回選定したものの内訳は、以下の通りである。(種・変種の分類群数)
絶滅種5、絶滅寸前種26、絶滅危惧種30、準絶滅危惧種13、要注目種31、計105(この中にはシラネワラビな
どのように誤認の可能性が高いものは含まれておらず、本文で取り上げた種数とは必ずしも一致しない)。
府内産として確認されたシダ植物の種数は、品種と帰化(渡来)および逸出を除いて247分類群なので、A)
準絶滅危惧種以上のランクでは30.0%が対象種として選定されたことになる。B)絶滅種と準絶滅危惧種を除
けば、22.7%である。
この内Aの場合について府内に産する科ごとの内訳と、府内に5種以上を産する科について登録比率を調べ
ると、アカウキクサ科2、イノモトソウ科1(14.2%)、イワデンダ科21(39.6%)、ウラボシ科9(50.0%)、
ウラジロ科0、オシダ科11(16.4%)、キジノオシダ科0、クラマゴケ科2(28.6%)、コケシノブ科2(25.0%)、
コバノイシカグマ科2(22.2%)、サンショウモ科1、シシガシラ科0、シシラン科1、シノブ科0、ゼンマイ科1、
チャセンシダ科7(46.7%)、デンジソウ科1、トクサ科0、ハナヤスリ科4、ハナワラビ科3、
ヒカゲノカズラ科2(22.2%)、ヒメウラボシ科1、ヒメシダ科1(7.7%)、フサシダ科0、ホングウシダ科0、
マツバラン科1、ミズニラ科1、ミズワラビ(ホウライシダ)科1(12.5%)となる。イワデンダ科、ウラボシ科、
チャセンシダ科の比率が特に高い。これらの属は生育に高湿度を要求したり(特にイワデンダ科)、着生種を多
く含んでいて園芸採取が多い(特にチャセンシダ科とウラボシ科)ことが共通する主原因と考えられる。
一方で、府内に産する全ての種が絶滅の危機にあるとして登録された科は、アカウキクサ科、サンショウモ科、
デンジソウ科、ハナヤスリ科、ヒメウラボシ科、マツバラン科、ミズニラ科と多数に昇る。これらの科に属する
種は進化史上で「生きた化石」と呼ばれるものが大半であり、科ごと府内から消滅する(あるいは既に消滅した)
事態は、学術的や教育的に見て重大なことと言わねばならない。アカウキクサ科、サンショウモ科、デンジソウ
科、ミズニラ科は比較的貧栄養の水湿地に見られる水生の植物であり、水の富栄養化や除草剤の使用、用水路の
コンクリ−ト化などの要因で、全国的に危機的な状況に置かれているものである。ハナヤスリ科は原野や湿地に
見られ、造成や埋め立て、遷移による森林化によって、府内産の全種が絶滅に向かっていると推定される。
4.必要な対策の概要
今回の選定は調査が十分というにはほど遠く、継続的な調査や観察が不可欠である。対策を考えるにあたって、
まずその事を強調しておきたい。
イワデンダ科に典型的に見られるように、森林の減少や開発による湿度の低下は、予想外に大きな影響を与え
ている。京都府にはスギ林が多く、それらは定期的な伐採を免れない。過去から同様であったにも関わらず、絶
滅の傾向が1960年代以降に顕著なのは、林内を流れる河川の河床に土砂が堆積し、川全体が平坦になって「しぶ
き」が減ってしまったことや、水量そのものが少なくなったことに原因があると考えられる。これらは上流での
開発行為による予想外の事態とも言える。現在の環境アセスメントは、このように遠く離れた場所での被害まで
は必ずしもカバーできない。特に林道工事では、河川に土砂を落とさないよう、十分な配慮が必要である。
森林のなかに林道が開通すると、そこから乾いた風が林内に流れこむ。林道の両脇に現場産の常緑樹を植える
だけでも、かなりの被害を防ぐことができる。たとえばタカサゴシダは原生林環境に生育するもので、府内の産
地ではほとんど減少しているが、筆者の指摘で林道脇に植林した京田辺市の現場では、まったく減少は見られな
い。
園芸採取は、やはり深刻な被害をもたらしている。非常の場合を除いて、産地の詳細を公表しないことが基本
である。しかし園芸は同時に、日本のすぐれた伝統文化の一面でもある。需要の高いものや、現場にわずかしか
残されていないものについては、人工繁殖を併用する配慮が望ましい。ビロードシダやアオネカズラは、そのよ
うな措置を取らないと、遠からず府内から消えるだろう。
シダ植物やイネ科、カヤツリグサ科などでは、それほど貴重なものとは知らずに、開発によって産地全体が全
滅することがよくある。これは府民の教育や知識水準の向上に待たなければならないとも言えるが、逆に園芸的
な価値には乏しいものが多いので、そのようなものは産地の詳細を積極的に公表することが望ましい。
水生シダ植物は進化史の教育材料として価値が高いものが多い。水生昆虫などと同様に地域の小・中学校など
で積極的に取り上げ、環境教育の一環とするのがふさわしい素材である。地域的な取り組みは自然環境保護の基
本であり、そのきっかけと成り得るグループと言えるだろう。
執筆者 光田 重幸
(参考)
「レッドデータブック近畿カテゴリー」 |
カテゴリー | 内 容 |
絶滅種 | 近畿地方では絶滅したと考えられる種 |
絶滅危惧種A | 近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種 |
絶滅危惧種B | 近い将来における絶滅の危険性が高い種 |
絶滅危惧種C | 絶滅の危険性が高くなりつつある種 |
準絶滅危惧種 | 生育条件の変化によっては「絶滅危惧種」に移行する要素をもつ種 |
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改訂・近畿地方の保護上重要な植物
− レッドデータブック近畿2001 −
編 著 レッドデータブック近畿研究会(代表 村田 源)
発 行 財団法人平岡環境科学研究所
発行日 2001年8月31日
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